あの事件で失ったのは、その後の奔走で補填した物理面ではない。それは失われたモノ自体がそこに蓄積していた情報であり、併せ持つ結論そのものだった。価値観という輩はいつもながらに厄介で、彼らは価値観の相違という理由から、それをあまり評価していなかった様子だ。いや、疎ましくさえ思ったがためにラボ解体、というクーデターを引き起こすに至ったのだろう。シャッフルはそう考えている。
『失礼します』
転写した胸の階級章が反応している。間もなくドアはスライドし、過る思いを押さえ込んでシャッフルは部屋へ足を踏み入れた。だがそこにあったのは、思いがけぬ先客の影だ。目にしてシャッフルは反射的に身を引いていた。出直しかけたところでこの部屋の主、F7ラボ統括者、主要二十三種内『エブランチル』種族のクレッシェに呼び止められる。
『かまいません。客人はもう帰られるところですから』
伏せていた目を上げたなら、中央端末につながれた状態で部屋の中央に置かれた足つきのプラットボードが、シャッフルの気を引いた。その向かいには、あまりにも場違いな四本の腕を持つ極Yが三体、立っている。極Yたちはプラットボード上、あの伝説的な踊り子トニックのホログラムを眺めると、何やらさかんに腕を振っている様子だった。
このプラットボードが通訳だ、と察することはたやすい。そして誰もが見とれるその動きを使用したこの状況にすなわち、シャッフルは策略的なものが潜んでいることを感じ取って目を細めた。
その緊張を見て取ったのだろう。気づかせてクレッシェが、柔和な笑みをシャッフルへ向ける。
気付くことなく意気揚々と引き上げてゆく極Yたちが、そんなシャッフルとすれ違った。後を追い、プラットボードをたたんだ通信係も、逃げるように部屋を出てゆく。
閉まり行くドアを視界の端で捕らえたクレッシェが、どこか満足げと片隅にしつらえられた仮想デスク前へ身を翻していた。ゆっくり腰を下ろすなり、まるでシャッフルがそこにいることさえ忘れ去ったかのように、なおざりとなっていた雑務へとりかかり始める。
押しとどめてシャッフルは、歩み寄っていった。もちろん何をさておき確かめておきたかったのは、この状況についてでしかない。
『彼らは一体?』
質問を待っていたのだろう。クレッシェのエブランチル独特の吊りあがった細い目が、不敵な笑みにたわんでシャッフルをとらえた。
『今後、対象の捜索に彼ら極Yを利用することが決定しました』
実に斬新な話を切り出す。ゆえに結論から入ったはずのこの話を、シャッフルは理解できずに棒立ちで聞いていた。ならば気にも留めないクレッシェの口調に、遠慮こそない。
『知ってのとおり、まだ存在していないモノのために、我々が大手を振って回収に当たることは不可能です。ですが野放しにしておくのも、これが限界というところでしょう』
その手が素早く、仮想デスクをスリープ状態へ切り替える。唯一の調度品だったデスクは互いの間から姿を消し、部屋には壁面の一部と化した中央端末とシャッフル、そしてクレッシェの埋まるシートだけが取り残されていた。
もちろん造語が広まるより遥か昔、一世を風靡するという形で既知宇宙初の共通の話題となった極Yの踊り子、トニックの動話舞踊、その絶大な影響力を恐れたがゆえ、音声言語のスタンダード化により彼らを迫害してきたのが連邦政府の足掛かりとなった『バナール』や『エブランチル』を含む主要二十三種だ。だというのに「利用する」などと、それら歴史的背景を踏まえたうえで極Yたちが連邦に手を貸すことこそ、シャッフルにはまったくもって考えられない成り行きだった。
と、クレッシェはまた、そんなシャッフルへ柔和な笑みを浮かべてみせる。今度のそれは、どこか呆れたような笑みだった。
『本当にあなたの考えは、すぐ顔に出るのですね』
慌ててシャッフルは頬へ拳を押し付ける。確かめるように、こわばったそれを押しつぶした。そう、『エブランチル』は、そうした観察力に抜きん出て優れた種族であることで有名だ。それは時に心の中を覗かれているのではないか、と相手を不安にさせるほど鋭くもある。知っていてなおさら内面を露呈するほど狼狽してしまったことを、シャッフルは悔いた。
そんな胸の内さえも見抜いたか、言い終わるや否やクレッシェはもとより愛想でしかなった笑みを消し去る。興ざめでもしたかのような面持ちで話を続けた。
『確かに彼ら極Yと我々連邦が、友好な関係を結べる道理はありません。それは音声言語の絶対的優位性の確立により、動話影響力の封じ込めに成功した証拠でもあります。ですが我々はその弊害として横暴することとなった船賊の存在までもを、仕方のないことと黙認したわけではありません』
腰掛けていた椅子からクレッシェは立ち上がった。その目がまたチラリ、シャッフルを捕らえる。別段見抜かれて困るようなハラなどなかったが、自然、シャッフルはその視線を拒んで身を固くした。読み取ったのかどうか、クレッシェは視線を逸し、口を開く。
