カンガルーノート/安部公房
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朝、目が覚めると男のすねから緑のカイワレ大根が、すね毛の代わりにぎっしり生えていた。 むしっても、むしっても、青いカイワレ。 なんだか不気味ではあるが、どこか哀れで滑稽だ。 そんな状況から始まるのが本書である。 そうして再び目を覚ました男は奇病とベッドに縛り付けられ、 ベッドはやがて男にも分からぬ行き先めがけ、様々な場所を駆け抜けてゆく。 しかしカイワレ大根とは、なんてセンスだ。 もやしより病的! なぜならもやしは健全なのに弱々しい。 けれどカイワレ大根は元より青さが病的で、うえにひょろひょろと弱々しい。 生やす男のメタファとしては、もう最高に適切ではないか。 しかも物語の中でほとんど男は、ベッドの上に縛り付けられた状態なのだから、 不自由さがこれまた無抵抗の極致と弱々しくも頼りなくて、不安はかき立てられる。 乗せたベッドの疾走は問答無用だ。 翻弄されて悲鳴を上げれば、次第に笑っていいのか、怯えていいのか、渾然一体となってくる。 実はこれが氏の最後の長編だ。 踏まえるとやはり笑えないのは、その数年後、亡くなっているせいである。 疾走するベッドとはつまり、安部氏自身がまな板の鯉となりあの世へ走る、これまたそのメタファだとしか思えない。 物語の最後、「タスケテクレ」と男は叫び続ける。 だがその声は届かない。 暗がりへ消え入るように物語が終わりを告げた時、 祭りの後と、空っ風がそこに舞うのであった。 (N.riverイメージ) おそらくそれが安部氏の描く、死のイメージなのだろうな、と思う。 しかし何ともあっけない。 とはいえ安部氏自身が医者だ。 相当のイメージなのだろうな、とN.riverは思い巡らせるのだった。 そして同時になぜかしら不思議なほど、ちいちい、喚きながら死んでゆく男がかわいらしく、愛おしく思えてならないのだった。 合掌。 ★奇天烈な状況で必死になればなるほど 見ていて笑える人の姿 ならではのコメディー要素が豊富です ただし安部調であることは確か ちなみに題名のカンガルーノートとは 男の頭に浮かんだアイディアの呼称です |