目の前からネオンの体が、吊り上げられて行く。そうして開けたアルトの視界へも、グローブをはめた無骨な分隊員の手はもぐりこんできた。胸倉を掴み上げる。ネオン同様、力づくで仮死ポッドから引きずり出されていった。
すでに巡航船の後部ハッチは開かれている。なだらかなスロープが格納庫とカーゴらしきこの空間をつなぎ、格納庫からの光は逆光となってそんなカーゴ内へソリッドな影を落としていた。
『アーツェ』ならばどこへ行っても常備されている防砂壁がなかったせいだろう、おかげで薄っすら積もった砂塵が浮き上がるように照らし出されている。くりぬいて無数に散らばる足跡は、先に船を降りた極Ｙたちの気配を残していた。証拠に、あの景気よくも騒々しい動話の気配はもう、感じ取ることが出来ない。
と、立ち上がったアルトの後ろ手を、変わらずフル装備の分隊員が無造作と押し出す。粗暴な扱いに腹立ち紛れ、アルトは分隊員を睨み返した。
『長い視察だったようですね、中尉』
その耳へ、声は飛び込んで来る。
『しばらく見ぬうちに、なんと小汚い』
懐かしくも知ったそれは続けさま、アルトへも投げかけられた。
アルトは捻じれていた背を、そんな声へほどいてゆく。そこに、突き刺すような足取りで近づいてくる影を見つけいた。それだけで白衣へ沁み込んだ独特の薬品の臭いさえ蘇ってくるのだから、記憶というやつはおぞましい。着込み、神経質に吊りあがった眉が、抱えた不満も変わりなしと互い違いと歪められている。ならそれは珍しくも有り難い、稀なる光景だった。今まさに駆けつけたといわんばかり息さえ弾ませクレッシェは、そこにいる。
見つけたシャッフルが、すぐさまアルトの死角より飛び出しいった。
『これは！ このような場所にまでご足労頂き恐縮です。つきましては詳細の報告と共に、後ほど彼らの面通しをかねてこちらから参るつもりでおったのですが』
そこには、アルトにも聞いて取れるほどの言い訳がましさがあった。おかげでまくし立てればまくし立てるほど、これがシャッフルのスタンドプレーであることをアルトにさえ露呈してゆく。ならばエブランチルであるクレッシェが、気づかぬハズもなかった。むしろそれ以上を読み取ると、汲んでねぎらう真似こそ嫌う。
『結構。あなたをアーツェヘ行かせたのはわたくしです。あなたが自らの後ろめたさを気に病むことはありません』
一足飛びに結論だけを言い放った。
突きつけられてシャッフルが黙りこむ。
従えてクレッシェは、突き刺すようだった歩みを止めていた。目がアルトをとらえ、言葉もなくそこから剥ぐと、並ぶネオンへと向けた。
『わたしが造ったモノなどとは認めたくもない』
これでもかと見据えて言い放った。
思わずアルトが盗み見たネオンはそこで、覚えている限り初めて会うことになるクレッシェを何者かとうがり、見開いた両目で見つめ返している。そんな両者の間へ、多少なりとも挽回の余地を狙ってシャッフルは、再びもぐりこんでいた。
『滅菌作業はこれからで……』
『ウィルスカーテンで事足りるような汚れなら、あえて口外しません』
すぐさま指摘される見当はずれ。
確かにクレッシェのまとうコーティングの利いた白衣は、周囲の光を照り返しこそすれ、ウィルスの付着を感知してにじむはずのシミをひとつたりとも浮かべていない。潔癖はラボに勤めるものならば最重要視される資質であり、比べて明らかに荒んだアルトたちの様子に先回りしたシャッフルの行動は、まったくもって裏目に出ていた。
『これはとんだ取り違えを』
まさに手足をもがれ、シャッフルは引き下がりかける。
『これよりプロジェクトを再開します』
それこそ早い、とクレッシェの激は飛んだ。
『平行して極Ｙの塩基付加を行いますが、現体制に問題があれば、中尉、現地点で報告を願います』
『も、問題はハブＡＩの自閉のみです』
シャッフルが慌てて返している。狼狽ぶりを示し、その顔をひとなでした。知ったことかとクレッシェの口調は、なおさら早まる。
