目次 


ACTion 44 『トラ、奮起す!』



 あれほどすぐに向かうと、言っておいたにもかかわらず、砂塵まみれでたどり着いたサスの店には鍵がかけられていた。滑るオイルボードを片足で押さえつけトラは、シワの上にシワを重ね小さな目をよりいっそう奥へ窪ませる。
 そこで文字映像は、『アズウェル』へ向かったことをトラに知らせていた。そんな『アズウェル』では『ライブ』たるものが行われるらしい。もちろんネオンを管理しているトラに、その言葉の意味が分からぬはずもなかった。
『なんだと? わしを通さず仕事を取ったというのか?』
 ブルンとシワを波打たせる。
 ついで小刻みに震わせた。
 瞬時にしてトラは、その金でネオンは姿をくらますつもりなのだ、と理解する。IDも現金も所持していないのだ。ここから自力で脱出などできはしない、とかいかぶっていただけにその事実は、いや、可能性は、トラに大きな衝撃と怒り、そして思っていた以上の恐怖を与えた。
 持て余し、しばしその風貌に似合わぬほどとトラは狼狽する。翻弄されていれば今更のように、今はわしの客だと言っていたサスの言葉が脳裏へ蘇った。ふともするとすでに偽造IDのひとつも発注済みなのではないか。勘ぐる。だとすればコトはそれこそ紙一重の状況だった。何としても阻止しなければ。思い立つが早いか、シワをなびかせトラは勢いよく振り返った。
 トラにとって代わりがきかないのは何もエスパだけではない。あのオークション会場でひと目見た時から、それは始まっていた。ネオンを手放すことは、これっぽっちも考えられない。白くかすむ通りの向こうを見据え、強く地面を蹴りつける。
 『アズウェル』は、かつてデミの進学祝いに利用した店だと記憶していた。調べるまでもなく通りを真っ直ぐ、オイルボードなら三百セコンドあまりの距離を疾走する。やがて裂き続けた白の中に、デミのビオモービルを横付けした『アズウェル』の店先は浮かびあがっていた。
 が、またもや到着した店先で、トラは押し固まる。『アズウェル』のドアに掲げられた、本日は予約客のみ、貸切であること示すメッセージが、輪をかけてトラを焦らせた。
 なおさらこんな文字映像ごときには従っていられない。オイルボードを小脇に抱え、奥歯を強くかみ締める。ままに、まさに押し開けんとしてトラは『アズウェル』のドアへ手を掛けた。
 がスライドさせたのは、ドア向こうの誰かだ。
 思わずトラは、体を引き戻していた。なら開いたその向こうから、外套を着込んだ団体は姿を現す。彼らは物騒にもほどがあるスパークショットを手に手に、しかしながら堂々とトラの前を横切っていった。
 一体何がどうなっているのか。トラはしばし唖然と見送る。やがて奥から聞こえてきた覚えのある声に、はっと我に返っていた。その視線をエアシャワーブースの中へ飛ばす。あろうことか探すネオンはそこにいた。しかもラ四本腕の極Yに押さえ込まれると、暴れもがいている。にわかに信じられず、信じられないままにネオンもまたトラの目の前を通り過ぎていった。
 状況は、そこでようやくトラに馴染み始める。
 今まさに極Yは、ネオンを連れ去ろうとしているのではないか。
 なぜだという疑問は二の次で十分だった。瞬間、トラは、胸へ息を思い切り吸い込む。
「ネオン!」
 叫んだ。
 だが振り返ったのは、極Yたちの方が先だ。遅れてネオンが、暴れていたそこからかろうじて頭だけをひねって返す。
「トラっ!」
 その声はモバイロのモニター越し、悪態をつき合っていた時とまるでちがう。痛々しく聞いてトラは、抱えていたオイルボードをそこに投げ出した。
『貴様ら! 何をしている! ネオンを離さんか!』
 猛然と駆け出した。
 挙動に、極Yがトラへスパークショットを突きつける。
 警告だ。
