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ACTion 04
『エビの尻尾とダブルブッキングの悲劇』



 格納庫から抜け出したそこで、延々伸びる通路へ顔を上げていた。
 そう、遠心力を利用して重力を保つ発着リングはそこで、行き交う利用者をモザイクのごとく床へ貼り付け延々、通路を天へ伸び上げている。
 利用者はそんな通路の各所にぶら下げられたインフォメーションホロより、行き先のマップを取り込んでいた。終えた者から次々と、メインシャフト行きのシャトルへ身をひるがえしている。
 途切れることなく行き交うその姿が、そのたび混ぜ返される空気が、航行中には決して味わうことのない活気を創り続けていた。広大な無の中でまさに生きとし生ける物の世界を紡ぎ出していた。
「僻地に行くほど中継コロニーは大きくなるって聞くけど、こんなに巨大な所は初めて」
 前にして圧倒され、ネオンは目を丸くする。
「誘導および、スケジュールの最終確認と調整に入ります」
 その足元からモバイロは通路へと、飛び出していった。頭頂に埋め込んでいたモニターへ、早くも目的地までの道のりを主観映像として、再生し始める。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
 そんなモバイロによると、今回の依頼者名はドクター・イルサリ。種族、性別、年齢共に情報の提供はなく、指定演奏開始時刻は三十二分後が予定されていた。場所はメインシャフト第二十八階層、ハウスモジュー『ルミルト』。ミルトへは申請済かつ、モバイロが管理しているバックヤードパスを起動することで入店でき、演奏内容に指定はなく、ドクター・イルサリからの接触があるとすれば演奏後である、ということが付け加えられる。
「って、なにそれ」
 などと導かれるまま奥まったシャトル乗降口前に立ったところで、ネオンは我に返る。
「接触があるとすれば、ってどういうこと? あたしにどっち向いて演奏しろっていうの? それにドクター・イルサリはふざけすぎよ。いくらあたしだって知ってるんだから。死んだヒトの名前使うなんてなんだか気味が悪い」
 だがモバイロが、その不快を共有することはない。
「演奏対象者はミルト利用者全員を予定。依頼者は他の利用者にまぎれての鑑賞を希望しています」
 聞かされネオンは、さらなる不気味さに身震いした。
「きっ、しょく悪い。死人に成りすましたうえにコソコソ聞くなんて」
 なら乗降口のドアも受けた風に震える。シャトルが到着したらしい。開いたドアの向こうから詰めていた利用者は吐き出され、入れ替わりでネオンとモバイロはシャトルへ乗り込んだ。
 チューブの中を走行するシャトルの形状は球形だ。中でビンゴボールよろしく浮かび上がったシャトルは、やがてシャフトへ向かい滑り出す。音もないままお目当ての第二十八階層で停止した。
 開いたドアの向こうでは、シャフトの外周に沿って伸びる通路が左右に分かれ、緩やかなカーブを描き伸びている。シャトルを降りたほとんどの客は左右へ散ると、随所に設けられた『ミルト』のゲートへ消えていた。だがネオンはモバイロに連れられ右手へ進み、シャフト側の壁面に設置されたインフォメーション端末へ向かう。そこで、モバイロの管理していたバックヤードパス発行の暗証記号を打ち込んだ。次いで乗船チケットもまた、典型的な光学バーコードスキャナへかざす。バーコードが読み取られたところで引っ込めたなら端末は蛇腹扉に塞がれ、入れ替わりとそこへ呼び寄せられた一基のエレベータは姿を現していた。
 臆することなく、中へモバイロが乗り込んでゆく。
 一人がちょうどのそこへ、ネオンも潜りこんでいった。
 カプセルのようなエレベータ内から外をうかがうことは出来ない。ただ感覚だけで、下層へ移動していることだけを察する。やがてエレベータは、シャフト沿いの壁面に閉まったきりのドアを並べる階層へネオンを吐き出した。降りるさいエレベータ内、左手側のスリットから突き出されたバックヤードパスをもぎとり、ネオンはおっかなびっくりそれら風景を見回す。
