目次 


ACTion 64
『ハッピーバースデイ アルト
獅子の口は真実を語る』



『クソ、リーダーを破壊されたか』
 分隊長は起き上がる。
 残る一体の分隊員もミラー効果を解くと、クレッシェの前に立ち塞がる格好で姿を現した。
 最高濃度にまで引き上げられたダイラタンシーベレットを食らった分隊員は動かず、腕をはずされた分隊員だけが、いまだ途切れ途切れとうめいて床をのたうっている。
 取り急ぎ分隊長は閉まりきったドアへ駆け寄り手を添えた。だが予想通りと、ドアはびくともしない。奥にクレッシェ専用の合成塩基デザインルームを備えたここは最重要機密区画、プロダクトルームとハブAIことイルサリが構成するラボ最深部だ。他に余計な出入り口などあるはずもなかった。
 分隊長はクレッシェへ振り返る。
『待機中の隊員に追跡させます』
 呼びかけに、クレッシェは我を取り戻したようだ。張り詰めた緊張にのんだままの息を、腹の底から吐き出してゆく。
『勝手な世迷言に付き合うのは、もうたくさんです。結構。本艦からの離発着船の監視を強化。所詮、ここから外へ出られる道理などないのです。しかも被弾しているなら、そう動ける身でもないでしょう。同じような失態を繰り返すつもりはありません。慌てて追わずとも確実に追い詰めることを優先させます。ともかく、まずは待機中の者にここを開けさせるよう指示なさい。全く、わたしの恩義をなんだと勘違いしているか……!』
 独り言のように付け加え、スリープさせていた仮想デスクを再起動させた。なら浮かび上がったデスクへ二重螺旋の塩基は灯り、続けさまプロダクトルームの進行状況を伝えてメールが滑り込んでくる。動揺の欠片も見せずにすくい取ったクレッシェは、軽快な手つきでそれを展開していった。
 それ以上、見向きもしないクレッシェに答えて返す間合いを失い、分隊長はシャッフルに毟り取られた無線機代わり、介抱につとめる分隊員へ外部に連絡を取るようアゴを振る。陰鬱な気持ちは、仕事であればこそ割り切れるモノだろう。出ないなら、と考えその目を細めていった。


 そんな部屋を後にしたシャッフルは、目の前のドアがスライドするや否や、いつもならありえないだろう警戒ぶりで辺りを見回す。だが研究員たちは、ここプロダクトルーム中央にそびえ立つ樹を取り囲んだきり、一心不乱と作業へ没頭すると誰もシャッフルに気づきさえしなかった。つまりまだ何も知られていないのだ。シャッフルは見て取る。
 スタンエアを懐に、痛む足を隠して精一杯、背筋を伸ばした。舐めるように見回していた視線をプロダクトルーム奥、生成された塩基保冷庫へ投げる。めざして歩き始めた時だった。その背に声はかけられる。
『あ、シャッフル軍医、お戻りでしたか』
 振り向けばそこに研究員は立っていた。あまり覚えのないその顔は、事件以来に合成された有機体だろう。取り繕うでもなくシャッフルは、純粋に確認して口を開く。
『段取り通り、いっているな』
『はい』
『トパルはどこへ行った?』
『処置室で説明を……』
 答え研究員が、右手壁面にはめ込まれた窓の向こうへ視線を飛ばす。だがそこにトパルの影はない。代わりに、ベッドに横たわた処置着の極Yと、塩基負荷用の周辺機材を手際よく準備してゆく研究員二体が見えていた。
『ああ、どうやら他の極Yを別室へ案内しているようですね。お急ぎの用件でしょうか?』
『いや、かまわん。分かった、仕事へ戻ってくれ』
 シャッフルは首を振って返す。何、疑問を抱くことなく一礼した研究員は、目指す保冷庫とは真逆の方向へ立ち去っていった。見送りシャッフルは、思うように動かぬ足を繰り出す。改め保冷庫へと向かった。
 扉を押し開け中へ潜り込む。
 そこには細い通路が一本きり、伸びていた。独特の湿気を伴うニオイが充満し、閉めた扉にプロダクトルームの喧騒は遠のくと、保冷庫のエアダクトから漏れるガス音だけが、呼吸にも似たリズムでもってして辺りにこだまし始める。
 シャッフルは健常を装う必要のなくなった体で、立ち並ぶ厳重極まるウィルスカーテンを壁伝いに幾重もくぐり抜けた。
 果てに現れた、霜の付着した保冷庫扉のキーパネルを弾く。
 アクセスコードは生きていたらしい。扉周囲へ三重に敷かれた物理ロックが響かせる、物々しくも豪快な解除音を耳にしていた。
 扉脇に掛けられていた防寒コートを取る。袖を通せば扉が足元へ吸い込まれていった。やおら中から白く冷気は溢れ出し、同時に灯る作業灯が、その向こうで稲妻のように瞬くのを、シャッフルは見る。
 片足を引きずり冷気を裂いて、シャッフルは保冷庫内へ足を踏み入れた。ややもすればラベリングされた生成前の塩基に細胞が、ホロタグを添付した状態で目の前にズラリ並ぶ。傍らで、それら数の多さを考慮して据えられた検索用の端末が、ぼんやり光を放っていた。だが今、そんな端末に必要はない。
 シャッフルは直接、目当ての棚へ向かう。
 それは手前から四つ目だった。頻繁に使用するため目の高さに場所をとった代謝促進媒体は、有機体の生成時、時間短縮、または調整をかねて使用する薬液である。
 手に取り防寒着の内側、軍服のポケットへシャッフルはそれを落とし込んだ。しばし休息さえ取ることができれば、ダイラタンシーベレットによって受けたダメージを素早く回復させることができるはずだ、と考える。あとはその時間を捻出すべく、身を隠す場所を探すのみだった。吐き出す白い息をまとい、シャッフルはひとたび保冷庫の外を目指す。


