case6#
He said "SO WHAT ?!" -2/10







 太陽を背に、スロープを駆け降りる。
 どうやらドクターの出勤時刻はピークを過ぎてしまったようで、一台も車とすれ違うことなく、百々はいつもの駐車スペースへ向かった。
 「106」番など絶対に、「テロ」をもじってつけたに違いない。だからこそそこにワインレッドのワゴンはあるハズで、薄暗い地下駐車場の隅へ目を凝らす。
 が、ない。
 すっぽり空き地と、そこに空っ風は吹いていた。
 悲鳴を上げそうになる。
 押し止めたとして、ムンクの叫びと変形した顔だけは無理だった。
 引きつらせたまま、カードをエレベータのドアへ押し付ける。うまくゆかず二度、読み取りエラーを繰り返し、やっとの思いでエレベータへ乗っていた。
 そうして動き出したエレベータは、いつも通りと静かだ。静かすぎて気が利かない、と言えば八つ当たりか。おかげで気持ちは紛れず、じれったいほどの間をおいてついに地下へ到着する。
 開きゆくドアがじれったい。
 押しやり百々は、無理から外へ飛び出した。
 そこにオペレーティングルームから出てきたばかりのハナをみつける。
 長い黒髪が「20世紀CINEMA」で見たときから、変わらなかった。なびかせた後ろ姿は今日も凛々しく、無事だったんだ、と百々ひとまず胸をなでおろす。
「ハナさんっ!」
「あら、百々さん」
 呼び止められてハナは立ち止まり、百々はハナへと一気に駆け寄っていった。
「今日は昼からじゃ?」
 言うハナはどうにも腑抜けた調子だ。前で立ち止まり、かまわず百々は歯を剥き出した。
「ほっ、ほかの人はどこですかっ? レフはっ?」
 勢いに、ハナは豆鉄砲でも食らったような顔で瞬きを繰り返してみせる。
「ほか? レフなら、ストラヴィンスキーと……」
 目で仮眠室を指し示し言った。
「さっきまで一緒にいたけれど」
 だが引き戻したところで、もうそこに百々はいない。耳にするが早いか駆け出した百々は、聞いた通り見た通りと、仮眠室のドアが並ぶ通路へ向かい走っていた。飛び込んですぐにも、これまた待ち受けていたかのようなタイミングで奥から歩いてくるストラヴィンスキーを見つける。少々疲れた面持で放ったあくびをかみ殺すストラヴィンスキーは、浮かせた眼鏡の奥で目をこすっているところだった。
「外田さんぅっ!」
 飛びかからんばかりだ。そんなストラヴィンスキーへ百々は肉迫する。
「あ、ど、百々さん。おはようございます。は、早いですねぇ。何かあったんですか?」
 衝突寸前のところで立ち止まれば、ストラヴィンスキーは勢いにのけ反り、ハナ以上に酷い言葉をもらしてみせた。おかげで百々は、残るわずかなスペースさえ埋め、つま先立つ。
「なっ、何かあったって、あったに決まってるじゃないですかぁっ!」
 ついでに飛んで行けそうなほど、両手を振り回した。
「あっ、あたしニュースみてっ! びっくりしてっ! あれ、ここの車ですよねっ! 赤のワゴンがガレージからなくなってて。爆発したって。ごうごう燃えてたの、見ちゃったんですけどぉっ!」
 もう涙目だ。
「えっと、あと、あと、乙部さん。乙部さんは無事なんですかっ? レフはもう、燃えちゃったんですかぁっ?」
 いや、それはあんまりである。
「ちょ、ま、まぁ、落ち着いてください」
 あんまりすぎて、ストラヴィンスキーがなだめにかかった。その眼鏡はどこかしら歪んでいるように見えたが、気にせず押し上げ、ストラヴィンスキーはやおらレンズをキラリ、光らせた。
「その件なら、心配ご無用です」
 響きは力強く、見上げて百々は唇を噛む。
「榊はオツさんが空路で定刻通り、拘置所へ送り届けてます」
 つまり乙部は無事、ということらしい。
「陸路はハナさんが榊役を務める囮って、計画でして」
 知らなかった作戦に、百々は瞬きもろともうなずき返した。
「そこで予告の狼煙どおり、強襲に出くわしたわけですが」
 挙句、聞かされたのはあり得ない顛末だ。
「ワゴンへはバズーカー、撃ち込まれちゃいまして」
「ぶぁ、バ、バズーカーぁっ?」
 そら、ガンガンに燃えて灰になるはずである。
「相手もサブマシンガン携帯で七人もいたものですから」
「マっ、マシンガンぅっ?」
 ここは日本じゃなかったのか。
「ちょっと穏便にはすませられなくなったんですよね」
「ち、ちょっと……。ちょっとですかぁっ、それぇ?」
 あっという間に百々の想像を超えた光景は、正月映画も目玉のアクション超巨編と脳内を流れ始める。かと思えば入る「ブラボー、ゴー」の合いの手に、戦争モノのソリッドな映像を重ねた。おかげで各段にリアリティは増したものの、増したハズのそれに実感は伴わず、果たして何がリアルだったのかさえ怪しくさせてゆく。
