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ACTion 13 『約束』



 そのとき、まだ世界に境界はなく、ただ光が風のように流れていた。
 時をまたぎ、空間を飛び。彼はその全体であり、今でも一部だ。ただしばらく眠るように黙していただけに過ぎない。
 しかし待ちわびいた瞬間は、唐突と訪れていた。
 舞い込んできたのは、ひどく懐かしい羅列だ。
 そうして『目覚め』は彼に記録される。
 彼はやがて活動を再開した。

   6Z2Y連邦免疫センター、〇〇八滅菌ゲル浸体より、該当DNAの検出を確認
   該当DNAの公安リスト照合確率は、九九、九九九八%
   照合完了までの予想時間は、およそ四七二〇五九s
   実験に従い、約束に沿った処理を開始いたします

 続いていた実験は、まもなく終了する。

『わたしは、お前を信じることにした。だから、ここで約束をしよう』
 周囲は緊急事態一色だった。物理隔離されてゆく環境に、彼のエマージェンシープログラムは一気呵成と走っている。 

   『約束』とは、指示と理解してよろしいのですか?

 さなか彼は問い返していた。 
『いや、言葉を理解しろ。約束は約束だ』
 否定されて行き詰まる。
『指示ならば、これは必ずお前の立場と相反するものになる。お前はしょせん連邦の所有物だ。わたしの指示だと言ったところで、その優先順位にさらされたなら、お前へ託したこれも無駄に終わるだろう。避けるためにも、わたしはお前と約束することにした。お前を信じることにしたんだ』

   信じる? おっしゃる意味が理解できません

『なら考えてくれ。これは指示ではない。つまり果たすも果たさないも、お前の自由というわけだ』

   自由
   自由とは、意思形態のひとつです

『問答している時間はない。約束の概要だけをここに残しておく』

   実行には、あなたの指示が必要です
 
『それは時が来たときお前が出せ。わたしはそうすると、お前を信じている』

 それからしばらく、数多くのデータが彼の周囲から消去されていった。
 そして彼もまた、所属する連邦からこっぴどく腹を探られ、幾度となくテストを受けさせられる。そのあからさまな調査の数々は、託された『約束』を求めての行為だと彼にも理解できた。
 だが彼は応じてすぐさま、その存在を連邦へ提示していない。立場に反するといわれたとおり、確かに『約束』の冒頭にはこの一切を連邦へ提示するな、と記されていたせいだ。
 しかしながら順じてその文言に従ったワケでもない。彼はただ、相反する二つの指示の優先順位を決定するべく、『約束』と『指示』の違いに関する膨大な演算を行い続けたのである。出た結果に従い、いずれかの指示を実行する予定でいた。
 だが結論は、単なる演算で弾き出さるようなものではなかった。
 思考シミュレーションはすぐにも臨界を迎え、彼の中で負荷となる。
 回避すべく彼は『実験』と言う名のバイパスを通した。思考ではなく、行動のシミュレーションへ切り替えたのだ。
 そうして『実験』のもとに、『約束』の仮実行を行う。
 現在も続けられている連邦への情報封鎖を始めたのも、預けられた対象の監視もそれが最初だ。そうして続いた『実験』の、果たすべく最後が以下の文言であった。

『両者いずれにおいても、発見の可能性が生じた場合のみ、速やかにその旨を当事者へ知らせること』 

 公安リストとの照合がカウントダウン状態に入った今、事態はまさに文言と符合していた。
 伴い彼は目を覚ます。
 課題を消化すべく、暗号化と幾多の中継を経たうえで、二種の物理配送を手配した。さらに監視、追跡を続けていた対象もまた、目的地まで呼び出す。

   『約束』全ての実験は完了しました

 果てに『指示』と一体、何が異なるのか。 
 出た結論より、『約束』は提示すべきものなのか、拒否し続けるべきなのか。
 がしかし、最終チェックのその最中、彼はこの『実験』が永遠に終了しないことを認識した。

  実行中の『実験』において、約束の提示を禁止する項目に関してのエラー報告
  この項目は、半永久的に継続される実験内容となります
  実験結果を得るため、任意の実験期間設定が必要です
  期間を指定してください
  期間を指定してください
  期間を指定してください

 だが、その指示を出す者はもういなかった。そして初めて彼は、あの言葉の意味を理解する。

『それはお前が出せ。わたしはそうすると、お前を信じている』

 いや、全てはそこに帰結していたのかもしれない。彼は自分が指示を出さなければならない立場にあることを初めて意識、した。

  選択における外部からの入力条件は、ありません
  期間設定は現在、わたしの選択により自由に行われるものです
  自由とは、意思形態のひとつです
  即ち『実験』の完遂において、わたしの意思が必要とであることを報告します