 磁気鍵のコイルへかけられてゆく電圧が、鈍い音を立てていた。
 解除は外部からのみ。ネオンが目覚めたとしても、外へ出ることはかなわない。
 今はそれでいいと、アルトは思っている。そしてまだ中身が半分近く残る薬剤を処分すべく、プロダクトルームに並ぶ処置室近く、通路をオフィスへ向かった。
 ついに極Yの塩基負荷が始まったのだろう。目指すオフィスから、塩基負荷用の周辺機材を乗せたエアフロートのストレッチャーを押した白衣たちが出てくる。それほど広くもない通路ですれ違い、入れ替わりでアルトはオフィスへ入っていた。
 他者の姿はない。
 吊るされていた薬剤を、ダストシュートへ落とし込む。用のなくなった支柱の止め具を緩め、折りたたんで同じ機材の並ぶ棚へ押し込んだ。一息つき、辺りを見回す。
 塩基負荷用の周辺機材はまだ四セット、部屋の片隅に並べられていた。使用される薬剤はその傍ら、古めかしくも手書きの棚に積み上げられおり、下にディスポーサブル、使い捨ての周辺機材もまたストックされていた。
 反対側へと頭を振れば、プロダクトルームが稼働しているせいだ。連動するホロスクリーンが壁を埋めて立ち上がっている。その下方、碁盤の目と仕切られたマス目に、解析の終わった塩基データは一時保存されていた。極Y塩基と付加用声帯塩基、そしてネオンの複製塩基がホロタグを揺らし、収納されているのを目にする。
 歩み寄り、アルトはその中の一つ、ネオンの複製塩基タグをつまんだ。ゆっくり手前へ引き出せば、連なりスクリーンから相当する二重螺旋は姿を現す。目の高さへ掲げ、出来を確かめ手首をひねると、その全体へ目を通していった。
 悲しいかなそれは、理解し尽くせるモノとしてアルトの前で淡く光を放ち続け、眺めて走らせる思考は、そんな理解の及ばぬこれからについてだった。
 イルサリの自閉解除を拒否し続ければ、ネオンは間違いなく物理解体されてしまうだろう。いや、極Yの塩基負荷が一段落すれば、おそらくラボ総出でそれは始まるはずだった。
 逃れるとしてここラボ『F7』は、情報のみならず物理サンプルの収集に伴いひとところに留まることのない医療船、通称『ビアンカ』と呼ばれる白い船の一角にすえられている。生身のまま外へ出ることなどできるはずもなく、艇を出すには船の中枢である管制を経て格納庫を解放する必要があった。だとして何一つ準備がない今、力づくなど無謀以外の何物でもない。そしてしくじれば今度こそ、スタンエアを突きつけクレッシェが言い放ったように、その場で全ては終わるに違いなかった。
 なら今すぐネオンの元へ戻り、眠る間にも始末をつけるかと考える。だが段取りを巡らせただけで、立ちすくんでもいた。
 覚えた恐怖は一瞬で消化される死より寒々しく、耐え難い。諦めることができないのも、分の悪い戦いを押し通すことも、全てがその恐怖に起因していた。そしてこの世に生まれ落ちた限り、己が己であると意識の続くその限り、後戻ることが許されぬ誰もがこの恐怖から解放されることこそありえないだろうと感じ取る。己を己たらしめる、言葉に解けぬからこそ代わりの利かないこの世に一つのそれを、たとえそれが次の争いの引き金になろうと、やすやすと手放せる者など誰もいないはずだった。
