用のなくなった電子地図を、ツナギの尻ポケットへ押し込んだ。
『さぁて、どうみても、わしらが主要二十三種に見えんことは確かじゃ』
通路を目指す方向へ進む。
『最初はともかく、遺体を引き取りに来て迷い込んだとトボけるぞ。なに、もうろくじじいの芝居なら、わしにまかせておけ』
『ならわしは、さしづめモディー路線でゆくか？』
サスが息巻いたなら、トラも負けじと吐いてみせた。
歩く通路は見通せる限り誰もいない。都合に合わせて作りつけたいきさつをうかがわせ、規則性も何もない分岐を左右に伸ばしている。壁面など、船の外観からでは想像も出来ぬほどケチ臭く、どうにも的はずれの注意を促すホログラムメモが張り付き、焼けたホロスクリーンを灯していた。どう見ても管理はずさんだ。サスのみならずトラさえ見とれていたところで、声はあらぬ方向から聞こてくる。
はっ、と我にかえったトラとサスに緊張は走っていた。
足は止まり、おのずふたりは辺りを見回す。
見つけたわき道へ急ぎ、身を隠した。
ややもすれば目の前を、『ホグス』と同じ軍服を着た『バナール』三体は通り過ぎてゆく。息を潜めるトラとサスに気づくことなく、霊安所へは向かわずまた別のわき道へと姿を消していった。
『聞こえとったか？』
見送りサスが、隠れていたそこから頭をのぞかせる。覆いかぶさりその後ろから、トラもまた身を乗り出した。
『またＦ７で発砲騒ぎがあったらしいとか、聞こえたぞ』
『うむ。アルト、かの……』
サスの鼻溜が渋く潰れてゆく。
『縁起でもない。そのジャンク屋はネオンの頭を吹き飛ばすとか、言っておったのだろう。たとえ相手が違っていても、発砲されては困る』
もういいだろう。ふたりして通路へ戻った。
左右を見回し、サスは誘う。
『次を右じゃ』
ふたりして三叉路を折れた。
とたん内装は百八十度、様子を変える。これまでが嘘のように通路は広くなると、床に壁に天井へと有機媒体のウォールペーパーは張り巡らされた場所に出る。異質なニオイはシャットアウトされ、はめ込まれたホロスクリーンも明るく灯ると、スクロールする情報も整理されていた。
管理の管轄が変わった。
思わずにはおれない。だからこそ通路へ踏み出す前、うがるサスの足は止まる。
『監視カメラでもあるのではないかの？』
『あったところで広い船内、誰が全てを見張るというんだ。駆けつけてくるまで、時間はあるぞ』
豪快にトラは一蹴してみせる。
『それもそうじゃな、ということにしておくかの』
納得するしかない。
『保安所というのは、まだ先か？』
トラが確認したのは、この先しばらく身を隠す分岐が見当たらないせいだ。
『かなりの。じゃが、いちかばちかの手もあるぞ』
鼻溜を振ってサスは、付け加える。
『いちかばちか？』
目を瞬かせるトラへ、頭上を指差した。なるほど天井には空調、配管、配電、通信中継基地等のマスキングタグが張り巡らされている。
『もぐりこむのか？』
察したトラが口をすぼめた。
『わしならば、問題ないと思うんじゃが……』
煮え切らぬ様子のサスが見回すのは、なにはともあれトラの巨体だ。
『ええい、その目はなんだ。その目は。たとえ火の中、水の中。ネオンの元へ一刻でも早くたどり着けるというのなら、尻込みなどせん』
サスはしばし、うーん、と唸る。
『なら、わしが最初に中の様子を見るとするか。よし、トラ、わしを持ち上げてくれ』
指示に任せろ、といわんばかり、トラは軽々サスを肩へ担ぎ上げる。上でサスはなお立ち上がると、空調スペースの扉をシールしていたマスキングタグを剥ぎ取った。扉が、片側を固定して落ちるように開く。肩で交わし、持ち上げたアゴで中をのぞきこんだ。が、見極めるヒマもない。
『サス……、誰か来た……！』
足音だ。持ち上げるトラが声を殺す。
『なにぃ？』
うめいたサスの決断はこうだった。
『そら、上へ隠れるぞ』
トラの頭を蹴りつける。空調スペースへ潜り込んだ。おっつけトラも開いた扉を見上げる。天井は無理だとしても、ジャンプでぶら下がる扉を掴んでみせた。が瞬間、トラの体重にメキメキ扉は鈍い音を立てる。聞きながらサスは、中から伸ばした手でトラの手を掴んだ。力の限りに引っ張り上げる。
『って、わしでは、無理じゃぁ……っ』
それでもどうにか、トラの頭が天井にのぞく。力尽きて手を離し、サスは尻餅をついていた。そうして放り出されたトラの手は、開いた天井の縁を辛うじて掴む。もう片方の手もそこに添えられたなら、鼻息も荒く胴回りにちょうどのスペースへ、トラは一気にその身を持ち上げた。引き込んだ足の下からやがて、近づき増した靴音は聞こえてくる。息を殺し、サスとトラは覗き込んだ。視界に一体の『エブランチル』は姿を現す。なにやら手元の端末で書類チェックを済ませているらしい。開いたままの空調スーペース入り口に気づくことなく、通り過ぎていった。
『踏み切って、大正解じゃったの』
だがもぐりこんだその場所は、立ち上がるにもサスですら少し狭いほどだ。つまりトラには始終、四つんばいを要求する広さだった。
『まったく』
ぼやいてトラは、ぶら下がり、開いたままとなっている扉へ手を伸ばす。閉めようとして、ピクリとも動かないそれに眉をしかめた。
『ん？ おお？ んん？』
