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ACTion 49 『奴らの手には渡さない』



 砂だらけだった。払い落とす間もなく、ネオンは倉庫か個室のような場所へ放り込まれる。動話という視覚を媒体とした言語を持つ種族ならでは、だった。白い樹脂板で囲われた三メートル四方足らずのそこから外の様子を見て取ることは、できない。
 閉じられるなり、まるで溶接でもされたかのように消えてなくなった樹脂板のドア向こうには、動話を交わす船賊が見張りとして立たされている。動話を交わし合うたび揺れる、担いだスパークショットの音がカタカタ、塞がれた視覚代わりにネオンの耳へ流れ込んできていた。かと思えば、隣へラバーソールのこもった足音はなだれ込んでくる。何かをどさり、放っただけで再び立ち去った。
 金属がむき出しの床でゴツリと音を立てたそれは、同じ境遇にあるはずのアルトの体だと思えてならない。そしてその姿は、船賊たちがトラと乱闘を始めて以降、見失ってもいた。
 ネオは咄嗟に、遮る樹脂板へと手を張り付ける。見えない向こう側を覗き込み、むしろ樹脂板に映りこむ自らの顔へ声を張った。
「アルトっ!」
 が、答えはない。
 身動きする音さえもだ。
 嫌な予感が垂れこめてくる。それは、背にのしかかって来た重みをネオンへ、思い起こさせていた。
「ねえ、そこにいるんでしょ?」
 だとして確実に言い切れることがあるとすれば、最後、見たアルトの体は焼け焦げていなかったということだ。だからネオンは、殴られただけなのだ、と考える。返事を求め、なおさら樹脂板を叩いた。
「ちょっと、黙ってないで何とか言いなさいよ」
 表の船賊たちは声に無頓着だ。制して怒鳴り込んでくる様子にない。なおさらネオンの声は大きくなった。
「アルトっ! あたしよ、ネオンだってば。この、ヘンタイ!」
 思い余って吊るされたカーゴで放った言葉を、浴びせる。その先に続く罵声を期待した。だが時は淡々と流れ、ネオンの中で心細さだけを膨らませてゆく。追い詰められて避けていた言葉はそのとき、ついにぼそりと口からこぼれた。
「冗談、やめてよ。死んだフリなんか……」
 なら立ち塞がる樹脂板の向こうだ。刹那、大きく息を吸い込む音は聞こえてくる。吐き出せば、さも苦しげにむせ返ってえづくく音が、もんどり打っているだろう音が、動くたびに床の間で砂を噛む音もろともネオンの耳へ届いた。
「アルトっ!」
 先細っていたネオンの声に、力は戻る。
「……っそッ」
 などと、吐き捨て目覚めたアルトはそのとき、部分的とは言いがたい、全身を覆う神経全てが剥き出しにされたような痛みを覚えていた。おかげで持ち上げた体を丸め、しばし不規則な呼吸を持て余すがまま、うずくまる。
 この感覚には覚えがあった。
 だが今はひとかけらの興奮剤も使用していないだけに、その当たりは強烈だ。
 大きく息を吸い込み、膨らませてアルトは体を支えなおす。振り回し起こした背を、樹脂板へ叩きつけた。そのままこすりつけたなら、樹脂板へ頭をひねって振り返る。白い板の上には凝固の跡を残したダイラタンシーベレットの、鉛を含んだ淡い灰色のシミが短く尾を引き張りついていた。
『制圧上限ギリギリの濃度かよ』
 睨みつけ唸る。オマケともうひとしきりえづき、口の中で粘っていた唾液を床へ吐き捨てた。
「大丈夫? ねえ、大丈夫なの?」
 あいだもネオンが返事を求め、繰り返している。その甲高さがカンに触った。再度、痛む体を樹脂板へもたせ掛け、アルトは執拗なまでの呼びかけに答えて返す。
「る、さいッ。んな、ワケないだろうが」
「な、なによっ! ひとが心配してるのに、その言い方ないでしょっ!」
 至極まっとうな答えのはずが、何故にかたてつかれていた。
「あのな、こっちはッ……」
 たまらず声を張り上げかけて、吸い込みすぎた息にまたうめく。吸い込みも吐き出しも出来ないほどむせかえり、まさに溺れる寸前のところで呼吸を取り戻した。潰れそうな喉を鳴らしつつ、続きを吐き出す。
「こっちは、背中に、ショットガンの弾、食らってんだよ」
「……ごめん。大丈夫って言ってほしかったから」
 聞かされたさすがに、ネオンがその勢いをひそめた。
「そんなウソ吐いてどうする?」
 詫びなどと、呆れてアルトはつき返す。
「血、出てるの? 手当てしなくて大丈夫?」
 問いへは、満を持して言うしかないだろう。
「じゃ、言ってやるよ。大丈夫だ。殺傷硬度手前の濃度、液状弾のダイラタンシーベレットを打ち込まれてる。死ぬほど痛いってだけで骨も折れてなきゃ、肉も切れてねぇ」
