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ACTion 72 『SOUL La La ! 』



 ほどなく離れた位置で、あれほど清潔感溢れていた部屋へと鉛臭さは充満してゆく。抜いていたプラグを、再びスパークショットへ差しこんだせいだ。
(やっぱ、このニオイですよ。ボス! 血が騒ぐー!)
 最後、ミールパックをたいらげた一体が、腰掛けたフレキシブルソファの上で腕を振っていた。
(どないや、バッテリーの残量は?)
 取引を中止する。そう決めたテンの動話には、いつもの力強さが戻っている。
(ダメですね。無放電時間が長かったことと、プラグを外していたせいでしょう。ほとんど残っていません)
 答えるメジャーが手元のゲージをのぞきこんで眉間を詰めた。
(具体的にどれくらいや?)
 テンが振れば、メジャーはゲージからそんな顔を持ち上げる。
(フルで一二〇百二十セコンド)
 短くつづる隣でもう一体もまた、指を折っていた。
(九五)
(こっちは、一四五セコンドや)
 テンも知らせて最後に振る。その手でピシャリ、右股を打ちつけた。
(しゃあない)
 搾り出す。
(ええか、残り放電時間五〇セコンドや。切ったらお互い、知らせろ)
 メジャーともう一体へ交互に視線を走らせた。双方が神妙な面持ちでテンへうなずき返し、見届けテンは、打って変わって明快と腕を振ってつづる。
(それからどや、クロマに連絡つきそうか?)
 その動話にメジャーの隣から弾かれたかのごとく、一体は立ち上がってみせた。腰掛けていたフレキシブルソファを回り込むことなく、またいで後ろへ飛び降り、床へ屈み込む。そこには手のひらほどの大きさのビーコンが、動作中を示して黄色いランプを点滅させていた。
 限られたスペースの関係上一式を取り揃えるわけにはゆかないが、個々の好みやグループ行動時のバランス等を配慮し、船賊たちは自分のガスマスクの中に翻訳器やビーコン、非常食に解錠ツール、予備バッテリーや救急箱であるところのファーストエイドセット等のいずれかを、誰もが忍ばせていた。もちろんテンがこの一体を連れてF7へ乗り込んだのは、彼がビーコンを仕込んでいる、と知っていたからである。
(作動中です。ただ通信機とはちゃうんで、問題はこいつの信号をクロマが気づいてくれるかどうか、っちゅうところですけれど)
 旧式の地雷にも似た楕円のそれをつまみ上げて一体は、動作を確認するようにひとつふたつ、裏面のパネルをいじってみせた。そこへテンは動話をかぶせる。
(大丈夫や。あいつやったら見逃すはずがあらへん)
(だからクロマを船へ戻したんですよね)
 つけ加えてメジャーもまたテンへと微笑みかけた。様子はいかにも楽しげで、テンもまた思わず小さく笑い返す。引き締め、肩へスパークショットを担ぎ上げた。
(ほな、いくぞ)
 フレキシブルソファから立ち上がる。
(はい)
 同じくメジャーもソファから尻を抜いた。
 ビーコンをいじっていた一体も手早くそれをガスマスクの中へ仕舞い込んで、ヒザを伸ばす。
 そうして互いが目配せを交わした時間は、至極短い。うなずきドアへきびすを返せば、ノブ側の壁へ、スパークショットを下二本の腕で構え、テンが背をつけた。挟んだ向かい側へはもう一体が身を添わせ、残るメジャーがスパークショットの電極をノブへ押し当て構える。
 残り少ない電力は無駄にできない。手元で放電量を必要最小限に絞と、引き金を引いた。二つに割れた電極から、やおら光は短くほとばしり、鈍い音と共にノブへ絡む。それまで充満していた鉛臭さに、ノブの焼け焦げるニオイは重なると、遅れて湯気にも似た煙は白くうっすらテンたちの前に立ち上った。
 見定め、背後につくよう、テンはメジャーへ手招きする。同時に挟んで向かいのもう一体へタイミングを伝えるべく、宙で指を折った。
(一……二……三……)
 途切れたところで静かに、実に静かに、テンはスパークショットの電極で、ドアを押し開けてゆく。