「勝手に入るなー、なんて怒られないわよね」
 静かだ。静かすぎてついぞ言っていた。
「パスは帰りのエレベータに必要となりますので、紛失しないでください」
 さらり聞き流したモバイロが、告げて通路をさらに右へ進んでゆく。
「やだ。分かりましたっ」
 追いかければヒールの音が、辺りに響いて仕方ない。
 呪いながらネオンは追いついたモバイロと並んで歩き、歩いて、歩いた。
 歩いて歩き、さらに歩き続ける。
 がしかし風景は変わらない。
 並ぶドアだけが、ネオンの左右を淡々と流れていった。
 その内側にネオンの靴音とモバイロの駆動音だけがメトロノームと響き続け、閉じ込められに等しい堂々巡りの感覚をネオンに抱かせる。だからしていくらも行ったところでたまらずネオンは、鼻歌なんぞを口にしていた。
 それは何とも名もない、思い付きのメロディーだ。
 だがそのメロディーは、単調だった足音を絡め取り始める。
 シンコペーションからエイトビートのスネアドラムと、鼻歌の底を支えてリズムを刻みだした。
 感じ取れば前進が、やおらネオンの中で心地よい疾走感へ様変わりする。その視界は、沈黙の世界に一色、挿したように華やぎ、その色が相乗効果と靴音のグルーヴ感をさらに押し上げさえする。
 気づけばまったくもってノリノリだった。
 だからして上機嫌、ネオンは決まっていない今日の演奏はこの曲でいこう、と思い立つ。なら掻き消えてしまいかねないこのメロディー芯はどこにあるのか。確かめんと、連なる音のはらんで教えるイメージへその顔を持ち上げていった。
 そこに広がる空は深い。
 飛び込み投げ出し、肌で感じ取ると、ネオンは漂うイメージを胸いっぱいに吸い込んでいった。
 瞬間、声は降る。
「ネオン、どこにいる!」
 嫌と言うほど聞かされたダミ声だ。
 驚きのあまりネオンは飛び跳ねていた。モバイロの頭頂モニターを、急ぎのぞき込む。なら映っていたのはネオンの知る限り唯一、造語を使わずに会話の出来る『テラタン』種族、そのトラだった。
 ギルドから借金返済の管理を任されている、というトラは今日もそこで『テラタン』の特徴であるところの深いシワに、いや、ここまでくれば皮膚のたるみといったほうが的確な溝に埋め尽くされた顔を、ブルンと震わせ郷土菓子『エスパ』を満足そうに頬張っている。
「今、どこにいると聞いているんだ!」
 言う口から菓子クズは飛び散り、掴みかけていたイメージこそ、そこできれいさっぱり霧散していた。
「もぉ……、何なのよ」
 がっかりより、ネオンはがっくりうなだれ答えて返す。
「何だ、その返事は。仕事はどうなっているんだと、ワシはさっきから何度も聞いているんだ」
 知ったことかと続けるトラから吐き出される菓子クズは、何億光年離れていようと生理的に受け付けない類だ。
「今、向かってるところですっ」
 避けてネオンは唸った。
 が、トラの反応はこうだ。
「ふん、口からでまかせを言うな。なら『ガニメダ』行きの船に、お前のIDがないのはなぜだ」
「へ? 何、それっ?」
 寝耳に水の話である。
「て、ま、まさか、あなたまた、やったんじゃ……」
 過る顛末に、声を震わせていた。
 何しろどういうわけだかギルドから一銭の報酬も与えられていないトラの仕事ぶりは、目も当てられないほどヒトかった。舞い込む演奏依頼を調整することなくモバイロへ転送したかと思えば、ダブルブッキングなど日常茶飯事。そのうえ、そうして焦げ付いた経費をネオンの借金に上乗せするのだから、返済額も一向に減らないのだ。
「いいがかりはよせ。わしがいつそんなヘマをした」
 そしてその失態をトラが今まで、認めたことはない。 
 聞かされネオンは深く、深く息を吸い込んでゆく。
「言いがかりは、そっちでしょっ!」
 ありったけと、吐き出した。
