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He said "SO WHAT ?!" -1/10







 スタンリー・ブラック監督の対談は十五分ほどで、終わっていた。内容は、主役、ナタリー・ポリトゥワの印象に、撮影時の苦労話、本作の見どころに次回作への意気込み等々、パンフレットにも書かれている程度、他愛もないものだ。だからして受け答えする監督にそつはなく、ゆえにありきたりともいえる対談だった。
 だがそれこそが舞台挨拶の醍醐味であり。監督の口から直接、聞ける話に観客は興味津々、耳を傾けている。勘付いているからこそ監督もまた、通訳を差し置きあの調子で日本語を放つと、観客の笑いを誘っていた。おかげで劇場は熱気と活気に包まれると、まさに茹でたてのような湯気を上げることとなる。
 もちろん大詰めの花束贈呈にも、滞りはない。促す水谷のタイミングもばっちりで、控室でのりラックスしたやり取りが功を奏した贈呈式は形式張ることのない、まるで古くからの恩人をねぎらうような一場面を彩っていた。
 その後、記念撮影は、通訳や司会者も参加して行われうと、監督はそこでも「これから大変重要なシーンの撮影に入ります、みなさん静かに」と、現場さながらの指揮を取っている。
 様子に百々は、つくづくサービス精神旺盛だなぁと感心し、ならこれも監督らしいエピソードというべきだろう。監督は退場に備えて防音扉前に立つ水谷と百々へもまた、写真へ入るよう手招いてみせていた。
 仕草に、百々のみならず水谷さえもが戸惑ったことは言うまでもない。しかしながら監督は呼び続け、ついに折れて水谷が扉前から離れる。余っていたパンフレットを引っ掴むと、百々を呼んで最前列の隅に加わっていた。
 全員の表情がそろう瞬間を狙った撮影は、それからしばらくの間、続いている。
 終了したシアター内は、ささやかながらもこなした共同作業にさらなる一体感を得ると、解けた緊張に息継ぐタイミングさえもがそろっていた。
 花束を抱えた監督はその中で、再び「いえー」と百々へ親指を立てている。すかさず振り返って観客へも、いい撮影だったと拍手を送ってみせていた。なら観客から割れんばかりの拍手は返され、指笛までもが鳴らされる。重なり、高らかと監督の名を読み上げる司会者の仕事ぶりは完璧で、より一層、盛大な拍手をお願いいたします、としめくくって退場を促していた。
 十三時。
 水谷の先導で監督はシアターを後にしている。
 ロビーには再び人だかりができていたが、対面したところで監督に飽き飽きした様子はない。もらいたての花束を振って応じると、意気揚々と意気揚々と戻っていた。
 席を外していたツアーコンダクターの男性とは、直後、控室前で合流している。それからというもの、もう水谷が百々の様子を伺いに戻ることはなくなっていた。タクシーの手配もあったろうし、直後、始められる「バスボム」上映に田所へ付き添うためだ、と百々もまたそのことを理解している。そして何より任せておいても大丈夫だ、と安心してもらえたことに、多少の自信を覚えていた。
 帰りのタクシーを待つ間も、控室は舞台挨拶の余韻にあたたかい。
 やがてタクシーの到着を知らせに水谷は現れ、再び表へ向った。
 人だかりはそこにも出来ていたが、光景は百々にさえ慣れたものへ変わりつつある。
 向けられる数多、視線の中、水谷と監督は握手を交わし、百々もしっかり監督の目を見つめ、その手を握った。
 心地よさに何も、何事も起こらなくてよかった、とただほっとする。それは無論、舞台挨拶の進行に滞りがなかったことであり、わずかながらも過ったプレゼントの爆発等々、ひそかな懸念についてだった。同時にこの人もまたなにひとつ知らされていないのだなと考え、監督が無邪気であればこそ、少しばかりの切なさを覚えてみる。
 警備員室や「20世紀CINEMA」のカウンターにさえ届けられたプレゼントは、改め監督の事務所へ配送される段取りだ。
 だからしてタクシーは、花束だけを抱えた監督を乗せドアを閉める。
 振り返るような湿っぽさこそ似合わない。
 そうしてスタンリー・ブラック監督は、風のように「20世紀CINEMA」を去って行った。


 昼過ぎ、整理番号券を握った数百人の発券はついに終了し、シアターBとの入れ替え時のみだけが騒然とする程度に、フロアの混雑もおさまる。
 ただし電話は途切れることなく鳴り続けると、いまだ監督の舞台挨拶は何時か、と問う声を混じらせていた。受けて、留守電の自動応答に舞台挨拶は終了した、と言う文言はつけ加えられ、「20世紀CINEMA」公式サイトもまた更新。表へ手書きのポップを貼り出す。
 控室でブラック監督へ頭を下げているところを見てからというもの、百々は田所が映写室から出てきたところを見ていない。だからしてようやく昼休憩のとれた三時に一度、映写室をのぞいていた。
 暗闇の中、スクリーンをチェックしながら好物のフランスパンをかじる横顔は、いつになく真剣だ。おかげでいつも通りと声をかけることはできず、百々は再び休憩室へ降りている。すっからかんの胃袋へおにぎりだけを詰め込むと、再びフロアへ上がっていった。
 そんなフロアではグッズの売れ行きが好調だ。パンフレットの次にサントラCDが、携帯ストラップが売れ、勇者と思しき数名が冗談半分でショーツのセットを買い求めている。
 無論、トラブルらしいトラブルは起きていない。あったと言えば映写係、松川のダウンくらいで、全ては順調すぎるほど順調だった。