『我々は彼らへ、追跡中の対象らと引き換えに音声言語獲得のための物理操作技術提供の意思があることを提示しました。さきほど彼らは、それを承諾したところです。よって以降、本作戦は極Yと共同で行うこととします』
シャッフルにとってそれはまさに、本日二度目の信じがたい話となっていた。
『まさか、自らを迫害した造語を受け入れると、彼らが言ったのですか?』
顔に出てもかまわない。思い切り目を丸くする。
『造語普及が完了して、彼らももう六世代目です。現状を知れば、動話文化への固執が無意味に思えてくる者も少なくはないでしょう。こちらとしても、その偏見に疲弊しているグループを探し出したつもりでいます。見ての通り説得力をもたせるため、通訳にはラボに唸るほど残されたトニック動話解析データを使用しました。皮肉なことですがカリスマを挟めば、彼らがこの提案を拒むことなど基本的に不可能です。これは後ほど伝えるつもりでしたが従って彼らを皮切りに、今後我々は極Yを迫害することで既知宇宙の安定を確保するのではなく、動話文化の完全解体による安定へと計画を変更する予定でもいます』
話し終えたクレッシェは、一仕事終えたように再びシートへ埋まり込んでいった。傍らに浮いていた起動ホロを遮り、仮想デスクを立ち上げなおす。次の作業へと、自らを切り替えていった。
見つめながら、なるほどこれが上の考えていたクーデターという失態への挽回策だったのかと、シャッフルは心の中で呟く。長期にわたる計画だとしても、対象の回収に加え、動話と船賊の殲滅が見込めるならこれほどうまい話もないと思えていた。そして自分がここへ来ることとなった理由が、あながちその話とかけ離れていないことに気付かされる。シャッフルは実に控えめと、クレッシェへその口を開いた。
『ご報告がひとつ』
仮想デスクを囲い立ち上がるホロスクリーンを眺めていたクレッシェが、わずかな動きで先を促す。
『先ほどラボの者が、監視を続けていたハブAIに外部出力の動きがあったこと知らせにまいりました』
聞いたクレッシェの動きが止まった。驚くというよりも事実の重大さを受け取った目が、きつく細められてゆく。即座にシャッフルへこう聞き返した。
『対象からの応答は?』
『まだ。出力内容については暗号化が複雑で、現在、解析中です。はっきりするまで時間を要するようですので、先に状況報告に上がった次第です』
よもや裏でそんな話が進んでいるなどとは夢にも思わず、判断としては最善だったとシャッフルは内心、胸をなでおろす。納得したクレッシェが、しばし黙してデスクへと向き直った。やがて静かに指示を繰り出す。
『分かりました。極Yを呼び戻し、そちらへ預けます。解析が済み次第、彼らへ情報の提供を。対象を追跡させなさい』
その後、連邦免疫センターの入院患者より、追跡対象のDNAが検出されたと公安から報告は入った。
おかげと言ってしまうに納得はできなかったが、同時にツーファイブ社が秘密裏に行っていた違法実験は明るみに出、連邦は彼らを取り締まっている。
だがもとより問題視されていた公安の鈍磨な照合により、肝心要の対象拘束は間に合うことがなかった。またもや手詰まりかと思われたその矢先だ。ハブAIの出力内容は、ごく一部ながらも解明されていた。
それは惑星カウンスラーの音窟座標と、日時に僻地コロニー『フェイオン』の名、その中のハウスモジュール内『ラウア』語カウンターを指定した物理配送手配の記録だった。そしてもう一方はあまりに脆弱なラインを経ての介入だったため痕跡のみの確認だったが、『惑星Op・1』の『デフ6』エリアに建つ雑居ビル、そこに操作端末を持つ古いモバイロ端末への情報介入だったのである。
ふまえてシャッフルはクレッシェの指示通り全てを極Yたちへ開示し、とりわけ日時の記録されていた惑星カウンスラーの音窟と、僻地コロニーのハウスモジュール、二か所へ彼らを急行させた。果てに極Yから返された通信は、(音窟座標に獣顔が現れた)というものだったのである。
しかしながら何がどうなればこうした展開を招くというのか、事態はすでにシャッフルの想像を越えていた。と、ドアが、その向こうにかざされたID内容を表面に浮き上がらせる。開いたそこに姿を現したのは、いつもの部下だった。
『ご報告に上がりました』
口調はいつになく厳しい。
だからこそ、シャッフルは皮肉と笑って返す。
『これ以上に悪い知らせは想像できんな。気楽に聞かせてもらおう』
かろうじて微笑み返した部下は、淀みなく話し始めた。
『極Yから確保失敗の報告がありました。また残る座標へ航行中とも受けています』
『失敗、か』
繰り返し、言葉が足りないと部下へ視線を投げる。
『対象は現れたのか』
ならば部下は、胸のIDからすくい上げた光学バーコードを、シャッフルの仮想デスクへ転写した。
『こちらをご覧ください。報告と共に送られてきました画像データです』
すぐにも『フェイオン』崩壊現場中継を流すホロスクリーンの隣に新たな一枚は投影されると、極Yの頭部に搭載されていたと思しき視点画像は動き始める。
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