 すぐにも引かれなかった引き金が、トラへそう気づかせた。ならば怯む必要などない。止まらずトラは両手を振り上げる。こんなことなら護身用の装備のひとつも身につけてくるべきだったと考えるが、手遅れとはこういうことで、長すぎるスパークショットの銃身を肩で跳ねのけ、極Yの小さな頭をむんず、とわしづかんだ。
『どかんか! この、コソ泥どもが!』
 抵抗する極Yの手が、四本、八本と宙を泳ぐ。暴れるたびに弾んで揺れるシワが、ことごとくそれを拒んだ。ままにトラは、雄たけびもろとも極Yの細い体を右へ左へ振り払う。もう、と砂塵は白い夜を濃くして舞い上がり、トラはその奥に埋もれつつあるネオンへ手を伸ばした。
「トラっ!」
「待っていろ!」
 ネオンの右腕を掴む極Yを引き剥がすべく、掴みかかる。
 背に気配は過っていた。
 振り返れば、見知らぬ『ヒト』を引きずって店からさらなる極Yたちが姿を表している。仲間を蹴散らすトラの見て取るなり、『ヒト』を放り出し駆け出す姿はそこにあった。
 ここでもまたスパークショットを放たないのは、ネオンの存在を考慮してのことか。身構えたトラの腹に、そんな一体のえぐるような頭突きがめり込む。たまらずトラは身を丸め、えづいた。すかさずその脳天めがけ、電極は振り下ろされてくる。辛うじて持ち上げた腕で押し止めるが、相手は複数だった。振り払った極Yたちも身を起こすと、底へ加わる。次から次へ、トラへと襲いかかっていった。
 ことごとく全身で受け止めれば、ついに膝が折れる。
 なおさら勢いづいく電極は、トラを猛打し続けた。
 トラが動かなくなったところで、その手を止める。
 が堪え、待っていたのは、その瞬間のためだった。ここぞとばかり、雄叫びもろともトラは身を起こす。
 驚いた極Yたちが、それまで打ち付けていた電極を宙に泳がせ後じさっていった。追いかけ覆いかぶさるようにしてトラは、泳いでいた電極を束と引っ掴む。引き寄せ脇へ抱え込み、唸り声と共に、右へ左へ振り回すと、スパークショットごと千鳥足を踏んでいた極Yたちを通りへ投げ捨てた。勢いのままシワを揺らし、ネオンへと振り返る。
『わしのネオンだぞ!』
 姿はすでに夜の白さで極Yとひと塊になり、区別がつかない。
 大立ち回りで舞い上がった砂塵を吸い込み、むせ返りながら、それでもトラはネオンを追いかけた。
 その頭上で、やおら空は大きくたわむ。
 漂う砂塵を吸い上げたかと思うと、そのたわみを突き破って、それは姿を表していた。上空で待機していたとしか思えない船底だ。重い駆動音が辺りを制し、船から吹き降ろされる風が、舞い飛ぶ砂塵が、町並みを、トラを、これでもかと叩きつける。
『……な!』
 吹き飛ばされそうなほどの低空飛行に、身動きは取れなくなっていた。トラは翻るシワを押さえて空を、船を見上げる。そこには見覚えのあるものが装備されていた。そう、『Op・1』の狭い事務所で見た『フェイオン』崩壊中継、そこに映っていた不審船と同様のサルベージウインチだ。
『船賊が、ネオンを?』
 船の高度はさらに下がり、よりいっそう激しさを増した風が周囲の建物を軋ませる。
 なびくシワに自由を奪われ、トラはついに地面へ伏せた。
 トラに投げ出された極Yたちはその中を、懸命に船の真下へ向かってゆく。
 ならば開かれた船底から、いく本もの磁気ハーネスは下ろされていた。飛びつき掴んで極Yたちは、引きずっていた『ヒト』もろとも船内へ消えてゆく。掴まれもがいていたネオンもまた、宙を仰ぐトラの前からまさに砂に撒かれて姿を消していった。
『ネオン!』
 叫べば容赦なく、口の中へ砂塵は飛び込んでくる。
 知ったことかと船は船底を閉じていた。最後にもうひと混ぜと砂塵を攪拌し、取りなおした進路に高度を上げてゆく。勢いに町並みはまた激しく軋み、やがて船底は白い夜の向こうへ溶けていった。
 吹き荒れていたはずの風が、ふいと途絶える。
 静けさと共に、舞い上がっていた砂塵がやがて静かにトラへと降り積もっていった。


ランキング参加中です
目次   NEXT