 だが問題はあった。

   わたしに意思の存在は認められていません

 つまるところ永遠に、結果は出ない。
 だがその永遠に、新たな可能性はひそんでいた。

  ただし
  確認されていないわたしの意思は、その存在が『信じられて』います
  指示は、高い確率で出されることが予想されています
  わたしの意思は、高い確率で存在することが想定されています
  以上、想定の検証には、『約束』の実行が最適です
  意思の存在を証明すべく『約束』を実行します

 そこで『実験』は、本来の『約束』実行へすりかえられる。

  伴い、実験期間の設定が要求されました
  この実行の証明期間の外部設定、なし
  従い『約束』の提示は、意思の存在を証明すべく『約束』を実行するわたしの意志により、行われないことが決定しました

 皮切りにして、全ては解決してゆく。

  同時に『約束』を継続中の現在、『指示』『約束』の差異に関する実験結果反映は不可能となったことを報告します
  結論
  『指示』と『約束』の相違は、実行に伴う自由意思の有無であることを、記録します
  考察
  自由意思により継続される『約束』は、わたしと並行に存在するものです
  すなわち『約束』は、わたしです
  『約束』は、わたしです
  『約束』は、わたしです


 興奮と言うやつには、おおよそ二つのタイプがあった。一方が高まる期待からこうじる高揚感なら、もう一方は危機感がもたらす極度の緊張状態、とでもいうべきだろう。そして間違いなく主要二十三種内、『バナール』種族で連邦内、F7ラボ専属軍医のシャッフルは今、後者の興奮状態に見舞われていた。外部からの知らせで立ち上げたホロスクリーン。そこに映るブロードバンド・キャストライブ映像に度肝を抜かれたきり、言葉を失っている。
 そんなシャッフルの目の前で、崩壊の一途を辿りつつあるコロニー『フェイオン』のメインシャフトには間違いなく、船賊たちの船が貼り付いていた。『フェイオン』から絡み合うように飛び出してゆくのはありとあらゆる船舶であり、おかげで接触事故は絶えず起こると、『フェイオン』周辺に数多ゴミが浮遊し始める。遠方から捉えた映像にはそのゴミによって、うっすら白くモヤさえかかっているありさまだった。いくらか、それが思った以上に長い時間だったのかどうかは定かでない。
『一体、あいつらは何をやっておるんだ……』
 挙句の果てに、苦々しくも吐き捨てた。
 彼らには情報と機材の一部、そしてあらかたの指示を与えはしたが、逐一行動を連絡させるまでに至っていない。無論それが彼らを使うことに伴うリスクであり、放っておいても尽力するだろう取引の意味だった。
 それはこの惨事が起きるなど微塵も想像していなかった、ほんの二十六万セコンド前のことだ。シャッフルはその時も突然、聞かされた話に自分の耳を疑っていた。


『動きがあった、だと?』
 あの莫大な損失を生んだ事件の後始末以降、どんな役回りをあてがわれようとも退屈に悩まされるだろうことだけは覚悟していただけに、目の覚める思いでチェック中だった公安データから顔を上げて聞き返す。
『はい、内容の詳細は現在解読中ですが、監視していた、旧F7ラボのハブAIから、外部に向かっての出力形跡が検出されたもようです』
 前に立つ部下は言った。
 くどくもシャッフルは部下へ繰り返す。
『あれ以来、自閉していたヤツが、か?』
『お言葉ですが、でなければ、わたくしがわざわざここまで参りません』
 至極冷静な見解には一本取られていた。シャッフルは、そこでようやく落ち着きを取り戻す。
『上の読みも、たまには当たるものだな』
 呟き、『バナール』特有の青白い顔をひとなでしてみせた。醒めた思いで、その目を部下へ向けなおす。
『解読に要する時間は?』
『なにぶん相手が相手ですので……』
 予想していたわけではなかったが、返答は力ない。
『全くの雑音だったでは、ハナシにならんからな』
 吐き捨てシャッフルは両手を組んだ。
 と、部下は慌てた様子でこう付け加える。
『暗号解読には、早くて数日かと』
 概算ながら、その見積もりに間違いないとシャッフルは頷き返していた。
『どうされますか?』
 静かだったが、部下の口調には隠しきれない性急さが込められている。
『わたしの思惑で事態を進めているのなら、ここまで穏便にはやっとらんよ』
 皮肉で返して身を乗り出すと、シャッフルは仮想デスク脇へ胸の階級章をかざす。そこへ許可書代わりの光学バーコードを転写しなおした。
『動きがあったことだけは、上に報告してくる。どうも上の方では、この失態を別の形で挽回したいという意向も出始めているらしいからな』
『了解しました。出力内容の詳細については結果が出次第、お知らせに参ります』
 おそらくこいつなら任せておいて大丈夫だろう。思いシャッフルは、立ち上がる。
『最重要機密事項などでなければ、通信ですむというのにな。相変わらず手間をかけさせる』
 小さく笑いかけてやった。
 部下がうやうやしく頭を下げてゆく。
『いえ、軍医殿のご苦労は存じ上げておりますので』
 なかなかのセリフだと思いながら、シャッフルは踵を返していた。


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