case6#
He said "SO WHAT ?!" -9/10







 とはいえ何も起きないなら、落ち着つく事ができないと言うのも、なんとも皮肉なハナシだった。有名著名人は続々と集結したが、蜂起を宣言するリーダーの動きは引っかからず、元より場所を間違えたのか、考えたくもない空振りが頭をよぎるまま十七時三十分を迎える。
 社交場と化したエントランスは、今や着席前の招待客で大盛況だ。
 どれくらい時間をかけてあのレッドカーペットを歩いて来たのか、そこにスタンリー・ブラック監督の姿もあった。シックな礼服姿は見違えるようで、あのお茶目でとぼけた雰囲気は欠片もない。ままに出くわした知人と握手を交わし、談笑に目を輝かせ、女優、ナタリー・ポリトゥワを妖精のように引き連れると巨匠そのものとオーラを放っている。やがてどこからともなく囁かれる受賞の噂さえまとうように、シアター内へ消えていった。
 そうして式典の開始も押し迫った十七時五十五分。エントランスから人影は、完全に消え去る。正面扉を閉めるための警備員と中継のテレビクルー、警備をつとめる百々にレフだけが、その場に残った。
 やがて開いたままの防音扉からピッチを合わせるオーケストラの摩訶不思議な和音はもれだし、そんな不協和音が鳴りやんだ直後、オペレーターはその時が来たことを告げる。
「放送開始、三十秒前」
 警備員もまた、自らの腕時計を確認していた。
「放送終了まで周囲の警備体勢を維持。所定区域、および会場内への立ち入りはこれより禁止されます」
 右、左と、その手で正面扉を閉じてゆく。
 見て取った式典会場の防音扉も閉められ、レフが、エントランス異常なし、とマイクへ吹き込んでみせた。同じくポジションに異常のないことを知らせてそれぞれの声が、空も含めおっつけそこへ連なってゆく。
「各署員、局員からの報告なし。本番、十秒前」
 放送が始まる。
 知らせてゼロカウントこそ、読み上げられることはなかった。ただエントランスに設置されたテレビへ、アカデミー賞授賞式のタイトルバックがきらびやかと流れ込み、閉じられた防音扉の向こうから生演奏のファンファーレが細く柔らかに鳴り響く。ワンテンポ遅れて沸き起こる拍手が、それを包み込んでゆくのを聞いていた。
 テレビの中で、式典会場内の司会者が喋っている。本格的な授賞式が始まる間際までを、レッドカーペットの録画でつなぐ段取りらしい。目の前ではそんなrテレビを背にした女性レポーターが、視聴者へ興奮気味に何事かをまくし立てていた。
 やがて受賞者の発表は、あいだにショーを挟みつつ驚嘆と賛辞と謝礼にわきかえるまま進められてゆく。
 繰り返して全体の三分の一ほどが消化され、十九時十五分。百々とレフはストラヴィンスキーと担当エリアを交代すると、最も気の重い式典会場へ入った。
 そこはまさにシューティングの真っ最中だ。表情を狙って会場をカメラはぐるり取り囲み、狙い撃たれることを望んでめかしこんだ美男美女に、有名著名人がまばゆいばかりと肩を並べ、ひしめきあっていた。
 まるきり別世界だ。光景に百々は目を見張る。おかげでいつからか緊張に警戒は失せると、巡りだした血にこうも浮世離れした場所へ一体どんな俗な賊が潜り込めるのか、と思っていた。果てに紛れこんだ邪な姿こそすぐにも目につくはずだ、と確保など容易いはずだ、と確信する。
 だが夢の世界はほころびを見せず、全ては順調と流れゆき、放送時間は残すところあと一時間にまで迫ろうとしていた。
 残念ながらナタリーは主演女優賞を逃した様子だ。撮影賞を受賞した「バスボム」は、主演男優賞を挟み、監督賞と作品賞の発表を待つばかりとなる。
 そこに「20世紀CINEMA」の明日もかかっていたなら、水谷と田所も日本でかたずを飲むと、その瞬間を待っているのだろうなぁ、と百々は思い巡らせていた。
「あたしがここにいるって知ったら、悔しがるだろうなぁ、二人とも」
