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ACTion 37 『告白』



「お、始まったようだな」
 ライオンが、あぐらを解いてさも愉快そうに身を乗り出す。個室の上がり口へにじりよると、腰かけそこから両足を下ろした。
 前でネオンの吹き鳴らす楽器は、うねり重なる袋の重低音を相手に高らかと弾けクリアな音色を鳴り響かせている。相変わらず音階は小刻みと縦横無尽に連なり、多勢を相手に負けじと、しかしながら茶目っ気たっぷりに歌い続けていた。
 塗膜を張り替えつつドックで聞いた時から音は、ライオンの心をことごとく掴んでいる。おかげでまたもや、体は心地よさげとリズムを刻んで揺れ出していた。精算カウンターへ戻ったボーイも同じだ。この時ばかりは、と仕事を忘れて手を打ち鳴らしている。離れて見守るデミはマネージャーそのもの、次第にヒートアップしてゆくネオンと楽団の様子を傍らから注意深く見つめていた。
 その中、演奏は、ときおり方向を見失ったようにほぐれ、舵を失った難破船のように迷走する。だが決して止まることはなく、むしろそうした荒波が訪れれば訪れるほど乗り越え的を射た互いの音色は阿吽の呼吸と、強く絡み合っていった。やがてそれは異種格闘技の様さえ呈すと、熱を帯びて見えない渦を巻き、誰にも止めることの出来ない領域へ突入してゆく。
 迫力に、いつしか花の飾りつけに追われていた『デフ6』の手が止まっていた。忙しいハズの厨房からもまた、素っ頓狂な顔をしたコックたちが顔を覗かせる。いや、そもそも無視することなどできはしないのだ。耳のみならず皮膚からも浸透してくるこの響きと、そこに込められた熱は、抗うことの出来ない興奮を皆へ伝播させ続ける。やがて見守る誰もの体を、小さく、大きく、揺らしていった。
「今日はえらく調子がいいな」
 眺めて満足げに牙をむき出し、ライオンもまたアルトへ振り返る。がしかし壁際へ背をもたせかけ両目を閉じたアルトの仏頂面に、なんら変化は起きなかった。目にしてライオンは、満足の底が抜けたような興ざめに浮かべた笑みを消し去ってゆく。
「だから一体、何だというのだ?」
 眉間に生えたテグスのようなヒゲを、ここぞとばかり逆立てた。
「いいではないか。先に靴代を出し渋ったのは、あなたの方だろう? この分だと貸した金額に利子がついて返ってきてもおかしくはないぞ。そのどこが気に入らないと言うのだ? 一晩明ければ、くれてやるだの言い出すなどと、ネオンでなくともいい気はしない話だ」
 困り果てたように、ひとつため息をつく。ままに下ろしていた足を引き上げ、アルトへ体ごと向きなおった。
 と、アルトの口元が何事かを綴って小さく動く。その声は嵐のごとく激しさを増した演奏にかき消され、ライオンの耳まで届かない。
「何だと?」
 思わずライオンは聞き返していた。
 応じてアルトがまぶたを持ち上げる。もう一度、繰り返してみせた。
「茶番なんだよ」
 それは棘もあらわな響きだ。耳にして言わしめる理由こそわからず、ライオンはしばしきょとんとしてみせる。ならば間抜けたその視界から抜け出すように、アルトは壁から背を浮かせた。立ち上がるべく丸めた瞬間、そこに差しこまれたスタンエアはチラリ、ライオンの目に映る。
 それは『アーツェ』へ上陸して以来、操縦席の背もたれに貼り付けらていたハズの代物だった。いったいどういう風の吹き回しで携帯することになったのか、とライオンは振り返る。いや、スタンエアがそうもアクセサリー感覚のものでないなら、おそらく変わったのは気分ではなく状況なのだ、と気づかされて息を詰めた。
 いつしか体は、あれほど満喫していたリズムを忘れ去っている。代わりに、茶番の意味をようやく理解できたような気がしてライオンは、間延びしていた表情を元へ戻していった。
「なるほど。だからしてあなたは、ここを早く立ち去りたい。靴代などくれてやる、というわけか?」
