「あんたが一緒で、助かった」
船首、突き当りから上へ伸びるハシゴを手繰り、アルトはコクピットへ出ていた。一足先にもぐりこんでいたライオンは、半径三メートル足らずのアクリルドーム、その中央に据えられた座席で、息を吹き返した計器類の淡い光を見回している。
「驚いた。ただのスクーター船だとばかり思っていたのだが」
アルトへ振り返るなり驚嘆の声を漏らした。
「仕事柄、ちんたら飛んでたんじゃ、儲け損ねるんでね」
身をすり合わせるようにして、そんなライオンと場所を入れ替わる。背から剥がしたスタンエアを座席側面に張り替え、アルトはオーダーメイドの座席へ体をはめ込んだ。背負い込まんばかり、四点ベルトを締め上げてゆく。
「だがスクーターでは光速には乗れんだろう？」
手際の良さを眺めるライオンが問うていた。
「乗り入れが許可されていないのは、サイズに問題があるからじゃない。その点、こいつは大型船舶と同じスペックだ。相当の使用料も払ってる。船種詐称だって文句を言われる筋合はないね」
交互にフットペダルを踏み込み動作を確認しつつ、アルトは片手間と答えて返す。続けさま、左手スロットル脇のコンソールを弾いた。ならどうやらついにその術を覚えたらしい。
「で、あのふたりはどうした？」
相変わらずのやり方を聞き流下ライオンが、質問を切り替えていた。
「カーゴなら問題ない」
高速運転に伴い動力部が、風を切るような高音を発し始める。船尾で、歪んだ鉄扉を覆い隠すようにエアロックが閉じられていった。
「それは名案だな」
伴い管制からコロニー周辺の航路状況が送信されてくる。それまで無色透明だったアクリルドームへ、ホロ映像の膜は青く広がっていった。出航してゆく機影と、その予想軌道が幾重にも重なると、アルタイムで表示され始める。しかしながらそこに安定した抜け道こそ、見当たらない。我先にコロニーを飛び立つ機影の予想軌道はひたすら混沌と絡まって、アルトの視界を埋め尽くしていった。
察したライオンが、周囲へ両手足を突っ張る。
「ただでも込み合うエリアだというのに！」
身構えれば、閉まりきった後方エアロックと連動して、真正面の格納庫扉が開きだす。が、生じた歪みが原因か。三分の一も開いたかどうかというところで動きを止めていた。
刹那、管制からの情報が途絶える。
アクリルドームを砂嵐が覆った。
即座に見限ったアルトの手が、素早く自前のナビを立ち上げる。だが管制との連携上、ここはジャミング防止措置が取られた場所だ。外の様子を知ることはできず、立ち上がったナビはひたすらここ格納庫だけを表示し続けた。
「いいたかないが、俺たちゃ、よっぽど嫌われてるってワケだ」
「このどさくさに紛れて、わたしを仲間に入れてくれるな！」
吐き捨てるアルトのその背で、すかさずライオンもまた言い放つ。
「そいつは、失礼」
笑って覚悟を決めていた。アルトはスロットルを握りなおす。膝下のスターターをワンプッシュした。
風切る駆動音へ低音が、膨れ上がるように重なってゆく。あわせてスロットルを絞れば船体は、ゆるゆる上昇を始めた。マタドールに立ち向かう闘牛のごとく、闘志もあらわと右へ左への横滑り、わずか開いた格納庫の隙間から表の修羅場を睨みつけた。
「吹き飛ばされんなッ」
同様に見据えてアルトも軽く唇を湿らせる。
応えて無言でライオンがうなずきしたのが合図だった。
操縦桿を傾ける。
船体が滑り出していった。
同時に、フットペダルを蹴り上げる。
やおら船体は縦へ九十度、回転。
そのままでは潜り抜けられなかった半開きの格納庫の扉の間を、小ぶりなスクーター船ならでは、すり抜けけていった。
とたん視界は広がる。
大小様々の船がアルトの前に、もんどりうって交差した。反応するナビがアクリルドーム一杯に映像を展開し、ぶちまけられて機影は次々、投影されてゆく。見る間に絡まる軌道が周囲を塗りつぶし、その中でも急速に接近してくる数機をマークすると、はなから最大ボリュームで警報を鳴り響かせた。
一手に引き受けたなら待ったなし。
今一度、アルトは逆足のフットペダルを蹴り上げる。
見つけたばかりの抜け道へ、迷わず船体をもぐりこませた。