 ままに、シアターAは二十二時二十五分、継いでシアターBは二十二時三十五分、上映終了となる。
 さらにそれから十分後の二十二時四十五分。くたくたと言っても過言でない倦怠感と、しかしながらそれ以上の達成感を残して、「20世紀CINEMA」の正面扉は施錠された。
 一週間後のロードショーに同じ配置はとられる予定だ。だが明日からまた通常営業が始まるなら、撤去は翌朝、行われる予定に合った清掃もろとも、全員ですまされる。あいだ帰宅していた松川から連絡は入ると、明日はどうにか出社できそうだ、という旨が報告されていた。そんな松川は松川で、病院で半日ほど点滴を受けていたらしい。どうやら彼も彼なりに忘れられない一日となった様子で、果たして明日、どんな顔で出社してくるのか。百度々は想像して、あいにく休みの予定に意地悪くも残念に思って一人、笑いをかみ殺した。
 それら業務らしい業務が終わった後、いつの間に用意されていたのか買い揃えられていたジュースだけの打ち上げは、フロアのロビーで行われている。けだるい雰囲気に盛り上がる、とまではゆかなかったものの、それぞれの武勇伝が披露されたことは言うまでもなく、百々はそこでようやく映写室から出てきた田所と言葉を交わしていた。
 そのさい百々はブラック監督のあれやこれやを口にするつもりでいたが、映写室越しに田所も舞台挨拶を見ているはずである。今さらのような気がして結局、そのことについて話すことはなかった。
 帰宅したのはすでに日付も変わった深夜だ。寝静まった家族にリビングもすっかり冷えて寒々しい。
 夕飯らしい夕飯をとっていなかったことに気づいたのはその寒さがしみたせいで、しかしながら疲れで食欲はいまひとつわいてこず、ともかくソファへ身を投げる。うー、と唸って体を伸ばし、テレビをつけた。
 世界の監督がお忍びで来日していたのだ。ソファにうずめていた顔を引き抜き、何か報道されてやしないか、とチャンネルを回してみる。すぐにも見つけたニュース番組に、今にも閉じてしまいそうなまぶたをこじ開けぼんやり画面を眺めた。 
 喋るアナウンサーによれば、どうやら百々が奔走している間、世間では火事が起こり、政治家の献金問題が新展開を見せ、海外の首脳が興新国を訪問し、そして車が爆発したらしい。
 ふーん、と聞いていた。
 いや、聞き逃しかけて百々はソファの上から跳ね起きた。
 もちろん含まれた言葉もしかりだったが、過ったものの方がこれでもかと百々の目を覚まさせる。
 それは一瞬だ。
 だが色が違う。
 淡々と喋るアナウンサーの向かって左肩、写し出された消火活動も慌ただしい現場映像の中を、ハートの姿は横切っていた。
 ならば閃く「強襲」の二文字。
 同じ今日、榊大輔の護送が行われていことを、忘れるはずがなかった。
 気づけばテレビのボリュームを引き上げていた。途中から大きくなったアナウンサーの声は、事実と称された通りいっぺんを百々へこう読み上げてゆく。
「本日正午過ぎ、大型複合施設るるロード前交差点で、右折待ちの車両が爆発。炎上しました。伴い、産業道路で八台の乗用車による玉突き事故が発生。爆発した乗用車の運転手を含む計十人が軽傷です。現在、警察は車両の爆発原因を調査中。調査に伴いるるロード前交差点は明日、昼過ぎまで通行止めとなります。付近をご利用のドライバーの皆様は、くれぐれもご注意ください。次のニュースです」
「うそ……」
 もちろん百々の耳に次のニュースは入ってこない。「爆発、炎上した車両」というくだりだけが頭の中を回り続けた。回しながら、ワインレッドのワゴンの他にどんな車両があったろうかと思い出し、思い出せずに爆発した車両がまるでそれであるかのような錯覚に陥る。
 拭えないなら、早まる鼓動を止めることこそできやしない。
 否定してニュースは、乗用車の運転手が軽傷程度だ、と知らせている。しかしそうでなかったとして堂々、読み上げられる何某が乗っていたとも限らず、情報操作がお手の物だということはもうよく知る事実でもあった。
 テレビを消す。
 見るべきものを失った目が泳いだ。すぐにもテーブルの上の新聞をとらえ、百々は開く。それは薄い夕刊の一面だ。交差点の真ん中で燃える車と、その傍らを塞いで連なる玉突き事故の写真が、目に飛び込んできた。
 急ぎ記事へ目を通してゆく。
 文字が順序よく拾えていないことに気づかされていた。
 おそらく書かれていることは真実ではない。
 落ち着け、とただ百々は自分へ言い聞かせた。
 役に立たない新聞を捨て、ミントグリーンのトートバックをのぞき込む。だが放り込んだきりの端末に着信はなかった。
 ハートが無事なら、気がかりなのは残る四人だろう。中でも爆発した車両がワゴンなら、と考えて百々は想像が取り返しのつかない方向へ傾いてゆくのを止められずにうろたえる。たまらずオフィスへ会話をつなげようとホットラインの手順を思い出し、なぞりかけたところで動きを止めた。
「……やだな、もう」
 呟きがもれる。何しろ想像した万が一を、オペーレーターの淡々とした声で聞かされたくなかったからだ。聞かされたとして、そのまま寝床につけるハズこそない。
 明日が休みなのは、舞台挨拶の前準備に出勤した日の代休からだ。これ以上、いいタイミングはないだろう。いや、呼び出されてもいないのに出向いたなら、また百合草の説教を聞かされるだろうか。だがその杞憂に勝る動機はある。
 思うが早いか、猛烈な勢いで風呂へ入った。
 ままにベッドへ潜り込む。
 ひと眠りすれば朝だ。まるで時間と空間を飛び越えるワープへ挑むような気持ちで百々は、明日へ向かい力いっぱい両目を閉じる。