 立ち上がったアルトはすでに、胸の高さにまでしかない間仕切りへ歩み寄っている。戯れるネオンと楽団の様子をそこからひどく厳しい面持ちで、見つめていた。
「どうも、あなたとネオンを一緒にしない方が、彼女のためにもいいように思えてならない。あなたはすぐにもここを発て。ネオンのことは、わたしがトラとの間に入る。もう互いに運は使い果たしたはずだ。ラッキーこそ続かない」
 と、わずかにアルトの顔が振り返った。
「違うのか?」
 向かって鼻先を振り、ライオンは背中のスタンエアを示してみせる。だがのぞくアルトの横顔に変化はない。遠く近くで絶好調と跳ね回る演奏だけが、そんなふたりの間でから騒ぎを続けた。
 答えぬまま、アルトの視線はやがてネオンたちへすえなおされてゆく。
「あいつは、ドクター・イルサリの依頼で『ミルト』へ来たと言っていた」
 言った。
 しかしながらその声は正面を向いているせいか、ライオンには聞こえ辛い。自ずと体は前へ乗り出してゆく。だからして聞き違えだとは思えないのだ。だが確かに、アルトはその先をこう続けていた。
「だが、あいつを呼んだのは俺だ」
「なん?」
 思わずライオンは牙を剥き出す。
「ちょっと待て。つまり……あなたは、自分が、その、ドクター・イルサリだと言っているのか?」
 なにしろ理屈を辿ればそうならざるを得ない。ついぞ泳ぎそうになった視線を、ライオンはアルトへ固定しなおす。
「まさか、あの連邦名医の?」
 途切れ途切れに問い返した。だがそうやって大真面目に語れば語るほど、話は滑稽でしかなくなるのだから手におえない。
「一体、何を言い出す。あなたはジャンク屋ではないか。いくら軍が絡んでいそうだとはいえ、第一、ドクターはすでに死んだ。それがあなただと?」
 おかげで一杯食わされた、とやがて笑いはこみ上げ、しかしながら認めてアルトが表情を緩めることこそない。ただ低くこう言い放つ。
「なら、あんたはボイスメッセンジャーだろ。あいつを勝手にされちゃ困る。俺はそれが言いたかっただけだ」
 笑い損ねたライオンの息は、そこで止まっていた。
 楽団の奏でる低音もまた、ふいと鳴り止む。回転していた袋は今やフィニッシュと宙へ高く放り上げられ、大きく身を反らせたネオンが再びキャッチされるまでの間合いをはかり、くわえた楽器を振り上げていた。瞬間、団員達が戻ってきた袋をキャッチする。素早く吹き口を鼻へあてがったなら、これでもかと袋を吹き鳴らした。おっつけネオンもそこへ加わる。艶やかな音色を上から下へ、壊れそうなほどと綴ってみせた。
 果てのアイコンタクトは、ごく自然だ。
 息もぴったりに演奏は締めくくられる。
 しぼむ袋が、うなだれていた。
 ネオンもまた楽器からそうっと唇を離してゆく。
 余韻にさえ音色は満ちていた。
 満喫して、団員たちがとたんはちきれんばかりの笑みに鼻溜を膨らませる。ネオンもまた、心地よい疲れをにじませ大口を開け、笑い出だした。そんなネオンへ団長が、すかさず握手を求めて手を差し出す。ネオンが握り返せばすぐさまふたりは旧知の友であるかのような抱擁を交わした。その抱擁で、互いの演奏を称えあう。
 そこへデミもまた駆け寄っていた。
 傍らで手を打ち鳴らしていたボーイはどういうわけだか、涙ぐんでいるらしい。厨房の動きもいつしか完全に止まると調理着に身を包んだコックたちが、振り回して少しくくたびれた花を手にした『デフ6』が、拍手喝采、そんなネオンと団員たちを取り囲む。
 沸き起こる歓声にネオンが応じて冗談交じりと、投げキッスを振りまいていた。ひとしきり終えたなら、離れた個室から様子を伺うアルトとライオンへも、跳ねて手を振る。
 だがアルトを凝視したままのライオンに、ネオンへ答えて返す余裕はなかった。ただアルトだけが小さく手を上げ、そんなネオンへ微笑み返す。


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