 おかげで言葉もついぞ、もれる。聞こえたか、周囲を見回していたレフの視線が、チラリ、百々をとらえた。つまり監視中によそ事は不謹慎だったか。気づいて百々も急ぎ不審者の割り出しに精をだしています、と反対側を睨んでアピールし返す。
「ウチの支配人とバイト仲間のことです。支配人、昔、映画を作ってたって聞いたから」
 言った。
「けどさ、みんなに見てもらえる映画を作らなきゃ、ってことに捕らわれすぎて、自分が何を作りたかったのか分からなくなったんだって。だからやめたって。びっくりしちゃう話だよ」
 休みをもらうために交わした会話は、今も忘れられない驚きと共に記憶に残っている。
 などと弁解する百々の前で式典は大詰めと、主演男優賞ノミネート俳優の出演作品や経歴を、舞台上のスクリーンに映し紹介していた。眺めながら、それで水谷が水谷でいられるのなら間違った選択ではなかったのだ、と百々は改め、ひとりごちる。
「がんばり過ぎたんだよね。あの支配人が荒れたんだって。きっとさ、喜ばせるためなら、ってヤなことも一杯やっちゃんたんだよ」
 様子は今の水谷からでは想像がつかず、百々の眉もしょげて下がる。だがもちろんそうまで尽くすわけは、収益が上がらなければ身もフタもない興行だからにほかならず、何も水谷だけの話ではなかった。
 とはいえ創り手は、少なからず作品へ思いを込めるものだろう。そして心無い情熱こそ、ありはしなかった。楽しみに馳せ参じる者たちもまたその情熱を、満たしてくれる感動を求めているはずでもある。
 だのに水谷はその実、両者はそうもうまくつながらないものだと語っていたようだった。確かに「20世紀CINEMA」の鳴かず飛ばずの売り上げが、それを証明している。
 どこかで何かが捻じれていた。
 切なさが、あのホットミルクには溶けている。
 気持ちは沈みかけ、だからこそ百々は笑った。
「あは。でも逆恨みして荒れたらさ、SO WHAT と一緒だよね」
 何しろ当時の水谷の敵こそ、己が手掛ける娯楽であり、機嫌を取らねばならぬ消費者だったに違いない。だが一方で本当のクリエイターなら、それでもそのせめぎ合いの中に身を置き続けなければならなかった、と呟いてもいた。
「乗り越えてきたから、みんなここいるのかも……」
 思いが百々に、別の目で会場を見回させる。いやそれとも身を置き続けて今もなお、葛藤の最中にいるのか。はたまた、偶然の一致と、苦もせずかみ合った歯車にここへ呼び出されただけなのか。思いは幾重にも重なり、華やかさの重みは増した。
 と、式典会場を見ていたレフの目がゆっくり百々へ、向けなおされてゆく。
「なんだと?」
 放たれた声は、聞いたこともないほどに低く、固かった。
 嫌な予感がしたのはそのせいで間違いなく、百々はまたもや恐る恐るレフへと振り返ってゆく。お世辞にも穏やかとは言い難い形相で見下ろすレフに、泣かされそうになっていた。
「な、なんですかぁ。あたしはリーダーじゃないですよぉ」
 常套、笑って誤魔化すが、相手にしないレフは遮り一喝する。
「違う。お前は今、何と言ったッ」
 その顔はもう、おたおたしていたなら頭からバリバリ食われる、いや脳天を撃ち抜かれそうなほどに恐ろしかった。
「だ、だから、支配人が映画作ってた頃、やりたかったことと、やらなきゃならないことがかみ合わなくて、逆ギレしちゃって。荒れたっていうから、それじゃまるで SO WHAT だなぁって。だったらここにいる人もみんな……」
 慌てふためきまくし立て、己の言わんとしていることにようやく百々も気づかされる。
「……って、それ」
 もしそうなら、だった。いくら待っても外にリーダーは現れないことになる。そして招待客たちこそ、守らなければならない存在だと思い込んでいた事実を突きつけられていた。
「つまりリーダーは、招待客の誰かだという可能性もある、と言うことかッ……」
 レフが絞り出す。
「なるほど。リーダーのセオリーは、カリスマです。ならここにはカリスマしかいませんよ」
 会話はマイクを通して筒抜けだ。おっつけストラヴィンスキーも口を挟む。
