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ACTion 08 『FLY AWAY』



 再び開いた扉に唖然とする。
「やだ、なにこれ」
 我先にとエレベータを降りたそこに、『ミルト』フロアは広がっていた。その中でも外周をグルリ取り囲む言語カウンター、その内側に放り出されていたのだ。
「奴ら、上がって来るつもりだぞ!」
 どうやら飛び込んだあの部屋は、言語ブースごとに備えられた従業員の控え室だったらしい。今さら腑に落ちるも我に返らせて、毛むくじゃらは教える。
 蛇腹扉を閉じようとしているエレベータが、間違いなく下層から呼び戻さようとしていた。
 すかさず男がそんな扉へ転がっていたワゴンを挟み込む。
 だがエレベータはこの言語ブースにのみに設置されているわけではない。扉の動きは延々左右へ伝播すると、あっという間にカウンターの四分の一ほどを埋め尽くしていった。
「い、一体、何をすればこんなことになる。あなたは相当の悪党か!」
 見回した毛むくじゃらが、後ずさっている。
「何にも覚えがねぇから、逃げてんだよッ」
 吐き捨て男がステップを踏んだ。
「とにかく向かいのゲートまでだ。走れッ」
 飛び乗ったカウンターを尻で滑り越える。
「簡単に言ってくれるな!」
「待ってっ!」
 毛むくじゃらがその後につき、置いて行かれまいとネオンもならう。背で、逃すものかと動くエレベータはピストン移送だ。カウンター内へ次々と、船賊を二体一組で吐き出していた。なおのこと逃げ足に火がついたことは言うまでもなく。フレキシブルシートが散らばり、黒煙を立ち上らせた言語カウンターに、焼け焦げた利用客の山がゲート前を塞ぐフロアを突っ切る。
 はずが、それはちょうどフロア中央へさしかかった時だ。
 体は空を切っていた。
「ウ、ウソっ!」
 慣れ親しんだハズの一G環境下は変調をきたすと、周囲で撒き散らされていたあらゆる物さえふわり、宙へ浮き上がらせてゆく。
「マズいぞ!」
 腕を振り回してバランスを取る毛むくじゃらは、つまり状況を理解していた。巨大なコロニーの疑似重力装置からでは考えられないスピードで始まった重力解放だと、眉間に生えたテグスのようなひげを逆立てる。
 おかげで当初のロケットダッシュの効果はてきめんだ。エネルギー保存の法則と、今や誰もの体は制御不能と飛ぶようにフロアを移動している。ままに、中央に高く設えらえた円形ステージへ激突した。
「掴めッ」
 跳ね上がる体はまるでスローモーションで弾け飛ぶピンとなり、辛うじて背を反らせた男の手がステージのヘリを掴んでみせる。もう片方の手を、ネオンへ伸ばした。掴めと促されたなら、もう遠慮などしておれない。握りしめてネオンもまた、毛むくじゃらへ足を突き出す。その足を毛むくじゃらが掴んだところで、互いに互いを引き寄せ合った。有様は前衛オブジェか。ままに首をひねる。ならこの低重力を無視して床を蹴り、船賊たちは駆け付けようとしていた。
「ありゃ、軍の装備だろッ?」
 男の声が裏返る。
「どういうことだ。船賊ではないのか!」
「聞きたいのは、こっちだっつーのッ」
「言ってる場合じゃないでしょっ!」
 その動きはとにかく機敏だ。比べたなら、どうにも逃げ切れそうな気がしない。