 お待ちかねの言葉を返した。
「そう……」
 聞いたネオンに、一息こぼすような間はあった。
「そっちこそ、大丈夫か?」
 おっつけアルトも問い返す。とたんネオンの口調に、毒は戻った。
「あたしに銃を突きつけておいて、それはないでしょ?」
 もっともな言い分だ。
 おかげで思い出し、アルトはその手元を、背中を探る。『アズウェル』へ放ってきたのか、そのどちらにもスタンエアはなかった。分かれば無駄なエネルギーを費やしたも同然だ。疲労感にどっと襲われ、探っていた手を投げ出した。樹脂板へ頭を預ける。失ったものを補うように両目を閉じた。開き、宙を睨みつける。
「仕方なかった」
 響きの後に、沈黙は訪れていた。
 当然だ。勘付くだろうとアルトは思う。
 案の定、ネオンもまた薄氷を踏むような口調で確かめてみせた。 
「仕方、ない? それどういう意味?」
 だが返事はすぐにも、返ってこない。
 否応なく探るネオンの脳裏に、経てきた怒涛の瞬間は再生される。思い出せた駆け引きに、ネオンはたちまち大きく瞳を見開いていった。
「そうよっ! あたしを盾に取るなんて、船賊に追われているのはこのあたし、ってことじゃないっ!」
 分かれば不安と疑問へ火は点き、走りだす。
「でもどうしてあたしが? 楽器が高価だから? じゃ、あなたがあたしに銃を向けたって何の脅しにもならない。それ以外になにかあるはず……」
 迷うが、そうも続きはしなかった。
「ちがう。思いつかないんじゃない。それって覚えてないだけで、彼らが、忘れたトコロからあたしを迎えに来たひとたち」
 瞬きが止まる。否や、ネオンの拳は樹脂版を叩きつけた。
「ねぇ、あなた知っているのよね? 知ってるから仕方ない、なんて言えるのよね?」
 だがまたもやアルトの返事はそこで鈍る。
「どうせ行き先は、決まっている」
 果てに呟きは聞こえていた。
「どこ?」
 ネオンは耳をそばだてる。
「ラボF7さ」
「ラボ、F7?」
 それは久方ぶりに口に出す言葉だった。思わず言ったアルトの頬へ、笑みは皮肉と浮かび上がり、ネオンが途切れ途切れに繰り返す。
 なら、白く塗り固められたこの場所もまた、あの空間とよく似ていた。嫌でも思い出される光景に、アルトの目頭は自然、きつく細められてゆく。
「フェイオンへ……」
 言っていた。
「なに?」
「フェイオンさ」
 問い返されてもう一度、頭から繰り返す。
「ラボがそこに? あたしたちは、またそこへ戻るの?」
「そうじゃない」
 否定して一息ついた。
「フェイオンへお前を呼び寄せたのは、俺だ」
 明かせばネオンの声は途切れ、息をのむような間だけがそこに、あく。
「……それ、どういうことよ」
 声は絞り出したかのようだ。 
「あたしの依頼主はドクター・イルサリを名乗ってて。あなたがそのドクター、なの……?」
 その声で、ネオンは確かめる。
「奴らはあんたを回収したがっている」
 答えずアルトは言葉をかぶせた。
「船賊のこと?」
「それだけじゃないさ」
「F7、そこにいるひとたちも、あたしを追いかけてる、そうなの?」
 向かっている場所を思い出し、ネオンがたたみかけてくる。
「だが、そうはさせない」
 アルトは言い切った。
 その一方的な言い分に、たまらずネオンが声を張る。
「なによ、ひとつくらいちゃんと答えたらどうなのよっ!」
 またザリ、と砂を噛む音はして、アルトの動く気配がネオンの耳へ届いた。
「ああ、だが俺はイルサリじゃない。イルサリは俺の代理だ」
「だったらあなたは誰? ドクターと、どういう関係があるの? 回収って何よ。戻るってことは、あたしはそこにいたってことで間違いないのね。そして、あなたはそこにいたあたしを知ってる。そうんなんでしょ?」
「あんたは知らなくていい」
 アルトの口調はそっけない。だからこそネオンは拳で、樹脂版を叩く。
「そんなわけないっ! 一体、何があったの? 何が起きてるっていうのよっ! あたしを放って、勝手にまわりで話を進めていかないでっ!」
 喚き声に、居心地悪そうな気配はまた、揺れた。
「ねぇ、あたし、ラボで、何か悪い事でもしたの?」
 問うかない。でなければ、もっと穏やかな帰郷であるはずで、不安もまた訪れはしなかった。
「無駄な想像力は、これからのために取っとけってんだよ」
 不躾な言い分が、どこかくぐもったようにネオンを言い含める。 
 甲高いネオンの声以上、『アズウェル』で食らった一撃の不快感から少しでも意識を遠ざけるべく、沿うしてアルトは目の前へ広げた拳を、握りなおした。幾度となく繰り返し、感覚を自らの中でなぞり続ける。