「招待客の身体検査はどうなっているッ?」
 舌打ったレフの口調は早い。
「バカヤロウ。自分がSPなら、警護する大統領の身体検査を行うのか」
 ハートが、負けず劣らずの勢で返していた。そんな無線の奥で、連邦局に地元警察へ確認を急がせる百合草の声は重なる。
「逃がしたアイツも、『彼のファン』だと言っていたぞ」
 いまさら合点がいくと、紛れてレフは苦々しくこぼした。その視線を招待客らへ再び投げる。
 舞台ではちょうど、プレゼンターが主演男優賞の受賞者を発表し、俳優が求められたスピーチに晴れやかと手を振っているところだった。そんな俳優へも、賞賛する誰もへも、とたん疑わしき影はまといつくと、それどころか次の瞬間にもスピーチは声明文へすり変わり、爆弾のスイッチを押す光景が生々しく重なる。だとして宴もたけなわなうえ、状況は生放送と世界中へ流されている最中なのだ。いまさら一人一人の懐をまさぐることこそ、できはしなかった。
 と、イヤホンの向こうからだ。弾かれたように声は上がる。
「待って。レフ、逃がした男は『彼のファン』だと言ったのね?」
 曽我だ。
「我々は彼を慕うファンだからこそ、リーダーに従い準備してきたと。妙な言い回しだ。忘れない」
「あくまでも可能性ですが、チーフ」
 聞き遂げた曽我の声は、すぐさま百合草へ向けられていた。
「招待客の誰かがリーダーだとして、拘束した数名が行動を起こすことになったのもまたリーダーの『ファン』だったからと考えるなら、彼らが共通して興味を持つ人物、作品がリーダー特定の手がかりになるのではないかと考えます。それが本会場のいずれかと一致すれば……」
「だったら、探せます!」
 百々が声を上げる番だった。はやくもその脳裏に強烈なニオイ伴うあの光景は蘇ると、探して、掴みだした端末の資料を開く。すぐさま押入れのコラージュ写真群を拾い上げた。中でも映画関連の貼り付けが壁の左下へ固められていることは、ぼんやりでも残っている記憶である。
「覚えているのか?」
 迷わずページを選ぶ指を、上からレフが驚いたようにのぞきこんでいた。
 白熱する主演男優賞受賞のスピーチは、完全なる時間オーバーだ。
 味方につけて百々は、拡大した押し入れ写真をスクロールさせてゆく。
「だって見るくらいしか、できる事がなかったんだもんっ!」
 ついで覚えている限り、手がかりになりそうなファイル名を挙げ連ねていった。
 最中、その作品は目に止まる。
 今まで気づくことができなかったのは、貼られたチケットが窓口で買い求めたものでなく、地色が社名で統一されたコンビニエンスストア販売のものだからだろう。未鑑賞を示すそれはまだもぎられていない。つながるミシン目の左側には、「バスボム」の文字が刻まれていた。
 百々は体を強張らせる。眉間を詰めたレフが、すぐさま襟元のマイクを引き寄せ言い放った。
「一致するものがあった。強襲者の押入れの中に、スタンリー・ブラック。バスボムだ」
「うそ……」
 声はもれる
 偶然だ。
 思うが早いか、百々はほかを探しにかかった。いや、ここに田所がいたなら、貼られた中から目の前に並ぶ巨匠に名優の作品を見つけ出してくれるに違いないと思う。だが百々にはかなわず、そしてそのチケットこそが重ねられたコラージュの一番上に貼られていた。
 これはそうも古い話であるはずがない。
 百々の中で誰かが言う。
 熱狂的なファンは時に、崇拝者のために犯罪をもいとわぬ暴挙に出るものだ。
 示したように舞台挨拶の光景もまた、百々の脳裏を過っていった。
 百々は端末から顔を上げる。その口を、曽我へと開いていた。
「そんなの……。ほかは、ほかはどうですかっ?」
「ハッカーの部屋にも該当するものが一件よ」 
 オペレーターを駆った曽我の仕事は早い。
 同時に該当ファイルは転送され、取り急ぎ開けばアメリカンコミックやフィギュアに囲まれたオタク部屋の一角、窓を塞いで貼られた雑多なポスターの中に、「バスボム」のタイトルロゴとナタリーの足はのぞいていた。