『分かりました。中尉、あなたが思い通りにできるのはここまでです。あなたはアルトを滅菌ゲルへ。その後、わたしの研究室へ来てください。いえ、あなたはわたしに話があるハズです。そこでゆっくり聞かせていただきたいと考えています』
それは十分聞き取れる造語会話だ。とたんネオンがアルトへ振り返ってみせた。言ったとおりが始まるのか、それともさらに予測不能の事態へ陥るのか、請うてすがるような瞳で、これまでにないほどの不安を噴出させる。
だがアルトに、答えられることなど何もなかった。
向かいでは手厳しいクレッシェの言いように、皮肉な笑みを浮かべてシャッフルが身を翻している。
睨みアルトは、唇を噛んだ。
ここまでくれば、遅かれ早かれそれは知れることなのだ。
案の定、歩み寄ったシャッフルもまた、クレッシェの指示通り滅菌ゲルへ連れ出すべくその体へ腕を伸ばしている。迷うことなくネオンを掴んだ。
「え？」
ハッチの外へ歩き出す。
「うそ。ちょっと、わたしはっ……！」
よもや自分だと思ってもいなかったネオンの声は、素っ頓狂だ。
「何、違うってば、どーなってんのっ？」
動転して繰り返せば、見送るアルトの耳にその声は刺さった。
「痛い。これ、違うってばっ！ でしょっ？ アルトっ、あたしはネオンだって、言ってやってよっ！」
たまらずアルトも叫び返す。
「決めたんだろうがッ。忘れた時とはさよならするって。ボルシチ食いながら俺は聞いたぞッ。だったらお前はこれからもネオンだッ。それ以外、信じるなッ」
「言ってる意味が、わかんな……」
そこでネオンの声は途切れた。シャッフルに押し込まれるがまま、くぐった壁際のウィルスカーテン奥へ姿を消す。とたん力尽きたような沈黙が、後味の悪さを引きつれカーゴ内でふくれ上がった。かき乱して互いの距離を詰めたのは、クレッシェだ。
白衣が縮まる距離に比例して、見えない雑菌を感知したその表面をまだらに変えてゆく。あっという間に七色のマーブル模様はクレッシェの胸元に広がると、無表情すぎた白衣に個性さえを与えてみせた。それは同時にまとうクレッシェの表情さえもを一変させると、毒々しくも禍々しい色合いに縁取られたその顔を、アルトの中で身もすくむほどの怪物と重なり合わせる。その怪物は、決して荒々しさを露呈することのない穏やかな瞳で、静かにアルトへこう語ってみせた。
『あなたがアルトなどと？ どこでどう入れ替わればそんなことに？』
この感情が伝わらぬハズもない。ならばとアルトもまた言ってやる。
『イルサリが、とうとうしくじったのかもしれない。記憶をマークしても、それだけは覚えていたらしくてね。気付けばそれが俺の、名前になっていた』
クレッシェの上に広がるシミは、もう白衣の肩や袖口までをも覆っていた。極彩色を巧みに絡ませ、蠢き、目にも鮮やかにサイケと競い合っている。
『取り繕うことのない回答は大歓迎です』
揺らしてクレッシェは目の前で立ち止まっていた。その口調をひと思いと厳しいものへすり替える。
『ですが、イルサリはこれまで一度もしくじったことなどはありません。それはあなたが一番よく知っているハズです。それほどまでに気がかりならば、背のモノはお捨てなさい』
やおら見えるはずもないものの存在を、指摘してみせた。
やはりお見通しだったらしい。
『使い損ねたまでさ』
めいっぱいに茶化してアルトは返す。
おかげでようやく気づいたらしい。分隊員が、突きつけられた自らの失態に慌てふためきアルトの腰周りをまさぐった。あっけなくも発見されたスタンエアは、そんな分隊員の手によって装填済みエアを開放されてしまう。白衣のポケットからガーゼを取り出したクレッシェヘ、手渡されていった。
受け取ったクレッシェは、じつにつまらなさそうだ。スタンエアを一瞥し、アルトへその顔を向けなおす。
『なるほど。ならばここでもう一度、あなたと共に確認しておかなければならないことがあるようですね』
