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ACTion 20 『時のちぎれる音』



  それはひとつの体から発せられているとは思えないほど、高音と低音にくっきり二分した声色だ。両極端をしっかりキープしながら実によく響くと、感触にも似た張りでアルトの鼓膜を震わせ続ける。だがしかしだ。それほどまで印象的な声、いや音であるにもかかわらず、アルトにはまるきり覚えがなかった。そして何より面食らったのは、当然あるだろうと思われていた言語がそこには含まれていなかったのである。現状はまさにライオンの独唱であり、熱唱。息の続く限り特徴的な声色を宙へ放つライオンは、まさに仁王立ちでただ唸り続けていた。
 これがあえて送られたメッセージだというのなら、それこそそこ込められた意味など汲み取れず、アルトはしばしポカンとライオンを見上げる。しかし一度きりだと思い起こし、開いた口をどうにか閉じていた。急ぎ、さかのぼれる限りの記憶を辿る。手繰り、思い出せる何かがあるのではないかと持てる限りの集中力を聴覚に注ぎ、音を吸い込み、意識を満たしていった。ならやがて音は、アルトの中で一人歩きを始める。瞬間それは、始まっていた。
 めまい。
 それとも動悸が先か。
 突如、蹴り上げられたかのように心臓は大きく脈打ち、急にピッチを上げて拍動しだす。合わせて息は止まり、それきりだ他人のもののように喉さえ詰まると、身動きひとつできなくなっていた。
 理解できぬのだから、状況は驚きを越えたパニックとなる。アルトは慌てて呼吸しようと、自由を取り戻そうとただもがいた。だがかなわず、酸欠に脳が腫れ上がってゆく感覚だけを確かとしてゆく。
 限界だと思われたそのとき、詰まっていた喉は解放されて、よじれるように肺の中身を一気と吐き出していた。そこから先は全力疾走さながらだ。鼓動を追って荒い呼吸を繰り返す。だが制御不能と拍動は止まず、体中から汗は噴き出した。治まらなければ死んでしまうのではないか。恐怖はアルトの脳裏に過り、とたんそれすら打ち砕いて、鈍器で殴られたかのごとく破壊的な一撃に、後頭部を襲われる。
 衝撃に視界さえもがぐにゃり、と歪んでいた。
 「何かが壊れた」
 直感の知らせる声を聞きながら、アルトはたまらず前へ崩れ落ちる。
 踏み止まって床へ手を突き、胸元を掴んでただ堪えた。
 はずが、あろうことかその手はズブリ、体の中へと沈み込んでゆく。まさかライオンの義顔でもあるまいし。ぎょっとして目をやり、沈んだ手で胸を探った。そこに触れるものは何もない。ままにアルトは顔を持ち上げる。そこで世界は調整中のモニターを思わせるサイケデリックさでうねり、渦巻いていた。
 様子には、わずかながらも覚えがある、と思い出す。
 なるホド。
 思い出せたからこそアルトは、苦し紛れと笑っていた。
 幻覚。
 クスリを浴びていた時にさ迷っていた幻覚と、瓜二つだと思う。
 何をいまさらと、毒づいていた。
 いや、毒づくことでともかく正気を探しあてようとしていた。その尻尾を捕らえて奥歯を噛みしめ、頼りに胸から腕を引き抜く。
 睨みつけたままの視界では、うねる世界と同様にかしいで見えるライオンが、いまだ目を閉じメッセージを再生し続けていた。
 ほんの数歩先だ。
 助けを求めてアルトはライオンへ腕を伸ばす。連なる体を死に物狂いで持ち上げようとした。だが呼応してサイケな世界もまた嵐にもまれた林のごとく、一斉に揺れ動いてアルトを翻弄する。上下を失いそうな中で、気づけば船体へ寄りかかっていた。押しやりアルトは、傾く体を支えんがための一歩を踏み出す。なら胸にあてがった手、同様だ。足もまた音もなく地面へ沈み込んでいった。それはまるで水面に敷かれていたシーツの上へ立ってしまったかのようで、足元から連なる景色全てはそのとき、一枚の絵に変わる、沈みゆく足元へと紙ペラよろしく引き込まれていった。
