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ACTion 59 『ネオンとネオン』



『真っ直ぐ歩け』
 光線の色が異なるウィルスカーテンをさらにもう一枚、潜る。陽光線に焼き付けられるようなジリリとした感触が襲ったかと思うと、どこからともなく焦げたような匂いが立ち上り、ネオンの鼻先をくすぐっていた。
 『エブランチル』らしき白衣の前から立ち去ってすぐ、ネオンの腕を引く青白い顔の『バナール』は態度を一変させている。卑屈なまでにかしこまっていた自らへの怒りを噴出させると、容赦なくそれをネオンへぶつけていた。対抗できる余地などないなら、自分がネオンであることを訴え続けることにも精根尽き果て、ネオンはただ成すがままに振り回されると細いかかとを通路へねじ込む。
 通路は整然と伸び、ふたりの行く手を遮る者は現れなかった。
 恐らくこれが最後だろう。床から天井へと差し込むウィルスカーテンがまた、現れる。
 潜り抜けそこに扉はあった。いや、隔壁ともとれるそれは頑強な造りの壁だ。そしてそこには数種類の言語でもってして、何事かが記されていた。辿り、ネオンは視線を走らせる。読み取れた文字は「F7」だ。それは自分がかつていただろう場所の名前であり、そして連れ戻しに船賊が現れ、『フェイオン』が没し、軍が姿を現した元凶の、そうはさせないとアルトを言わしめた場所の名で間違いなかった。
 ネオンの胸がひとつ大きく脈打つ。身に覚えのないタブーが、決めようのない覚悟を性急に求めてネオンの中を駆け巡った。
 知る由もなく『バナール』は、慣れた手つきで胸元の階級章を外している。扉の脇に開かれたリーダーへかざした。音もなく読み取りは完了し、停電とは無縁の循環式光粒子ロックがプリズムを反射させる。遮られた循環粒子に跳ね上がったロックは解除され、重いはずの扉はしかしながら滑るような動きで、静かにスライドしていった。
 やおら先を争い、奥から独特の薬品臭が流れ込んでくる。とたん胃の腑にこみ上げてくるのは、条件反射にも似た不快感だ。それは深い深い部分、獣が炎をおそれるような原始的な恐怖としてネオンを襲った。腰が引けるとはこのことだろう。ワケもわからぬまま、すぐにも逃げ出したい衝動に駆られネオンは身をよじる。踵を返せば、掴まれていた腕がねじれた。だが、今感じている恐怖に比べればその痛みなど、どうということはない。かまわず『バナール』を振りほどこうともがく。
『ここまで来て、てこずらせるな! この筐体が!』
 やおらその腕を掴みなおした『バナール』が、罵声を浴びせていた。大きさに、振り返ったネオンの横面を、叩く。衝撃と頬を走る痺れに戦意の全てを削がれ、ネオンは崩れるようにその場へうずくまっていった。それすら許さず『バナール』は、立たせてネオンを『F7』の中へ引きずり込んでゆく。
 と、どこからともなく聞こえてきたのは、数多くの造語の話し声と、機械の吐き出す熱風の、遠く近くに迫る嵐のような音だ。重なり行き交う靴音もまた、そんなネオンの回りで慌ただしげに交錯し始めた。
 縮こまっていた胸元から、ネオンはおずおずと顔を上げてゆく。恐る恐る、辺りへ視線を這わせていった。ならハレーションを起こしたかと思うほど白く、整然と仕切られた風景は飛び込んでくる。遠近感が消えたようで、ネオンは目を瞬かせた。だが聞こえてくる数に見合ったモノ影こそ見て取れず、全ては左右に立ち塞がった仕切り向こうにいるのだ、という事を理解する。
『まさかクレッシェが格納庫にまで出向くとは。わたしもヤキが回ったものだな』
 その中、進行方向一点を見据えた『バナール』がぼそり、吐きだしていた。
『あたしを、どうするつもりなの?』
 体中の力を振り絞り、ネオンは問う。造語に、驚き『バナール』が振り返っていた。見下ろす眉間をきつく狭め、また前へと向きなおる。
『外をフラついているうちに造語を覚えたというわけか。まぁ、しかるべき結果ではあるな。耳を良くしたのは我々だ』
 求めている答えはそれではない。訴えネオンは歩みを止めた。
『どうするつもりなの?』
『止まるな、歩け!』
 だが、抜けんばかりにまた腕は引かれ、上体をさらわれネオンは再びどこへ向かうやも知れない『バナール』に寄り添わされる。
『どれもこれも、一人前の口をきくようになりおって。これが今後のリハーサルだったとしたならば、記憶マーカーによるメンテナンスの頻度は想定回数より増やさねばならんようだな。となれば何よりハブAIの通常稼動が必至か』
 ひとり言と『バナール』がまくし立てていた。
『貴様が知りたいと思えるのも、このひと時だけというわけだ』
 いまいましげと、その目ををネオンへ向ける。
『ならば教えておいてやろうではないか』
 言葉は意味ありげで、ネオンは息をのんでいた。『バナール』は、そんなネオンへ淀むことなく話してみせる。
『我々はこれから貴様の量産体制に入る。何もラボとて貴様を失って、ただあてどなく探しまわっていただけではない。ダブルワン塩基は、クレッシェのあのうんざりするような詳細な記憶に基づき、再合成された。元に筐体は規定数、生成済みとなっている。あとは試行錯誤を重ね組み上げた貴様の脳細胞マップを三次元ダビング、イルサリを通して各筐体内に形成させるだけだ。もちろん、その忌々しい自我を調整したうえでな』
