生き延びるためのラカン/斉藤環
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N.riverの書いたものを読んで、感想を返してくれた人は数えるほどしかいない。 だがそれをチャット上で朗々語ったうえ、きっと好きだと思うと教えて下さったのが、 精神分析家 ジャック・ラカンだった。 ちなみに次回登場の著者、スラヴォイ・ジュジェクは、ラカン研究の第一人者だそうで。 言葉を操っているとふと、「言葉」ってなんぞや、という闇に引きずり込まれる。 当然のように脳内を巡り、 当然のように情景を立ち上げ、 当然のように感情をほとばしらせる、 この記号と音声の複合体はなんだ、と。 ラカンは脳内、つまり心は「言葉」でできている、と言い切っている。 これには剥同だ。 だからして言葉を精査することで、人の心のしくみもまた解き明かせるとした。 ことのあれこれが、斉藤先生のフランクな語り口で、かなりわかりやすく身近な例を伴い記述されている。 中でもわかりやすく印象的だったのは、欲望と欲求は違うというものだ。 欲求は満たされるが、欲望は満たされない。 なら満たされない欲望はなんなのか。 ブームしかり、誰かが欲しい、といったその時、自分も心惹かれるアレらしい。 そう、他者からもたらされるものだ、と。 そりゃ、満たされないハズである。 逆に言うなら、なんら突き動かされない抜け殻のような時、 その人は他者と断絶していることにもなったり。 ここはSNSだ。 つまり欲望にあふれている。 というわけで、さあ、はつる底なき創作への渇きを満喫しようじゃないか! とかなんとか。 そんなもの、満たされることはないなんて、悟ってはだめだよ。 そのたもろもろ、知ることで戻れない橋を渡ったような恐ろしさもあるけれど、 一読の価値おおいにありと、お勧めするのである。 |