 状況に理解など必要ない。
 抵抗すべくアルトは体をひねる。
 勢い任せで振り上げたもう片方の足を、さらに前へ踏み出した。
 しかしその足は引き込まれてゆくシーツの上に突き刺さっただけで、あよあれよと元の位置へ引き戻されてゆく。
 上がる息に、ハナから声を出す余裕などありはしなかった。
 引き戻された足はみるみるうちに膝までを地面に食われ、もがく間もなく腰までが沈み込んでしまう。辛うじて腕をばたつかせたのもつかの間だ。地面はアルトの喉元にまで押し上がると、まさに溺れる寸前と、あごを持ち上げアルトは天を仰いだ。ならそこで世界は今や一枚の布と化し、アルト同様、窪みへ向かって吸い込まれながら、その頭上で空へ向かいたなびいている。覆いつくして朗々と、ライオンの再生する声色は響いていた。だが今や、その姿を見つけることはできない。代わってそこに、見覚えのないバナールは立っている。手入れの行き届いた連邦の制服を着込んだバナールは、恐ろしいほど冷ややかな目でそんなアルトを見つめていた。
 その目と目が合う。
 瞬間、妙な感情はアルトの中にわき起こっていた。
『シャッフ……』
 不意に言葉が飛び出す。
 が、言い切るまでもなく、視界は地面に覆い尽くされていた。けばけばしかった極彩色は霞と消え、その耳に乱暴かつ無情な響きでもってして、時のちぎれる音だけがこだまする。最後に聞くにそれは、あまりにもそっけない響きだった。


『デミを待たせて、ください』
 完璧な発音だったと、ネオンは言って自慢げに鼻先を天へ持ち上げる。モバイロがいれば、どうしても頼ってしまう造語会話だが失った今、元来耳のいいネオンにとってそれは飛躍的な上達をみせつつあった。
『おぅ、おぅ、それは気づかなんだな。好きにくつろいでもらってかまわんぞ。デミももうそろそろ下りてくるはずじゃ。なんなら今、ヒトに流行の最新美容ラインナップでも展開してみるかの?』
 半円卓で発注の後始末に追われていたサスは、思い出したようにそんなネオンへ顔を上げると手元の画面を弾いてみせる。
『おじいさん、あたし、これ以上、買い物、出来ない』
 見て取ったネオンは、やんわりその頭を振っていた。
『ほほ、そうじゃったの。わしとしたことが。ま、アルトにツケておくという手もあるが』
 はっと手を止めたサスは、慌てて画面を消し去る。それこそマズいと、笑ってネオンは肩をすくめた。様子を見上げるサスはどこか満足げだ。その両ヒジを半円卓につき、組み合わせた両手の上にアゴを乗せてこう鼻溜を振った。
『なんのなんの、おじいさんではなく、サスと呼んでもらってかまわんぞ』
『ありがとう。サス』
 ネオンは素直にその提案に従う。
『アルトから聞いたが、お前さんがデミをあの中から見つけ出してくれたそうじゃな』
『いえ、おまえさん、ではなく、ネオンと呼んでください。サス』
 言うサスへやおら人さし指を立て、片目を閉じた。瞬間、ぷくっと腫れ上がったのはサスの鼻溜だ。ちぎれんばかりに揺らすサスの笑い声は、またたくまに店内へ広がっていった。
『なるほど、これは面白い! ともかく礼をいうぞ』
『デミは、わたしを助けたです。わたしもデミを助けたです』
『さて、デミがあれだけなついておるのを、わしも見たことがなくての。最初、何者かと思ったわい』
『友達です』
 ネオンは答える。
 その言葉にサスは、アゴの下で組んだ手を馴染ませるように、しばしさすり合わせた。
『懐かしい造語じゃの。ま、知らんかったとはいえ、その友達の身内として、出会いがしらの失礼は許してもらえるかの?』
『もちろん』
 ネオンに二言はない。
『なら、その親愛なるネオンよ。このことを聞いてもよいかの?』