「あたしは今、フェイオンで、ドクター・イルサリを名乗る依頼主の元へ向かってるの。それに、そっちがモバイロへ依頼情報を転送してるんだから、あたしが好きでここへこれるわけないじゃない。だいたいモバイロもモバイロなのよ。ダブルブッキングしてることくらい判断できなくて何がAIよ。早く積み変えてって言ってるのにっ! いい? とにかく、ガニメダなんて無理。その依頼はそっちで処理してっ!」
 おかげではあはあ、息も上がる。
「ふん、ドクター・イルサリは死んだ。油を売るための言い訳なら、もっとマシな方法を考えるんだな」
 あしらわれて怒り心頭、ネオンのこめかみにスジは立った。
「上等よっ! どうせ油売るならこんな僻地より、地面のあるところへ行ってやるぅっ!」
「いいか、先方はスケジュールを八十時間ずらしてもいいと言ってきた」
 だがトラがうろたえることはない。
「二往復分の船賃を無駄にするな」
 言い切ってみせる。
「二往復分っ?」
 様子にむしろ、ネオンがうろたえた。
「む、無理っ! だからここ僻地中の僻地なんだってば! 一番近い所だって八十時間なんかじゃっ、無理っ!」
 モバイロはそんな口論を涼しい顔で聞きながら、ネオンを導着し続けている。
「お前次第だ」
 トラは言い、哀れむようにかぶりを振って指先に残った最後のエスパをシワの間に、いやそれは口だろう、口へ押し込んだ。通信を切るべくモニターへと、その手を伸ばす。
「わ、わわ! 話にならないのはどっちよっ! 聞いてるのっ?」
 が、ここで切られてはたまらない。ネオンは食い下がった。
「この、エビの尻尾野郎っ!」
 ここぞで『テラタン』の侮蔑語を口走る。無論、それはしばしばトラに浴びせられることで覚えた文言だ。本来の意味は皆目不明だったが、通信を切らせないためなら、このさい何だってかまわなかった。なら願ったりかなったり。トラの動きはそこでピタリ、止まる。るみるうちにその顔に、複雑奇怪とシワは折りたたまれていった。やがて奥で、針の穴のように小さな目が赤く潤みはじめる。
「わ、ちょっ、ご、ごめんなさっ……」
 まずい、と気づくが遅かった。
 それきりだ。
 映像は、プツリ切られる。
 呼べど叫べどもうトラが答えて返すことはなくなっていた。
 静寂に、いつしか立ち止まっていたネオンの肩もわなわな、震える。
「エビの尻尾野郎の、どこが悪いのよーっ!」
 宙へ向かい、ネオンは吠えた。
 向かってモバイロだけが、そんなネオンへ答えて返す。
「いえ、これはあなたが早く借金を返済するためです」
「……じゃなくて、また増えてるんですけど」
 もう鼻歌など出てきやしない。足を引きずり、ネオンは道なりにコの字と通路を二度、曲がる。わずか数分の移動中にすっかりやつれて、ついに目的地へ到着していた。
「何、ここ?」
 広がる空間の奥をのぞき込む目が死んでいようと、かまわない。何しろ明かりがなかった。ただぽつぽつと灯された作業灯が、かろうじて鉄骨らしきバツ印に組み上げられた重機を照らし出している。伸びあがったその重機はどうやら天井を支えているらしい。柱のような具合でもあった。死人を名乗る依頼主にこんな場所へ呼び出されるなど、気分はもはや最悪だ。
「帰るぅ……」
 呻いていた。
 その視界で、何かは動く。
 依頼者かと思っていた。
 なら見つめたそこでそれはまた、動いた。ついにネオンの元へ駆け寄ってくる。
「わらぁおぅ!」
 あっけらかんとした歓声は亡霊などと、ほど遠かった。そうしてネオンの前へ、体長一メートル余り、顔の真ん中に鼻溜を持った『デフ6』は飛び込んでくる。
『メンテナンスをしておけっていわれたから、きっと何かあると思っていたんだ!』
 鼻溜はまだ左右非対称だからして、幼体だ。
『はじめまして。ぼく、デフ6のデミ』
 フェイオンスタッフか。作業用つなぎを着込んでデミと名乗った『デフ6』はそこで、笑っていた。


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