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ACTion 42 『分け合う音色、突きつけられる銃口』



 デミとボーイに案内されるまま、ネオンは銅色に光る厨房を通り抜けていた。
 その姿にコックたちは作業の手を止め、感慨深げと手を打ち鳴らしている。健闘を祈るような拍手はやがて厨房一杯に広がると、丸窓のついた観音扉の前へとネオンを送り出していた。
 そこでデミとボーイは左右、扉の取っ手を握り、引き開けるタイミングを推し量って顔を見合わせる。
 最後、デミがネオンへ視線を投げた。
 ネオンが頷き返せば、デミとボーイの体は扉の影へ沈み込む。
 合図に扉は、引き開けられた。
 視界が裂ける。
 差し込む光りはネオンの目を刺し、そこに奥行があることを感じ取った瞬間だ、拍手と歓声は沸き起こった。
 遅れてようやく瞳孔が絞れてゆく。
 好奇と期待に輝く無数の瞳がそこにはあった。
 圧倒され、ネオンはしばしその場に立ち尽くす。
 我を取り戻したのは、しかしながら少しも怖くない、と気づいてからのことだった。おもねることをやめたなら、この大歓迎をあるがままと受け入ることは、あまりにたやすい。その柔らかさにネオンはただ、ありがとうと、奥の、手前の、観客たちへ返す。観客たちはそんなネオンへさらに拍手を大きくし、あっという間にフロアを極上の温もりで包み込んでいった。
 なら話したいことは山ほど、だ。
 いや、音色はいつものごとく饒舌とどこからともなく降り注ぎ、止めようなく溢れ出してくる。ままに手繰り奏でたなら、ネオンの中から失ったはずの過去は音となって鳴り響き、ネオンはその手触りを、観客は待ち望む夢を、現実のものと手にすることができた。
 そうしてそうか、とネオンはひとりごちる。
 分かち合ってこそだった。
 居場所は確かと作り出される。
 過去がなくとも未来が不確定だろうとも、生きゆく場所は今ここに与えられていた。
 デミが用意したといっていた急ごしらえのスポットライトは、そんなネオンを曖昧な輪郭で照らし出している。吸い込んだ息をゆっくりと吐き出しネオンは、その中を指定された位置へ向かっていった。共に観客の視線もまた動くと、デミとボーイが身を低くしたまま扉裏からフロアへ抜け出してゆくのを視界の端にとらえる。
 指示されていたエアシャワーブースと厨房扉の中間地点で、立ち止まった。
 見て取った客たちが打ち鳴らしていた手を下ろしてゆくのは、予感しているからだろう。その瞬間を前に、口をつぐんでまさに、身構える。訪れた静寂に緊張の細い糸がピン、と張り詰めていた。途切れさせることなくネオンは首から下げていた楽器へ両手をかける。
 見つめる客の頭が固唾を呑むように揺れ動き、同じく見つめるデミの脳裏には、『ミルト』下層での出来事が蘇っていた。
 あの時も同じだ。そうしてピタリ、楽器がネオンの手に馴染めば、ヒールの打ち鳴らすため気味のワン・ツーと共に、荒れ狂うような音色は放たれる。
 が止まる、デミの息。
 それはちょうどエアシャワーブース前だった。いつからか応対していたボーイたちは跳ね除けられると、外套をひるがえした客が四本の腕を突き出している。
 極Yだ。
 何がどうなって、などと思う暇こそデミにはなかった。
 追い打ちをかけてけたたましい音が、厨房で鳴り響く。
 弾かれ、振り返っていた。
 ネオンに釘付けだったからこそだ。客たちもぶしつけなその音に視線を投げる。
 高まっていた集中力をかき乱されたネオンもまた、そこできょとんと顔を上げていた。
 がしかし、扉の向こうで何が起こっているのかを見て取ることはできない。ただ物影のないままに、反対側、エアシャワーブースが開いていた。翻弄されて店内全員の視線は宙で交錯し、そのただなかで極Yたちが四本の腕を総動員すると、外套の中から棒状のものを引き抜く。
 長すぎる銃身ゆえ、分解して持ち運んでいたらしい。次々に組み上げて見えると、スパークショットを振りかざした。その先端で、通電が完了したことを示し、青白い火花は飛び散る。
 客たちの視線はそこで、定まっていた。
 否や、張り詰めていた緊張も、ネオンを包み込んでいたあの温もりも、全てが恐怖へと反転してゆく。悲鳴らしい悲鳴は上がらなかった。ただもつれ合いながら、客たちはフロアを後方へと駆け出す。
 取り残されてネオンはただ、アルトを追いかけここまでやって来たのかと考えていた。だが全ては唐突過ぎ、それ以上、考えが先に及ばずに立ちすくむ。
 そんなネオンへ焼けこげた電極は突きつけられる。
 弾かれ、そっぽうを向いた。
 もみ合っていたボーイだ。銃身へ食らいついている。払いのけるべく船賊は銃身ごとボーイを振り回し、離さぬボーイは決死の抵抗でネオンへ逃げろと訴えた。
 目の当たりにしてネオンは我を取り戻す。
『おねぇちゃん!』
 その耳にデミの声は飛び込んできていた。そんなデミは厨房の扉前にいる。逃げゆく客を舐めるようにネオンは振り返っていた。だがデミが見えたような気がしたところで、勢いよく厨房の扉は開け放たれる。怒涛のごとくあふれ出てきた船賊たちに、覆い隠されてしまっていた。
「デミっ!」
 傍らではついに振り払われたボーイが、精算カウンターへ叩きつけられている。鈍い音に呼び戻されネオンは、首を振り戻していた。そこでカウンターに体を預けたボーイは、もうピクリとも動こうとしない。
 捨て置き船賊たちが、ネオンへ狙いを定めなおしていた。
 逃げ去る客たちは見向きもせず、囲まれ、対峙し、ネオンはただ楽器を握り絞める。
 とその中だ。客をかき分け、逆らい、影は一直線に駆け寄ってくる。
 見て取ったネオンの目は、ひときわ大きく見開かれていった。
 アルトだ。
 そうして浮き島個室へ駆け上がり、飛ぶように渡って、立ち塞がる船賊の背へ踊りかかった。体当たりを食らわせ、なぎ倒し、力づくで割り込んでくる。
「アルトっ!」
 叫んでいた。ネオンもまた駆け出せば、その体をアルトは抱きとめる。
 腕をネオンの喉へ絡ませた。
 締め上げて身を翻す。
 それきりネオンの背へ回りんだ。
「ちょっ……!」
 のけ反りネオンは訴えるが、なおさら締め上げアルトはそのこめかみへスタンエアを押し付ける。
『動くなッ』
 そんなネオンの視界の端で、アルトの手は忙しなく動いていた。同時にこうも言ってのける。
『きさまら、それ以上、近づくなッ。近づけば、こいつの頭を吹き飛ばすッ』


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