「……あんたは変わったんだ」
 言っていた。それは諭せるような立場でないことを重々承知の言い分だ。
「ギルドに蘇生されて星々を放浪している間、忘れたものを埋めるかのように色々覚えたのさ。帰らないで行くんなら、忘れた時間は必要ないだろ。今あるだけで十分だろ」
 触れるなと警告する。
 一通りを吐き出たネオンが、再び吠え出すことはなかった。逆に取り戻せた冷静でもってして、きびっさを増した言葉をアルトへ投げる。
「冗談でしょ。それは、あなたのための言い訳?」
 思わずアルトは、苦々しく笑っていた。どうにか感覚を取り戻したその手を振り上げる。きしむ背中をひと思いに伸ばした。どうなっているのか見て取ることの出来ない背中に、とたん激痛は走る。興奮剤がないのだから適応する脳が自ら相当の物質を放出する以外、適当な麻酔効果を得る手段が思いつかない。散らして静かに息を吐き出し、アルトはその残りでネオンへも搾り出した。
「段取りが食い違っていなけりゃ、『ミルト』の下層で出くわしたとき、あんたを放って逃げたりはしなかったな」
「盾にしそこなって、大冒険だったわね」
「安心しな。奴ら、俺と違って、あんたは生きたまま連れて帰るつもりだ」
「教えて」
 とたんネオンの口調は姿勢を正したように、改まる。
「ラボF7って何? 船賊のアジト?」
 だが実際は微妙にズレて肩透かしが滑稽だ。
「まさか、あいつらこそ踊らされてやがるだけだ」
 『アズウェル』で懸命に綴った動話での会話を思い出しながら、アルトは言った。
「これから向かうなら、隠しても意味なんてない」
 ネオンが諦める気配はない。
「知って、この状況を変えられるとでも思っているのか?」
「少なくとも、そこでわたしはどうすべきか、それが分かるわ」
 聞きながらアルトは、伸ばし終えた背を樹脂板へもたせ掛けなおしていった。
「あの続きへは戻らない」
 言い切る。
 それはあの時の決意だ。
「奴らの手には、渡さない。渡すくらいならいっそ俺が……」
 つけ加えて放てば、自ずと声へ力はこもった。だからこそネオンを前にした語尾は、あやふやに消えてゆく。しかし口にしなかっただけで、隠し切れはしなかった。
 『アズウェル』と同じだ。
 殺気を感じ取ってネオンの身は、強張る。押し付けていたはずの手のひらも、樹脂板から浮き上がっていた。足元が抜け落ちたような錯覚にとらわれ、その穴から這い出すべく、後じさる。背が対面の樹脂板に突き当たっていた。動けない。震えていると気づくまでしばらくあった。この樹脂板の向こうに居座る者が誰なのか。手のひらを返したように恐怖を覚えて、首から提げ続けていた楽器を手繰り寄せ、闇雲に抱きしめる。
 ままに、小さくなった。
 意識の中へ潜り込む。
 懸命に、なくした記憶を思い出そうと息を詰めた。
 しかしながら記憶は返らず、そうアルトに言わしめる理由が、原因が、分からずじまいとなる。分からないまま命を絶たれるのかと想像して、胸がつぶれそうになった。跳ね返してネオンは息を吸い込む。抱きしめていた楽器を身から、引き離した。黄金色に鈍く光っていたはずの楽器は今や、砂塵にまみれ膜を貼ったようにくもっている。
 手がかりがあるとするなら、これだ。
 ネオンは睨みつけた。
 今と過去をつなげるモノは、目覚めたときから当然のようにあった技術と知識とこの楽器しかない、と握りなおす。最後のリードはあのひと悶着にわずかながら裂け、使い物になりそうもない。だがかまうものかと口にした。ざらりとした砂の感触が舌先へ伝わる。かきわけネオンは、吸い込んでいた息を吐き出した。
 降り注ぐ、その一音を弾く。
 リードが割れてるせいだ。なら放たれた音は酷く、澱のような雑音が音の底でのたうった。
 新たにもう一音。
 オクターブ上げて、もう一音。
 ピッチが上がった分だけ雑音のうねり具合は激しさを増す。こもったような、それでいて今、ここを裂く叫び声のように響いた。繰り返して三音の間を埋め、新たな音を加えた。つながれば、そこにメロディーは浮かび上がる。
 描かれたイメージは、軽く時間を飛び越えていた。
 求めるものの前で、言葉が強要する時系列など役に立たない。
 論理はイメージにのまれる。
 そこに過去はある。ただ語れるようなものではいだけだ。
 だからして感じるがままネオンは音を、過去を、手繰った。白い箱のその中で、砂にまみれてなくした記憶を音と成し、吐き出してゆく。


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