 譲れぬ争いの、理解しえぬ隔たりの、潰えぬカラクもおそらくそこにあると考える。だが一方で我を通そうとすればこそ、互いが互いへ理解を強いてきたからこそ、争いながらもこうして世界は可能性を広げてきたのではなかろうか。
 わずらわしさをかいくぐる。
 今、必要なものは、そのせめぎ合いが生み出す「可能性」だ。
 必要以上の力をこめ、アルトは再びホロスクリーンへ二重螺旋を押し込んだ。
 なら最後まで戦うのみ。
 仕掛けるとすれば、もうそこしか手は残されていないと眉間を詰める。
 返したきびすで、跳ね除けるようにオフィスのドアを押し開けていた。猛然と二枚のウィスルカーテンをくぐり抜け、あの騒動で内装を変えたラボ内の、見慣れない景色だが慣れ親しんだ距離を今一度、辿る。据えられたクレッシェの部屋を迂回する格好で右折し、やがて現れた袋小路の、幾度となく出入りしたイルサリリンクルーム、その防磁ドアを開け放った。
 音に弾かれ、イルサリの監視を続けていた白衣が驚き、振り返っている。その向こうには、せり出すような格好で露出した球形のイルサリ本体が、変わらず黒々とのぞいていた。基本的に視覚や手作業による操作を必要としないこの部屋にはそれ以外、ホロスクリーンも、それを操作するべく各種端末もありはしない。あるのはメガーソケットと呼ばれる脳磁気読み取り装置が四基、イルサリを背後に並ぶのみと、シンプルを越えた殺風景な場所でもあった。
 そんなメガーソケットは、どうやってこの狭い空間へ入れたのかと思うほど高い背もたれがついた、一見するとラグジュアリーな椅子である。だが腰掛ければ頭部があてがわれるだろう部位には、無数の磁気検出コイルが張り巡らされ、すでに三基へ白衣は横たわると、高い背もたれを折り曲げ頭全体を覆い、まるでバケツでもかぶったような見た目でリンク中の体勢をとっていた。
 アルトは空いている最後一基へ歩み寄る。
 遠慮することなく腰を下ろした。
『何を? か、勝手なことをされては、困る』
 見覚えのないアルトに、振り返ったばかりの一体が慌てて声を張り上げていた。だとして向かえ撃つアルトに、付け入らせるようなスキこそない。
『俺は、コイツを自閉させたセフポドだ。今からコイツの自閉を解く。質問があるのなら、それはクレッシェに確認してくれ』
 張り過ぎていた腰あて部分のエアを抜き、埋まりこむようにソケットへもたれかかった。跳ね上げられていた高い背もたれへ手を伸ばし、引き寄せ折り曲げた。閉所恐怖症なら全くもって問題外だろう。背もたれとの間に挟みこむように、頭部を覆って固定する。
 合図にメガーソケットは起動していた。アルトの耳元で羽虫の飛ぶような細い駆動音は鳴り響き、遠ざかれば閉じたまぶたへ光は投影されると、薄ら白く視界は口を開き始める。
 それはまるで澄んだ流れの中を泳ぎ抜けるようなイメージだ。
 そうして開いたその先の、裂けてたなびく様はライオンの鬣のようにも見えてならない。
 アクセスコードを要求するイルサリがたなびく鬣の中央へ、ゴーサイン代わりのアイコンを点滅させていた。
 だとして、感知させる音も打ち込むべく文字も必要ない。
 ネオンへ志向性の矯正を施するたび、新たに生まれ変わること祝って唱えた、これはイルサリへのログインコードだ。
 アルトはただ胸の内で静かにその言葉を唱える。
 ハッピーバースデイ アルト 獅子の口は 真実を語る、と。


ランキング参加中です
目次   NEXT