持ち上げるスタンエア。
『よいですか？ 二度と忘れぬよう、その頭へ叩き込んでおきなさい』
言ってねじ込むように、アルトの額へその銃口を押し付けた。
感触に、空砲だと理解していてもアルトの全身に緊張は走る。
『あなたはラボ従事者としてヒト胚から抽出された連邦所有合成塩基の有機体。当ラボにてわたしが合成した塩基ナンバー１１ セフポド・キシム・プロキセチルです。我々のれっきとした所有物であることを、少しは自覚なさい。大事なデータを連れ出すどころか、盾にとって脅そうなどと身の程知らずにもほどがある。確かに、あたなたのその行動力と自発性は、同様に合成、生成され続けた有機体の中でも特に高く評価するに値します。ですがそれが今後も裏目に出続けるというのなら、空砲ではなく今度こそ実弾を打ち込まなければならなくなる』
同時に引かれるトリガー。
覇気のないエア音がアルトの、いや、セフポドと呼ばれたその額で漏れ出した。
否応なく心臓は跳ね上がって、アルトは息をのむ。
見定めクレッシェは腕を下ろした。
『そうならぬことを願っていますよ、セフ』
やたらに甘い声。
久方ぶりの名と共に、それはやけにアルトの耳に絡んで障る。
『あなたはそうするに口惜しいほどの出来栄えでなのす。二度、同じように仕上がるか、わたしにも自信はない』
ぬけぬけと言い放つ様こそが怪物だった。
『それは光栄なことで』
それが精一杯の抵抗だ。十分に伝わったのだろう。
『詳細は問い詰めません』
聞き流すクレッシェが、うごめくサイケな白衣を翻していた。
『さて、あなたにこれ以上無駄な時間を与える余裕はありません。すぐにも自身がラボへ与えた損失の埋め合わせにかかっていただきます』
つまりはシャッフルに告げたとおり、プロジェクトの再開へ着手しろということらしい。
『ハブＡＩの自閉は解かない』
矢継ぎ早、アルトは言い放っていた。それはクレッシェの一足飛びな話しぶりを真似たつもりだ。だがクレッシェは目を丸くすると、笑い出しそうに天を仰いでみせる。
『あなたは自分の言っていることを分かっているのですか？』
否や、緩めた表情へ険しい影を落とした。心底冷えきった視線でアルトを射抜く。
『この、愚か者！』
自らに向けられたわけでもないというのに、アルトの背後で食らった分隊員が小さく跳ねていた。
『あなたが拒むと言うのなら、もとよりアルトは量産体勢に入る予定のモノでした。リスクは背負うもののマスターを潰して解析を進めるまでです。どうです？ まだ先を言わねばなりませんか？』
持て余していたスタンエアを、そんな分隊員へ押し付けるようにクレッシェは突き返す。手を乱暴に、極彩色の白衣のポケットへ突っ込んだ。
『いいですか、あなたが踊らされているものを、今ここではっきりさせておきましょう』
などと放たれる正論は、今さら聞くまでもないものだ。だからこそクレッシェはあえて見せつけ、はっきりさせようとしている。
『それは同郷と同胞。その野蛮で泥臭い幻想と誤解に他なりません。もちろん、あなたにそれはない。あなたはそのようなこだわりが生み出す軋轢、それを解消するために生成されたラボ従事者であり、ラボそのものが今後の世界のあり方のモデルグループなのです。少しは頭を冷やしなさい。あなたがあてられて何になるというのです。今この状況こそ、わたくしの最も不愉快とする現象だ』
耐えられないと言わんばかり、顔をそむけた。それでもどうにか噛み潰し、クレッシェは横目にアルトをとらえなおす。
『いいえ、だからこそあなたはハブＡＩの自閉を解かなければならないハズです。丸見えなのですよ。たとえ機会があったとしても、あなたがアルトへスタンエアを使うようなことはしない』
試すように再度、その名を呼んでみせた。
『違いますか？ セフ？ そこには、あなたがこだわってやまないものがある』
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