 と、ステージへかけていた手が滑りかけた。咄嗟にアルトは掴みなおし、目にしたそれに眉間を詰める。
 ススだ。
 こびりついていたせいで滑ったようだった。
 とたん天井へ飛んだのは視線となる。見据えた両眼に、みるみる力はこめられていった。
「お前ら、俺に掴まれッ!」
 言って両手で、スタンエアを強く握りしめる。銃口を、床へ向けた。
 見て取った瞬間、すかさず手繰って女を小脇へ抱え込みなおしたライオンは、懸命と言えよう。
「ええい! 本気か?」
 そう、ここはつまり二度発目の落雷ポイントだ。だからしてあけられた穴は今、頭上にぽっかり口を開いていた。
「本気って、え、何っ?」
 ついてこれない女だけが疑問符を連発させている。
 放ってライオンは、アルトの作業気をしっかり握りなおした。
「下だの上だの、あなたにはついてゆけんな、まったく!」
「そのうち慣れるってのッ」
 迫る船賊たちは抱え上げたスパークショットの電極を、ふたたびさんにんへ向けている。
「離すなよッ」
「もちろんだ!」
「待って、何っ! どうなるのっ? せ、説明してっ!」
 かまわずアルトは、スタンエアのトリガーを絞った。
 吐き出されたエア弾はロケット噴射となり、とたん体は跳ね上がる。
「ぎゃあっ!」
 追加してさらに数発。
 女の悲鳴を引きずりながら一直線に天井へ駆け上る。
 空けられた穴をくぐり抜けた。
 さらにこれもくり貫き『ミルト』フロアへなだれ込んで来た痕跡らしい。断熱シートを、やたらと分厚い三枚目の隔壁を、次々に通り抜けてゆく。あっという間に、巨大な筒状の空間へ抜け出していた。
 薄暗いそこが巨大な筒だと判断したのは、周囲に一定間隔で取り付けられた作業灯らしき明かりからそのような形状を想像したからだ。おかげで、それまで感じていたスピードは突如、ゆったりしたものへすり変わっていた。
 覚えた余裕に、追手がついていないことを確かめる。
 が、巨大といっても所詮は限りある閉鎖空間に違いなかった。終えたところで、すかさず現実を知らされる。筒の外壁だ。頭上を塞ぎ浮かび上がった。同時に舞い戻るのは冗談かと思うほどのスピード感にほかならず、そこにこれまでほぼ垂直に連なっていた船賊の侵入口こそ見当たらない。頭上へ振り上げるスタンエアを、躊躇している暇はなかった。
「そろそろ止まるぞ。覚悟しろッ」
「ウ、ウソでしょっ! 後先、考えてよっ!」
 もっともだが、うなずく代わりだ。アルトはトリガーを絞る。見えない力が両肩を突き返し、確かとスピードは緩んだ。が、減速したのはアルトだけだ。ライオンの体はそのままアルトを追い越し飛び上がってゆく。掴んだ作業着を裏返し、頭上にまで跳ね上がった。引っ張り上げられアルトは回転し、同様に逆立ちする格好となった女の体が抱え切れなかったライオンの腕から抜け出してゆく。悲鳴と狼狽の声は体勢そのもの、もつれにもつれ、頼りなく宙をかいて前後不覚。真っただ中でさんにんは外壁にぶち当たった。
 だというのに跳ね返らない。体は格子状になったそこへ、なぜにや吸いつけられる。なら重みに耐えかねたか、やがて格子はガタリと外れた。
「わっ」
「お」
「なんだッ」
 足元をすくわれたような感覚にこだまする、それぞれの悲鳴。照明ひとつない空間を、さらに奥へ吸い込まれてゆく。
 果たしていかほどの距離を移動したのか。縄と編まれたコードの収まる細長い一角に縦一列でフン詰まってようやく、その動きは止まっていた。
 はずが、容量オーバーだ。片側はぱっくり開いて放り出される。遠ざかる視界に、共に放出されたコードの束が映り込んでいた。開いたパネルもまた、片側を固定したきりで揺れているのも目にする。
 その左側、触れるほどの距離に壁はあった。
 右側、遠方に、救命具を吹かせて行き交う利用者の群れもまた、見つける。
 なら、ここはいったいどこなのか。至極単純な疑問は浮かび上がっていた。だからしてアルトは認識の速度を速めるためにも、この空間における重力下での上下を把握しなおす。行き交う利用者に合わせ宙を泳ぐコードを掴むと、スタンエアの銃身で壁を押しやり、体を回転させていった。
 比例して視界に掛けられてゆく、なんとものんびりとした補正。
 見覚えのなかった光景は果てに、よく知る場所へとその姿を変える。
「ここ、発着リングじゃない……」
 女が呟いていた。アルトを掴むと、自身も体を同じ向きに固定しなおしている。だからして目の前には天へ反り上がる巨大な通路が伸びていた。
「助かった、と言いたいところだが、だとしてこれは何の騒ぎだ?」
 おっつけ二人の視線に己が視線を沿わせたライオンも言う。
 確かにエアロックサインはせわしなく点滅し、発着リングは格納庫へつながるゲートへ利用者を殺到させていた。船賊の襲撃を受けているからとはいえ、振り切ったと思しきラバースーツは周囲に一体もおらず、こうまでなるパニックの理由が飲み込めない。
 と、答えあぐねて眉間へ力を入れたアルトの脇腹を、女がつついた。
「ね、ちょっとアレ何?」
 その指は、通路の向こうを指している。
 なぞりアルトはのぞき込んだ。首を傾げていったなら、背後でライオンも同様に身を折ってのぞき込んでみせる。なら反り上がった通路を塞いでドミノ倒しの勢いだ。駆け下りてくる気密隔壁は映り込んでいた。
「もう駄目だ。今度こそ、駄目だ!」
 呻くライオンがたてがみを、減重力になお逆立てていた。
「こっ、こんなことしてる場合じゃァ、ないぞッ」
 つまり事態はどうあっても、一休みさせてくれないらしい。光景は、利用者の命よりも周辺海域の保存を優先させる場合にのみ起こる、気密隔壁の超法規的動作だった。
 そう、アルトをはじめ、ジャンク屋が乗り込む放置コロニーや無人船は、たいてい事故をきっかけに放置されたものである。そうした事故の中には、周辺へ回収不可能なほどのゴミを撒き散らすものも多く、それらゴミは移動していようが静止していようが、航行中の船にとって最大の脅威と疎まれてもいた。機密隔壁の超法規的動作は、それらゴミとの衝突で引き起こされる船舶事故を最小限に食い止めるための最終手段だ。
 したがってその動作が目の前で起こっている今、『フェイオン』が危機的状況下に置かれていることは明白だった。目下のパニックも当然と腑に落ちる。
「あんたの船はどだッ?」
 アルトはライオンへ声を張った。
「だからなんなのよっ、アレっ!」
 無視された女が繰り返す。
「ここへ吸い上げられたのは、致命的な機密漏れがあったからってことだよッ」 
「ダメだ。わたしの船は逆サイドのリングだ!」
 並ぶ格納庫ゲートの造語ナンバーへ目を這わせていたライオンが、舌打った。
「な、なによっ、それーっ!」
 女が叫び、すかさずアルトは女へも確かめる。
「あんたはッ?」
「帰りの船はモバイロしか知らないのっ!」
「仕方ねぇッ、おまえらついてこいッ。俺の船は四ブロック先だッ」
 否や握ったきりのスタンエアを、ドミノよろしく空間を遮断して押し迫る隔壁へ突きつけた。それだけで事の成り行きを理解するあたり、ふたりの呼吸はもう阿吽だ。作業着を引っ掴まれて、アルトはトリガーを絞る。
 乾いた発砲音が、逃げ惑う利用者の悲鳴に重なっていた。助走いらずのトップスピードだ。救命具を吹かせて逃げ惑う利用者の誰より早く、天井際を滑走する。


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