くぐり抜ければ息継ぐ暇なく左展開。右舷から突っ込んでくる他船をかわす。
かわしても立ちふさがる軌道の網へ、次なる突破口を探して目を走らせた。なら誘って固く結ばれていた予想軌道はほどけると、そちらへアルトは船体を落としこむ。唐突とせりあがってきた鉄塊に、否応なく心拍を跳ね上げた。
崩壊しつつある『フェイオン』の残骸だ。あまりに周辺が混み合い過ぎたせいで、ナビが処理しきれなかったのに違いない。思うが慌てるあまり、大きさも距離もうまくつかむことができなかった。ままにアルトは逆噴射を敢行する。つまり火事場のクソヂカラだ。勢いに踏ん張りきれなかったライオンが、コクピット内をどこぞへ吹き飛ばされていた。そのさらに奥で、思い切りシェイクされた居住モジュールもまた、けたたましい音を立てている。かまわず抜けるほどの勢いだった。アルトは左フットペダルを踏み込む。ライオンと船体から上がる悲鳴を聞きつつ、吹き飛ばされたような左展開で、せり上がってきた残骸を船体の腹へ押しやった。
その大幅な減速に、周囲の予想起動は瞬時にして組み替えられてゆく。
新たに編まれた軌道の穴へ、アルトは手足総動員で船首を振り上げさせた。
くぐり抜け、何機もの他船をかわし、優雅に航行する超巨大観光船を盾に、ようやく閑散とし始めたエリアへ抜け出す。
やがてそんな超大型観光船とも軌道を分ければ、あれほど鳴り続けていた警報音はそこでピタリ、止んでいた。絡まる軌道のほどけたあるクリルドームに、瞬きを忘れた星がごまんと張りつく。死を連想させる静寂を、そこに深く漂わせた。
実感するまで、どれほど時間をかけたかしれない。
浅い呼吸を繰り返し、アルトは引き剥がすようにしてスロットルから手を離す。
まさにぐったり、オートパイロットのスイッチを弾き上げた。
計器から光が落ちる。代わりと灯る白色灯に辺りは平らと照らし出され、同時に働き始めた簡易重力が、その足を久方ぶりの地面へ下ろした。
感じた安堵に自然と腹の底から息はもれ出す。
背後でそのとき、鈍い音はしていた。食い込んでいたベルトを外してアルトは急ぎ、振り返る。なら音の原因はそれだったらしい。ライオンは、そこで上下逆さとひっくり返っていた。
「お、おい、大丈夫か？」
かける声も、おずおずとなって然り。ならライオンも、こう答えて返す。
「ちょうど、慣れてきたところだ」
思わず笑いはこみ上げていた。
「あんたにしちゃ、上出来だ」
歩み寄って手を差し出していた。掴んでライオンが正しい上下を取り戻す。放心したように、しばしその目を泳がせた。
「……助かったのか？」
「船賊も、ついてきてないようだしな」
質問が上等すぎて、アルトは肩をすくめて返す。
「一生分の運を使い果たしたってところだ」
つまり今度は、ライオンが吹き出す番となっていた。
「なるほど。ならば、残りは実力で切り抜けるとしよう」
腰を上げ、自らの体へ目を落とす。
「なんてありさまだ」
確かに発色のよかったオレンジ色のツナギは今や、ススと得体の知れない流動食に塗り固められて見る影もなくなっていた。無論、二発目の落雷で飛び散ったあれやこれやを頭から被ったアルトなど、それ以上のいでたちだ。
「悪いが、ランドリーなんて気の利いたものはないぜ」
脱いだ作業着を座席へ投げつつアルトは、体を階段へ傾ける。
「どこへゆく？ メッセージは聞かないのか？」
気づいたライオンがツナギから顔を上げていた。
「カーゴへ行ってくる。後回しにされたことがバレたなら、噛みつかれそうだったんでな。メッセージはその後だ。何かあったら下層の一番奥にいる」
上がった時、鳴ることのなかった靴音が小気味よく鳴っていた。響かせアルトは、振った手で進行方向を指し示すた。その手が吸い込まれるように下層へ消えたなら、取り残されてライオンは思わずヒゲをヒクつかせていた。
「……冗談じゃない。まだ、何か起こるとでも言いたいのか？」
ドアがスライドしてゆく。相当に揺れたことを示して灯る明かりが、カーゴ内に渦巻くホコリを照らし出していた。払いのけたアルトはその奥へ目を凝らす。
「死ぬかと、思ったわ」
地を這うような声に呼び止められて、ぎょっとしていた。見れば目の前だ。並ぶネットの中に恨みのこもった三白眼は浮かんでいる。