『きょうたい……? イルサリ……?』
 飲み込めぬネオンの口調はぎこちない。
『ここから連れ出される前の状態にリセットせねば、全くもって使い物にならん。疑問に不安を抱くことも、抵抗を試みて痛い目をみることも、それまでの不自由というわけだ。次に目を覚ました時は、その一切とは無縁となる。ただし……』
 とそこで『バナール』は足を止める。通路突き当たり、この区画の最も奥に位置する手動の物理ロックへ手を掛けた。歯車のようなそれを片手で回し始める。
『それはヤツがハブAIの自閉を解いた場合に限る。拒否するようであれば……』
 キリキリ音が鳴るたびに扉は壁面から浮き上がり、やがてガタリという音と共に手前へ落ちると開いた。上部にはベアリングが噛まされているようだ。吊られた扉を『バナール』はスライドさせてゆく。隙間から、青白い光は漏れ出していた。呆然とするネオンの靴先へ、かかって照らし出す。
 ここに、覚えはある。
 それは彼方から降り注ぐ音と同じだった。
 とたんネオンへ確信は、どっかと降る。
 かまわず『バナール』が、扉の中へ身を潜り込ませていた。最後、一言をネオンへ綴てみせる。
『貴様は物理解体され、二度と目覚めない』
 聞き逃しそうになり、ネオンは咄嗟に顔を上げていた。同時にネオンもまた、扉の向こうへ引き込まれる。そこに空間は漏れた光のまま青白く、薄ら暗いまま広がっていた。装飾は一切、うかがえない。ただ偏光アクリラに覆われた蒼い柱が、一点透視法よろしく奥まで延々と並んでいる。何をそうまで支えているのか、果ては見えぬほどと、数はおびただしかった。他に誰も見当たらない。
 『バナール』が後ろ手に扉を引き寄せ、閉めている。
 立て続け、それまで固定され続けていたネオンの腕の物理鍵を解いた。
 それだけで気が抜けるほどにほっとすれば、『バナール』は最も手前の柱根元を荒々しく蹴り上げる。柱は破裂したかのように割れて観音扉を開き、『バナール』は開いたそこへゴミかとネオンを投げ入れた。肩幅ちょうどの空間に、頭をぶつけてネオンは顔を歪める。文句のひとつも飛び出しかけて、閉じられた観音扉にそれを遮られていた。目の前が、囲う柱の蒼一色に塗り替わり、出して、と両手をアクリラへ張りつけたなら、、陳列物でも眺めるかのように『バナール』の歪んだ顔は中をのぞきこむ。
 と、ネオンの足元から液体は湧きだしていた。いや、滅菌ゲルだ。すぐにも膝を覆い、腰を浸し、やがては喉までにせり上がってくる。止まることなく柱の中を満たしてゆけば、ネオンの頭を超え、やがて満杯となった。
 反射的の止めた息が、限界を迎えるにそうも時間はかかっていない。
 吸い込み、溺れたと錯覚すれば、しばしその慣れない感覚にパニックを起こして肺がゲルに浸され膨らむまで、ネオンは柱の中でのたうった。おさまれば、比重の高いゲルの中、ふわり、浮き上がる。
 見届けた『バナール』が、踵を返していた。恐らく格納庫で言っていたように、あの白衣の元へ向かうのだろう。呼び止めネオンは何度も拳で柱を叩きつける。声が出せないのだから、代わりとばかり鈍くこもった柱の音を辺りへ、響かせ続けた。
 しかし『バナール』は振り返らない。やがて扉の向こうへ『バナール』の背は消え去るる。無力感に襲われネオンは、叩きつけていた拳を下ろしていった。なおさら体がぷかり、再び柱の中で心地よいほどに浮かび上がる。
 静かだ。
 それは時間が止まってしまったような、静けさだった。
 ネオンの思考もまた、そこからぴたり進まなくなる。
 むしろ頭のどこかが拒否しているかのようにぼやけて膜を張ると、二度と目覚めない、というくだりだけを回転させてネオンをそこへ閉じ込めた。
 ままにネオンは初めて辺りへ、頭をひねる。
 そこに映りこむ自分を見た。
 おや、と思う。
 何しろその自分は、何も着ていない。
 何かがおかしい。
 ネオンはしばし目を瞬かせた。
 そして、見ているソレは、映り込んだ自分の姿でないことを理解する。
 全く別の、もう一人の自分だ。
 入室者がいなくなったことで室内照明が絞られたせいだろう、今ならどの柱の中も透けて見えていた。まさか、と目をやった見える限りの全ての柱には、裸の自分が収められている。
 驚きのあまり、ネオンはひときわ大きく滅菌ゲルを吸い込んでいた。後ずさるがその余地はなく、勢いよく柱へ体をぶつける。その拍子に響いた音は、ゴツンと鈍かった。刺激されて、それまで静かに目を閉じていた全ての自分は、やおら目を覚ましてゆく。隣でも向こうでも、次々瞳は開いてゆくと、何事か、と不快を表すでもなく微笑むでもなく、同じ瞳で一斉にネオンを見た。
 囲まれ、ネオンは自分の中で何か砂のようなものがサラサラと流れ落ちて行くのを、感じ取る。そのまま溶けるように声もなく、大勢の中でたった一人だけ、その目を閉じていった。


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