「そういえばサイトのアクセス数が多いことで特別視されていませんでしたが、強襲をかけてきたサバイバルゲームのリーダーも、監督のファンサイトへ足繁く通っていた記録が上がっていたんじゃ」
 ストラヴィンスキーが口添える。
「当然ですっ!」
 たまらず百々は怒鳴りつけていた。
「監督にはたくさんのファンがいるんですっ! 舞台挨拶もすごかったんですっ! あたし監督と会って話もしたから分かります。すごく愉快で優しくて、映画に真剣で、魅力的で。疑うなんて時間の無駄で、これはただの偶然なんです。もっと他を……!」
 だからこそ遮りストラヴィンスキーは、百々をたしなめる。
「百々さん、そういうのをカリスマ、って言うんですよ」
 なぜかしら涙が出そうだ。
「榊はどうだ」
 百合草の催促する声が飛んだ。なら繰っているらしいハートが、おっつけ不満と呟く。
「吹き飛ばされて判別しづらい」
「現場に集中して、後はこちらで預かるわ」
 名乗り出る曽我は頼もしい。
「待て」
 そこへレフが割って入っていた。その手はいつからか端末を握りしめている。顔の高さに持ち上げると、まるでこれから撮ろうとしている写真のアングルを決めかねているかのように、あらゆる角度を試していた。そんな視線の先には、テレビクルー用に並べられた本年度ノミネート作品のポスター群がある。やがて手の動きは、それらポスターを前に、ひとつ角度に固定さると止まっていた。確かめるように目が、画面とポスターの間を幾度か行き来する。果てにレフは言っていた。
「あった」
 端末に映し出されている榊の部屋の、中でも燃え方が激しかった机横。吹き飛ばされてピンに頼りなく引っかかっていたポスターの、千切れて丸まった紙片だ。そこにナタリーの浮いたアバラは、独特の曲線をのぞかせている。
「バスボムのポスターだ。間違いない」
「ハナ、レフ、カメラを舞台に固定させる。あくまでも可能性だ。周囲に十分注意を払った上で、スタンリー・ブラックを丁重に会場の外へ連れ出せ。失礼のないように所持品のチェックを済ませろ」
 指示する百合草に迷いはない。
「そんなの必要な」
 押し止めて百々は身を乗り出した。
 瞬間だ。
 爆発的な音は鳴り響く。
 レフでさえ肩を跳ね上げていた。
 監督賞受賞者をたたえるファンファーレと拍手は、見ればその人を檀上へ送り出している。受賞者はブラック監督ではなかった。
「座席は前列より三列目。左端より五席目です」
 オペレーターが、ブラック監督の座席位置を読み上げている。
 瞬いて我を取り戻したレフの目が、急ぎブラック監督の姿を探し始めた。だが興奮も頂点とスタンディングオベーションを浴びせる招待客に、レフの背丈をもってしても前列はよく見えない。やがて始まろうとしているスピーチに招待客が着席して、ようやく座席は見通せるようになっていた。
 空席だ。
「いない」
「なんだと? まだ作品賞の発表が残っているだろうがッ!」
 ハートが怒鳴り、百合草は切り返す。
「指示は撤回する。応援に表の人員を向かわせる。ハート、お前は式典会場の足場、危険物の確認へ向かえ」
 おう、とハートが短く答えていた。
「代わりにレフ、お前がバックヤードへ回れ」
「了解」
 言うなり走り出した後ろ姿を、百々も言い表せぬ不安を抱えて追いかける。
「エントランスのストラヴィンスキーが到着するまで、ハナは舞台袖待機」
「わお、じゃ、急ぎます!」
 行動を理解したストラヴィンスキーが指示を端折り、返していた。その足音は、 防音扉を潜り抜けてバックヤード鉄扉を目指す百々の耳にも、早速飛び込んでくる。
「ストラヴィンスキーが到着次第、ハナはスタンリー・ブラックの座席を確認しろ」
「……了解。舞台裏を回って袖の反対へ移動します」
「正面入り口は警備員と警察に張らせる。万が一に備えて蜂起後の対応、スタンバイしておけ!」
 百合草が最後をオフィス側へ吐いていた。重なりオペレーターの声が全員へと、こう告げる。