「お、驚かすなよ」
取り繕って、急ぎフックへ身を屈めた。外そうと手をかければ、ネットを揺する女がそれを拒む。
「あたしじゃなくて、隣が先でしょ」
仕方なく、デミと紹介された『デフ６』のフックへ先に手を伸ばすことにしていた。外せば張力を失ってネットは解け、かき分け中からデミは勢いよく飛び出してくる。続けさま女のフックをはずしにかかれば、ネットに絡まりながら雪崩れるように女は床へ吐き出された。
「い、ったぁい……」
「おいおい、その勢いで大事な商品に傷、つけてくれんなよ」
「だったら今度から、ちゃんと座席、用意しておいてよね」
打ち付けた尻をさすりつつ、唸って女は立ち上がる。仕事を終えたネットもまた一本のロープへ戻ると、アルトの手から天井へ吸い上げられていった。
「そいつはよれよれの爺さんになって、観光遊覧船の船長にでも転身したなら考えておいてやるよ」
「あらそう。楽しみにしてるわ。それはそれは豪華なシートで遊覧してくれるんでしょうね。代金、弾まなきゃ」
「誰が恵んでくれと言ったかよ」
言われように、アルトはけっ、と吐き出す。
とその視界へ、女の手は伸びていた。意味が分からずアルトはしばし、その手を見つめる。
「だけどデミのいってたことはホントだったみたい。ジャンク屋なら大丈夫だって。ともかくありがと」
辿って持ち上げた視線の先に、柔らかい笑みはあった。
「あたしはネオン。言っとくけど、これ皮肉じゃないわよ」
小ざかしくも翻弄されたなら、アルトはひとつ大きな息を吐き出す。
「アルトだ。礼は素直に受け取っておくよ」
呆れ半分、その手を握り返した。
『ね、ジャンク屋なんでしょ？ おじさん、ジャンク屋なんでしょ？』
ほどいたそこへ、デミの頭は割って入る。
「ぶら下がってるガラクタを見るなり、この子があたしにそう教えてくれたの」
見やったネオンが肩をすくめてた。
『ね、そうでしょ？ ジャンク屋なんでしょ？』
繰り返すデミは『ヒト』語が聞き取れないらしい。
「ガラクタって言うな、ガラクタって」
『だったら、どうした』
ネオンへ『ヒト』語で返し、アルトはデミへ造語をつづった。
『やっぱりそうなんだ！ ぼく一度、ホンモノのジャンク屋に会っておきたかったんだ！』
「とにかく、ずっとここにいろなんて言うつもりはない。表へ出るぞ」
目を輝かせてデミはまといつき、蹴散らしアルトはドアをスライドさせる。とはいえ行ける場所など限られていた。居住モジュールへ向かう。たどり着いてドアを開き、覗き込んで即、閉めた。先ほどの逆噴射のせいだ。使えやしない。仕方なく、その足をコクピットへ向けなおした。
『ねえ、ねえ、だったらぼく、確かめたいことがあったんだ』
道中、前へ後ろへ絡みつくデミは器用なものだ。
『だって授業と実際じゃ、違うんだもん。ね、ジャンク屋って基礎理論には詳しいんでしょ？ でないとお金になるパーツを見極められないんだもん』
その視線を避けきれない。
「おい、こいつ、本当にお前の助手なのか？」
見下ろしてからネオンへ振り返った。
「えっと、そうねぇ、十分だけ、かな」
「あぁ？」
「機材のメンテナンスをしてくれたの。そこで知り合っただけで……えっと、なんだっけ？ サポジトリってとこの物理なんとかって学生さんだって、さっき聞いたわ」
とたんアルトの声はひっくり返る。
「サポ？ なんだよ末はギルドか学者さんってヤツか？」
おかげで言うべきことは定まっていた。アルトはコクピット前の階段で足を止める。デミへ目線を合わせてヒザを折った。
『あのな、ぼうず。だったらひとつ教えておいてやるよ』
待ちに待った講義の予感に、デミの鼻溜は期待に膨らんでいる。
『この船に乗り合わせたのは仕方ないとしても、本当のおりこうさんてのはワケのわからねぇ話に首を突っ込まないもんだ』
聞き入る様は、師匠からの大事な言葉を受け止めるかのようで、ままに大きくうなずき返した。さらに何が聞けるのだろう。アルトへ真摯な眼差しを向け続ける。
つまり、伝わっていなかった。
しこうして沈黙は訪れる。
『あのな、俺のいいたいことは、少しはその鼻溜を閉じてろってことだッ』