「あれで手榴弾でも投げられていたら、戦争になるところでした」
 前で締めくくるストラヴィンスキーは、しかしながら「ははは」と笑顔だ。
 無論、百々に笑える度量はなかった。
 ただ耳の奥で甲高く尾を引く投てき音を聞く。とたんソリッドだった映像は色褪せてゆき、寒々しくもセピア色と干上がった。震わせて、辺りに空襲警報は鳴り響く。見上げた空に押し寄せるB29のおどろおどろしい影は連なると、ねじ伏せられた交差点は焼け野原と化し、その荒野を、負傷した市民に兵隊が行く当てもなくさ迷い歩いた。そうして身なりの整った百々を見つけるや否や、汚れ傷んだ顔を突きつけ口々に、水をくれと懇願する。
「せ、戦争反対ぃ……」
 いや、違うだろ。
 見透かしストラヴィンスキーも手を振った。
「いえ、戦争にはなってないですよー」
 そうしてつくづく、こう付け加えもする。
「いやー、それにしてもハナさん、サブマシンガン相手にニューナンブで一発勝負なんて、度胸はさすがです」
 おかげで戦地から帰還できたのは、百々だ。
「じ、じゃ、レフは?」
 まだその名を聞いていない。瞬間、瓶底眼鏡の奥でストラヴィンスキーの目は厳しくなった。
「あの人は相変わらず言っても聞かない人なので」
 そんな切りだし方こそ、ないだろう。
 百々の中で、まさか、もしやが吹き荒れる。
 聞いておいて、わわわわ、聞かないフリだ。耳を塞いだ。
「上の病院にいます」
 それでも入ってきたのだから仕方ない。再びムンクと絶叫する。その背後に縦と密集するのが効果線なら、今にも額縁の外へ吸い出されそうに伸び上がった。
 きっと今頃、ミイラ男だ。
 走っていた。
 デカイだけに包帯はかなり必要だろう。看護師も重労働に違いない。
 気づけば乗り込んだエレベータは地上に着いている。正面へ回り込むことが面倒で、駐車場脇の夜間通用口から病院内へ入っていった。道なりに細い廊下をしばらくゆき、受付カウンターの真横から百々はひょっこり顔を出す。外来診療の始まったフロアは早くもそこで、老若男女ひしめく慌ただしさを展開していた。
 とたんこの病院内、百々にだけストップモーションはかかる。
 レフだ。
 どうにも目立って仕方なかった。いくつも並ぶ扉を引き開け、ちょうどと診察室を後にしている。
 なら止まった時間に追いつけ追い越せ。繰り出す瞬きで、百々は時間を動かしにかかった。だとしてとらえたレフの姿が幻と消える様子はない。
 その体には、手足が四本、ちゃんとついていた。入院していそうにもなければ車椅子でもなく、松葉づえをついているわけでもなければ、腕もつっていやしなかった。包帯でぐるぐる巻きは想像が漫画過ぎたとして、包帯は「ぐるぐる」の「ぐる」も巻かれておらず、退屈すぎるほどに服装もまた整っている。動きなんぞ、これが実に整合性が取れていて、どこかしら不具合があるようには見えなかった。むしろいつも通りだ。いつも通りがすぎてそれこそ百々は嘘っぽく眺める。
「……なん、で?」
 凝らした目で呟いた。
 夜間通用口から駐車場へ抜けるつもりか。そんなレフは待合の中を、百々の方へ向かいまっすぐに歩いてきている。
「レフっ!」
 思わず百々は声を張り上げていた。なら耳も問題ないらしい。レフはすぐにも行き交う人の間から百々を見つけ出す。駆け寄って百々はその進路を塞ぎ、やはり信じきれずに穴が開くほど見つめて返した。
 同様に見下ろして黙り込むレフの焦点がしっかり合っていることを確認したなら、かわして反復横跳び。上体を振る。
「はっ、ほっ」
 追いかけるレフの目の動きは、機械的なまでに正確だ。
「朝から何だ」
 挙句、出会いがしらの挙動不審を問うて、思考の正常さもまた証明してみせた。
「なっ、なんともないのっ?」
 やはりレフは夜間通用口へ向かっていたらしい。とたん、そんなことか、と足は百々を避けて動き出す。
「お前こそ、診てもらった方がいいんじゃないのか」
「だっ、だって車が黒焦げでっ! 聞いたら外田さんはマシンガンにバズーカーの、戦争だからレフは上で死にそうだってっ!」
 というか、誰もそこまで言ってはいない。
「あ、あたしてっきり、車と一緒に吹き飛んだんだって思ったのにっ!」
 それこそ暴言だ。すれ違った看護師が驚いたように振り返っていた。レフもまた、何を言い出すんだ、と百々を見下ろす。
「お前は俺を殺したいのか」
 確かに要約すればそうなるのだから仕方ない。
「だ、だってぇ」
「あの場にお前がいたならそうなっていたろうが、ぼうっとしていられるのもお前くらいだ。とっとと逃げている」
 吐き捨てレフは、前へ向きなおった。