「通用口、スタンリー・ブラックの出入りは確認されていません」
 舞台では、監督賞受賞者のスピーチが始まろうとしていた。最も警戒すべく時間帯はこの次、作品賞発表の瞬間だ。
「当たり前だよ。監督はリーダーなんかじゃないって、レフも知ってるよね。きっと……ト、トイレだってっ!」
 レフはバックヤードへ続く鉄扉のノブを握って立ち止まっている。百々はまくし立て、聞き捨てレフは扉を引き開けた。なら礼服の背中は言ったとおりと、手洗いからひょっこり姿を現わす。ハートはすでに足場へもぐった後か。他に人影は見当たらなかった。飛び出しかけていた百々はとたん、レフもろとも凍りついたようにその場に足を貼りつかせる。
「ブラック監督を発見した」
 かすれるほどに小さな声だ。レフがマイクへ吹き込んでいた。
「なに、入れ違いか? 俺は見ていないぞ」
 ハートが唸る。だとして、それは偶然ではなく故意だ。可能性について誰も言及しないのは、共通認識だからか。
 背に、振り向く素振りすら見せないブラック監督は、そのまま通路を外へ向かって歩いていた。
「接触する」
 言ったレフが、鉄扉の向こうへ足を踏み出しかける。
「先に座席を確認してからだ」
 押し止めて百合草が、指示を出していた。
 息を切らしたストラヴィンスキーの声は、そこに重なる。
「式典、会場内、到着!」
「座席、確認、入ります」
 ハナが続き、聞いたレフが辛うじて飛び出しかけていた体を、開きかけた鉄扉ごと一旦、ロビーへ引き戻した。
「間に合うのか。このままだと外へ出る」
「通用口の警備員に、足止めをかけさせる」
「だが外は、監督が何を疑われているのかを知らされていないんだろう」
 レフは言い、百合草も譲らない。問答になりかけたところでハナの声は、なだめるように割り込んだ。
「もう会場へ降りるわ」
 と、監督の足が止まる。
 すぐさまレフが、薄く開いた鉄扉の隙間から状況を伝えた。
「立ち止まった。舞台袖横だ。懐を探っている。何があるのかは見えない」
 確かに百々に、もうつむいた頭と服のシワから、胸元の何かを気にしていることが分かった。
「監督の座席が見えた。座面にはなにもない。近寄って足元を確認するわ」
 ハナはあくまでも冷静だ。
 と、舞台袖からもれる声が、作品賞にノミネートされた作品名を読み上げ始めた。そこに「バスボム」の名が上がるまでもなく、ブラック監督は顔を上げてチラリ、会場側を盗み見る。通用口の様子をうかがい壁際へ身をすり寄せ、また胸元へと視線を落とした。
「ダメだ。様子がおかしい」
 目にして放ったレフの舌打ちは、百々の耳にも聞き取れるほど大きい。
「足元に何かあるなら知らせろ。行って俺も確かめる」
 言うや否や、ついに鉄扉を押し開ける。
「ちょっ」
 まずい、と百々は唇を尖らせた。
 置き去りにしてレフは走ることなく堂々と、歩いてブラック監督との距離を詰め始める。
「なら一人で行くな。応援を向かわせる」
「俺のことか!」
 百合草の言葉に、ハートが反応していた。だが一番近い場所にいたとして、もう間に合いそうもない。気配を察したブラック監督も懐から顔を上げると、なおざりにしていた周囲へ視線を這わせようとしている。それは背後へ流れると、歩み寄るレフへ今まさに向けられようとしていた。
 ブラック監督はそんな人じゃない。
 でも、もし、まさか。
 過ってやまないからこそ百々は焦った。
 そして疑うからこそ、信じなければならなくなる。
 よもや、を現実にしてはならなかった。
 だからそのとき鉄扉から、百々は飛び出す。レフが声を掛ける前だ。大きく手を振りブラック監督へ精一杯に声を張った。
「かんと、くぅーっ!」
 きっとこれは煙草を吸いに出ただけで、携帯電話が鳴っているからかもしれず、いや、緊張に胸の動悸がおさまらないから唸っていただけで、とにかく「後ろ姿から当てよう ブラック監督ジェスチャーゲーム」、並べ立ててレフの前へ百々は走り出る。
「何のつもりだ」
 背後で、レフが小さく吐いていた。