 とたん改まってサスは問いかけ、何をたずねられるのだろうと、ネオンは少しばかり身構えた。
『一体お前さんは、イアドにどれほどの借金をしておるんじゃ?』
 なるほど、念を押して相当の、質問はプライベートな内容だ。だがしかし今どれくらいの額が残っているのか、ネオンにも正確なところは把握しきれていない。しばし天を睨んで、使い慣れない桁のおおよそを探りにかかった。
『……八千万GK。ギルドに返さなければなりません』
 やおらサスが、椅子の上で小さく跳ねる。
『ほ、奴め、ふっかけよったの』
『フッ、かけ?』
 それはネオンにとって聞きなれない単語だ。問い返せば慌ててサスはかぶりを振っていた。
『いや、こちらの話じゃ』
 ならばとネオンは不穏な話をするかのように、サスへ身を乗り出す。声と眉をひそめた。
『わたしが逃げても大丈夫ですか? サスもギルド商人です』
『なぁに、わしには関係ないことじゃ。それ、なんだ、それはトラと本部の間の話ということじゃからな。それよりも』
 返すサスは、あっけらかんとしている。むしろ話題を早々に切り上げ、うって変わって鋭い視線をネオンへ向けた。
『万が一、アルトの船に乗ることが出来たとして、これから先どうするつもりじゃ?』
『演奏を続けます』
『なるほど、あの楽器で稼ぐつもりか』
『はい。だから売りません』
『それならどこでも歓迎してくれるハズじゃとは思うが、ちと、もったいないのう』
 サスの目が、遠く宙を睨む。様子にネオンは噴き出していた。
『なんじゃ?』
 サスが怪訝と見つめ返すのも仕方のない、それは突拍子のなさだろう。だからしてネオンは慌てて笑みを引っ込めると、なるべく真顔になるようつとめて返した。
『デミも、夢中になれば、そればかりです』
 やおら目を丸くしたサスの鼻溜が、嬉しげに歪んでゆく。
『そうか。わしの大事な孫じゃからの!』
 またもや豪快に揺らすと、心の底から笑ってみせた。そこへ飛び込んできたのはデミだ。準備が整ったのだろう。着続けていた『フェイオン』スタッフのツナギを脱ぎ去ると、サポジトリの制服を身にまといドアを押し開ける。
『おねぇちゃん、お待たせ!』
 そこに先程までの落ち込みは見られなかった。元通りと弾む足取りで、半円卓を回り込むとネオンの元へ駆けよってくる。
『おじいちゃん、ちょっと行って来るね。学校は次の船で戻るよ。それまでおねぇちゃんを案内してくる』
 ならサスはネオンへ目配せし、深く頷いてデミへと鼻溜を揺らした。
『気をつけての。帰りは、ちゃんとドックまで送るんじゃぞ』
『砂漠港の11番でしょ? じゃあビオモービル持っていかなきゃ』
 すでにネオンを引っ張るデミは、ミノムシドアを押し開けているところだ。ドアにぶら下がるガラクタの中から一本のキーを毟り取ると、ネオンの前になり後ろになり店から出ていった。
 見送り終えたサスのため息が、やおらひとりきの店内にこぼれ落ちる。
『さてと、ならわしも、仕事にかかるかの』
 呟き、一時、中断していたギルドネット端末へ視線を落とした。
 アルトへ調査を買って出た時から呼び出すことを決めていたのは、馴染みの『エブランチル』である。ひとつふたつの手順をはさめば、さきほどまでトラを映し出していたモニターにその顔は現れ、言い淀むことなくサスは向かって造語を並べていった。
『すまんのスラー、急に呼び出して。実はお前さんにおりいって探してもらいたい者がおるんじゃ。フェイオンの事故は見たか? ああ、そうじゃ。あそこに以前、客だった輩の知り合いがおっての、その行方を知りたいと頼まれた。種族はラウア。丁度その時、ネイティブ店員をしておったということなんじゃが、引き受けてもらえんじゃろうか?』


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