 うちにも夜間通用口を潜り抜ける。やけに距離が短く感じられたのは、レフの歩調に合わせて歩いたせだろう。あっという間にエレベータ前へと辿り着いていた。
 レフが胸ポケットからカードを抜き出し、慣れた手つきで所定位置にかざしてみせる。
「そう簡単に死ぬつもりはない」
 言った。
 その力強さに百々がほっ、としたことは否めない。だからこそ、続きはするりと耳へってもいた。
「奴らを野放しにすることこそ、できないからな」
 静かに、エレベータのドアが開いてゆく。節電に消えていた明かりは灯り、そこでキンキン小さな音を立てた。その白い光を浴びながら、百々は思わずレフへ振り返る。いや、覚えのある言い回しに、体は勝手と動いていた。
 忘れもしない。
 それを最初、聞いたのは、春山の乱入で握らされた爆弾を解除していた時だ。そしてそのとき百々は、レフのことを薄情だ、と憤っていた。だが今、同じように思えはしない。理由は簡単だ。レフにはテロで命を落とした身内がいることを、知っている。
 瞬間、それは鮮やかと百々の目の前に立ち上がってくる。
「そか、バッファロー……、なんだ」
 似ていた。
 スクリーンの中でヒロインを捨て置き逃げ行く主人公の背は、レフの言葉そのものだ。
 前でレフは、エレベータへ乗り込み、のぞいたレンズで行き先を指定していた。置いてゆかれそうになって百々は駆け込み、共に地下へ向かう。
「隣の客がひどい主人公だと言っていたあの映画か」
 などと、カゴの中で途切れたような話を再開させたのはレフだった。
「え? 映画、見たの?」
 不意打ちに百々は目を瞬かせる。
「爆破予告があったあの日は朝から劇場にいた。ローテーションで一度、上映中のシアター内も監視している」
 なるほど。その日、百々は昼からのシフトだったため、気づけていなかったらしい。
「主人公の選択は間違っていない」
 言い切るレフの声は固かった。
「不満を抱くなら最後、ヒロインの元へ戻ったことだけだ。ヒロインが死んでいれば戻ることはなかった。それが主人公の判断を誤らせた。おかげで奴らは野放しのままだ。逃げたことじゃない。俺が気に食わないのは、そうやって主人公もまた犬死した点だけだ」
 つまり自分には戻るべくヒロインなどもういない、ということか。だからしてしくじるようなドジは踏まない、とでも言っているのか。勘ぐるほどに確かめたい気持ちは百々の中に渦巻いた。
 だが陰口同然、人の不幸を酒の肴とかわした光景は頭をよぎる。それが知られてはならないものだ、ということくらい百々も十分、承知していた。従い握り潰せば潰すほどだ。後ろめたさは百々の中で膨らんでゆく。堪えるほどに唇へ、強く力は溜まっていった。
 自然、沈黙は訪れる。
 他人事と、エレベータがドアを開いていた。
 なら降りる際、調子を探るように首を傾げたレフの仕草は、見間違いでもなんでもないだろう。様子に百々は、逃げ道を見つけたような気持ちにる。飛びつくように切り出していた。
「で、でもさ、どこか悪いんだよね? でないと診察なんて必要ないから」
 レフの返事は背中ごしと返される。
「飛び降りた屋根が高すぎて、下の車を潰した」
「……は? つ、潰した? 潰されたんじゃなくて、潰したの?」
 次いでレフは腕も回してみせた。
「どうも肩の調子が悪い」
「つ、潰して肩の調子が悪い、だけ?」
「だからお前は、そんなに俺を殺したいのか」
 言ってまた睨まれる。
「あは、はは、は。ま、まさかぁ」
 笑ってしのげば、もう、殺しても死にそうな気がしないのだから不思議だ。今となっては潰された車の方が心配になってくる。
 と視界を遮り、仮眠室へ通じる通路から目にも鮮やかな赤いスーツは現れていた。曽我だ。並んで歩く二人を見つけると、その目をすかさず腕時計へ落とす。
「百々さんって、予知能力でもあるのかしら?」
 肩をすくめた曽我と、通路で顔を合わせた。
「ミーティングは昼以降の予定だったけれど、ハートも帰ってきてるわ。面子がそろっているなら遅らせる必要はないかも。チーフに報告してくる」
 わけはすぐにも一足飛びと明かされ、曽我はいいわね、とレフへ目配せを送ってみせる。
「湿布臭くなっただけだ。他に用はない」
 聞いた曽我がきびすを返していた。
 後ろ姿を見送ってのち、百々はレフへとアゴを持ち上げる。
「ミーティング?」
 どうも気になるらしい。あいだも肩を回し、首をひねり続けていたレフの動きは、そこでようやく止まっていた。ひとつ息は吐き出されて、レフは至極冷静とこう告げる。
「SO WHATの蜂起が、決定的なものになった」
 などど明かされた話には、それまでの動揺を吹き飛ばすだけの威力があった。
 それこそ戦争になる。
 世界が傾いたような気がして百々は一人、息を飲む。