 答えず百々は進路を塞ぐ。
 呼び止められたブラック監督は、そんな百々へひと思いに振り返ってみせていた。異様なまでに強張った目は、数メートル離れたそこから百々をいっとき、凝視する。だが思いがけない場所で二度と会うはずもない顔に出くわせば、誰だってこういう具合に驚くハズだ。いやそう信じて百々は、あの日と同じにブラック監督へ指を立てた。
「緑茶、いえーいっ!」
「セカンドポーチ発見。中を確認します」
 重なり、ハナの声が伝えてよこす。
 聞かず百々は手を振り上げた。
「監督の応援に来ましたぁっ!」
 とたん強張っていたブラック監督の顔は、過ぎ去った時を吸い込みなおし、百々もよく知るあの笑みへ膨らんでゆく。舞台挨拶でのおかしげな様子はたちまちそこに舞い戻り、愛嬌たっぷりの表情で百々を見つめ返した。
「おーまいが! とぅえにーせんちゅりーしねま、ネ!」
 屈み込まんばかりだ。体をくねらせ笑いに笑った。肩を揺らし、百々を指さす。開けた大口は信じられない、と言わんばかりだ。ままに天さえ仰いで、のけ反りもした。
 やはり何かの間違いだ。これから人を傷つけようとする人間が、こんなにも笑えるハズがない。きっとここにいるのは受賞の時のサプライズに備えてで、そんなたくらみこそ監督に似合っていた。
「イエース」
 百々は振り上げた手をおろす。
 ブラック監督へ歩み寄れば、その後頭部へレフの視線は警戒の極みと突き刺さった。
 舞台では、いつしか終わった監督賞に続き、作品賞を発表するプレゼンターの咳ばらいがマイク越しに響き渡っている。
 そしてハナは、最後まで冷静だった。
「動作の様子なし。けど、あの弾が飛び散りそうよ」
 爆発物という言葉を避けたのは、そこが式典会場内であることを意識したせいだ。
 嘘だ。
 思えば百々の足から力は抜けてゆく。
 浮かべた笑みがしぼんでゆくのを、どうにも止められなくなっていた。
 気づけばその場に立ち止まってしまう。
「ハートッ!」
 呼びつける百合草の声だ。これまでにないほど大きく響き、ならたったひとまたぎで百々の傍らを、レフは追い抜いてゆく。
 そんなレフの有り余る気迫に事と次第を飲み込んだらしい。見て取ったブラック監督が、ふいに笑いを途切れさせた。顔色を豹変させると、あからさまとそこに死の影を張りつかせてゆく。目覚めたように行動に迫られた足が床を踏み荒らしていた。同様に落ち着きなく目は跳ねまわり、やがてまさぐっていた懐へ落とす。おっつけそこへ、手をもぐりこませた。
「ミスター、ブラッァクッ!」
 見て取ったレフの声が、バックヤードに響きわたる。
 重なり会場で、プレゼンターは受賞作を発表していた。
「バスボム」
 高らかとオーケストラが祝福の音色を奏で始める。どうっと拍手は沸き起こり、駆け出したレフのけたたましい靴音はそこに重なった。最高の時に会場はわきかえり、背にしてレフは、ブラック監督へ飛びかかってゆく。
 手が、懐へ差しこまれた監督の腕をわしづかみにしていた。唸り振り払おうとすればブラック監督の顔はみる間に赤黒く変化し、歯茎までもが剥き出されてゆく。だがレフにはかなわない。次の瞬間にも手は懐から抜き出されると、そこからペン型の何かは飛んで床に落ちた。即刻、蹴って、レフはそれを遠ざけ、その足ですかさずブラック監督の足すら払う。のしかかるまま倒れ込めば、互いの体は床で跳ね、ままにこれでもかともみ合えば、二人の間で荒い息は交差した。
 レフを押しのけ、ブラック監督が上になる。その襟首を掴んでレフがすぐにも態勢を入れ替えていた。すかさずブラック監督の喉元へヒジを押し込んだら、やがてレフが動きを制する。共に浴びせるロシア語は、おそらくブラック監督には理解できない単語の数々だ。
 かたや受賞者を失った会場は、演奏と拍手を切り上げるタイミングを失っている様子である。
 ただ中で、百々はひたすら立ちすくんでいた。
 パン。
 そのとき音は鳴り響く。

    (1at.season 最終話 ⇒)