どうやら飛びついた時、トラの重さに歪んでしまったらしい。そこを力任せとトラは、引き寄せる。刹那、止め具は壊れてしっかり握っていなかったトラの手から、床へと落ちた。
鳴り響く甲高い金属音。
『マズい』
『こうしちゃ、おれんわい』
まさにあたふただ。逃げてふたりは先を急ぐ。
破壊されたクレッシェの部屋、そのドアを開くために少なくとも、五〇〇〇セコンドの時間を費やしていた。リーダーを粉砕したダイラタンシーベレットは、流動弾独特の粘度でもってしてこびりつき、分隊員総出による復旧を強いている。
間中、クレッシェは仮想デスクへ張り付いたきりだ。確かにシャッフルがああなった以上、プロダクトロームの指揮権は全てクレッシェにゆだねられている。その忙しさは分隊長にも、分からないではなかった。しかしながら負傷者へ見向きもしない態度は、どうにも分隊長の目に余る。仮にもクレッシェの盾となり一体は命を落としているのだ。シャッフルの乱心も分かるような気がして舌打った。
と、ドアがにじり、開かれてゆく。
あいたわずかな隙間から、やおら白衣は身を擦りつけながらもぐりこんできた。負傷者救助に駆けつけたのか。思えば分隊長は礼を述べかける。だがその体は分隊長の前を通り過ぎてゆくと、一直線にクレッシェの埋まる仮想デスクへ向かっていった。
『不躾な入室を失礼いたします』
だからして白衣こと、トパルはクレッシェへまくし立てる。
『取り急ぎ、進行状況の報告を』
もちろんここへ足を運んだ以上、それは通信で済むような内容ではない。だからしてなおのこと、順序を間違えまいとトパルは焦っていた。
『極Ｙの塩基付加は予定通り処置が終了。現在処置室にて経過を観察中。遅くとも七八〇〇〇セコンドまでには結果が現れる予定です。また……』
と、そこでクレッシェの顔は持ち上がる。
『あなたは確かトパル・ジック、３５クルーでしたね』
確かめトパルの話を遮った。
『は、はい。そうです』
トパルは息をのみ、焦る気持ちを抑えて答える。
『結構。あなたの動揺はよく分かりました。結論から申し上げます』
それが『エブランチル』なのだ、ということは分かっている。だが必ずこちらの話を最後まで聞き入れてくれるシャッフルとの違いが、トパルを戸惑わせてならなかった。
『あなたが探しに来たシャッフル中尉は、五七〇〇セコンド前をもってしてＦ７ラボ専属軍医の任務を解かれました』
あまりに唐突な辞令が、さらに戸惑いへ輪をかける。
『近く本国へ帰還、新たな赴任先へ向かうことが決定しています。ラボへは戻りません』
にもかかわらず、クレッシェは驚くトパルの方がどうかしているといわんばかりだ。淡々と話して投げかける。
『他に、質問は？』
しかしながら質問を受け付ける気こそ、ないらしい。待つ時間すら惜しんで休めていた手元を再開させていた。
仮想デスクの上で止まっていた二重螺旋がまた、ゆっくりと回転を始める。
背後では分隊員たちが負傷者の介抱していた。まるきり動かなくなった一体が外へと担ぎ出されてゆく。
たがトパルには、問うべきモノだけが黒い穴をのぞいたように、まるきり見えてこなかった。ひたすら頭が、着込んだ白衣同様、真っ白に塗りつぶされてゆくのを覚える。
クレッシェがちらり、そんなトパルを盗み見ていた。
『なければ……いえ、質問できないようであるならば、ただちに仕事へ戻りなさい。まだ中尉の後任は決まっておりませんが、それまでわたしがラボの指揮をとります。状況報告は以後、通信で結構。わたしの手をわずらわせないように配慮いただきましょう』
『申し訳……、ありませんでした』
言葉は、それ以外に浮かばない。埋めて脳裏をちらつくのは何ゆえにか、『カウンスラー』の音窟内で目の当たりとした旧『Ｆ７』ラボ従事者の姿だった。
囲う極Ｙを肩で振り払い、唐突にトパルを呼びとめ、シャッフルへと反抗的な目を向けたあの姿が蘇る。そして彼なら今ここで、クレッシェに質問することができたろうか、と考えた。根拠もなく、彼ならやってのけそうだ、とトパルは感じ取る。
シャッフルが吐きつけた通りなのだ。何か、どこかが違っていた。だがその違いが何であるのか、トパルには分からない。分からないことが、もどかしさを募らせた。そのもどかしさは何か大事なものが己には不足している、とやおらトパルを責め始める。
何が、と探ったところで、すぐにも見つけ出せそうな気配はない。
質問などと、諦めるほかなかった。
トパルは仮想デスクへ背を向ける。
同様に分隊員たちもまた後始末をつけると、この部屋からの撤収にとりかかっているところだった。トパルは分隊長が追跡の準備がどうの、と張り上げる声を途切れ途切れに聞く。混じり、自律稼動を始めたドアをくぐり抜けた。
『待ちなさい！』
その背を、唐突なまでにクレッシェに、呼び止められる。何事かとトパルは振り返っていた。クレッシェはちょうどと、仮想デスクから立ち上がってみせる。
『たった今、イルサリの自閉が解けたと報告が入りました。あなたはただちにリンクルームへ、アルトの矯正が可能かどうか最終チェックを。結果を報告。可能ならば即座に作業へ取り掛かります。準備をなさい』
質問できないのだから、聞き入れるしかない。トパルは再びその頭を、クレッシェの前に深く下げていった。
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