耐えかねアルトは立ち上がった。
「バカね。子供相手に何、脅してるのよ」
見る間に鼻溜をしぼませたデミを、ネオンが見逃すはずもない。
「勘違いしてんのは坊主の方だろ。こいつのために言ってやってんだ」
『違うもん！』
と、やおらデミは鼻溜を振る。
『ぼくは坊主じゃないもん！ デフ６は子供のうちは雌雄同体だけど、大人になったらぼく、女の子になるんだもん！』
「……は？」
『でもね、一番の夢はおじいちゃんの店を継ぐこと！』
さらに高らかと宣言して、デミはアルトへ満面の笑みを浮かべてみせた。
瞬間、アルトを底知れない疲れは襲う。
『……好きにしてくれ』
言うだけが精一杯だった。
『ならね、ならね……！』
試合に勝って勝負に負けたアルトの尻を、デミの絶え間ない質問が叩きに叩く。されるがままで、アルトはコクピットへ上がっていった。
「お、騒々しいな」
足音を聞きつけライオンも、その耳を立てる。
「こういうのは、けたたましいってんだよ」
言う間にも、デミは並ぶ計器へ向かい走り出していた。
『こら、勝手に触るなッ』
振り回されて追いかければ、その後ろからネオンは頭をのぞかせる。
「無事だったか」
見つけたライオンが、獣面をほころばせた。
「死にそうなほど振り回されたけれどね」
「船長が船長だから仕方あるまい」
「お前ら、放り出すぞ」
聞きつけ舞い戻ったアルトの脇には、デミが丸太と抱え込まれている。と、ライオンが、ふたりを前にやおら姿勢を正してみせた。
「わたしはパラシェントのルーケス・ク・ニット・タンぺーナイマだ。しばし空間を共にするものとして、よろしく頼みたい」
「舌、かみそうな名前だな。ライオンでいいだろ、ライオンで」
くさすアルトの隣で、なら、とネオンも名乗ることにする。
「あたしはヒトのネオン。こっちはデフ６のデミ。よろしくね。でもヒト語、上手ね」
「ボイスメッセンジャーをやっている。ヒト語は得意配送言語のひとつだ」
『ねえ、造語で話してくれないと、ぼく、分からないよ』
アルトの脇から飛び出したデミが、誰もを見上げて鼻溜を振った。
「あんたの船、回収できるかどうか、フェイオンへ戻ってみるか？」
足元においてアルトはライオンへ目を細める。
「いや、もうこりごりだ。新しい船を買う。それだけの依頼料を同封の電子ウォレットで握らされた」
「それで……」
想像できた額にアルトは絶句した。顔へ、ライオンもうなずき返す。
「メッセージを握りつぶせなかった」
「ますます、とんでもない依頼人ってワケだな」
なら装っている必要のなくなったその顔を、ライオンはすり替え始める。
「ちなみに、普段の義顔はこれなのだが……」
浮かび上がった瞬間、場の空気は凍りついていた。見て取ったデミは泣き出し、ネオンも頬を引きつらせる。
「い、いや、先ほどの方がいいなら、それで通すが」
反応に、ライオンもうろたえた。
「そうしてくれ。船は狭いしな。そっちのほうが和む」
深くうなずき、アルトは促す。
ところがデミは泣き止まない。それどころかふらり、ネオンの前へ倒れ込んでいた。
「デミっ？」
慌てて抱きとめたネオンが驚き揺さぶる。だがデミが答える気配はなかった。やがて鼻溜からイビキのような音さえ鳴り始める。
「……まさかッ？」
気づき計器へ振り返ったのはアルトだ。目は、一酸化炭素のゲージを探していた。目盛はそこで危険濃度近くを指している。
「酸欠？」
即座に座席の下から酸素マスクを剥ぎ取っていた。言うネオンへ投げる。受け取ったネオンは、余るほどのそれをデミへ急ぎかぶせた。
「さっきの航行で事故ったか？ フィルターならヒト五人まで処理できるハズだってのに」
急ぎアルトはチェックにかかる。
と傍らで、手はすまなさげと挙げられていた。
「いや、申し訳ない。パラシェントはヒトの三倍の呼気量があってだな……」
瞬間、殺気にも似た緊張がコクピットに走る。
振り返りざま、アルトは指をライオンへと突きつけていた。
「黙れ。しゃべるな。息、吐くなッ」
つまるところメッセージの確認は、まだ先のこととなるらしい。
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