 そうして開いた扉を潜り抜けた分隊長は、他の分隊員らと共に保安所へ向かった。
『お前は怪我した者を医務室へ連れて行ってやれ。そっちは残念だが、そのまま霊安室だ。処置を頼む。もちろん家族への連絡はしてもかまわんが、引き取りはこの捕り物が終わってからにしろ。うまく取り計らえ』
 負傷者を抱えた分、歩調の鈍る分隊員らを追い抜き、指示を飛ばして回る。先頭まで一気に躍り出たなら、振り上げた手で声を張った。
『残りはシャッフル中尉の追跡に向かう! あの足ではそうも移動はできんはずだ。警戒線をエリア四五まで展開。捜索範囲を囲え』
 手近な一体を呼び止め投げる。
『同時に中尉のIDアクセス痕跡を追跡。逃走経路の割り出しにつとめろ』
 また別の一体へ指示した。
『ブリーフィングは保安所内にて! それまで各自、装備の再点検をしておけ!』
 身内を狩るなど気乗りはしなかったが、今しがたの大立ち回りだ。警戒する越したことはない、ままに、その歩みをさらに早める。プロダクトルーム前をラボ隔壁側へ急いだ。間際で現れた十字路を右手へ折れる。遮るウィルスカーテンは一枚きりだった。その向こうに立ちふさがる保安所の、ブルーグレードアへとなだれ込んでゆく。 


『うぉっと』
 声はサスのものだ。同時にその足も止まっていた。なら背後で四つんばいになっていたトラの、うんざりした表情に輪はかかる。
『なんだ、また行き止まりか?』
 何しろ身を反転させるスキさえないこの空間で、トラはすでに何度も後退を余儀なくされている。ネオン救出の使命に燃えたトラと言えども、さすがにグチをこぼさずにはおれないそれは、億劫さだった。
『まあ、それはそうなんじゃが』
 などと、サスの返事ははっきりしない。
『ええい、どうした?』
 その尻ばかりを眺めていたトラは、首を伸ばす。と、そこに緑の光線は、格子よろしく行く手を塞いで張り巡らされていた。
『警戒線か?』
 言えばサスがうなずき返す。
『危ないとこじゃった。今しがた目の前に出てきおったわい』
『侵入がバレたか?』
『まさかの。わしらが潜り込んだとバレたなら、侵入経路も筒抜けじゃろ。追跡なんぞ容易いもんじゃ。囲わんでも追いつくわ。これはもうちっと別の、何かを警戒しとるんではなかろうかの?』
 鼻溜を振ってピントの合わない老眼の目を細めてみせる。サスは光線に触れぬよう、注意深く照射装置の根元を覗き込んでいった。任せてトラは、シワの間から通信機を引っ張り出す。つなげたのは、霊安所の詰め所を陣取るスラーの元だった。
『聞こえるか?』
『聞きたくない声だが、聞こえちまってらー』
 用意していたかのような応答は、悪態だろうと小気味よい。
『で、どうした?』
『急に警戒線が張られた。そっちの様子はどうなっておる?』
『……いや、こっちは相変わらず湿っぽい空気が流れてるだけだぜ。俺がここで入艦記録をいじっていることも察知されてないくらいだ。何かあればすぐに知らせてやるから安心しろ。いきまいていた割には気が小さいぞ、テラタン』
 などとスラーは毎回、一言多い。
『うるさいわい』
 同時に切った通信機を、トラはシワの間へ押し込みなおす。
『いかんの』
 サスが呟いていた。
『は、あのエブランチルが悪いのだ』
 吐き捨てたトラへ違う、とサスはこう続ける。
『その話ではないわい。これは警報が鳴るどころか、触れば焦げるやもしれんシロモノじゃ』
 照射装置から顔を引き戻した。身を反転させる。
『そら、そら、ぼうっとしとらんと後退じゃ』
 向かい合ったトラを追い払った。
『ええい、また後戻りか』
 唸りトラは、器用に体をくねらせる。とたん悲鳴は小さく上がっていた。
『うお、体がつかえた』
 瞬間、沈黙が流れたのは錯覚でもなんでもないだろう。
『ええい、手の掛かる!』
 サスの小さな体が、とたんトラへ体当たりを食らわせる。


 いつしか眠りこんでいた。
 経て、ネオンは記憶に残るおぼろげな眠りの淵から、蘇る。
 五感の隅々に充填されてゆく意識はまるで、今しがたこの世へ生み出されたばかりかのごとく新鮮だった。実に冴えわたったそれは、目覚めだ。
 満ちる光を受け入れた目の、焦点が合うまでのタイムラグ。
 掴んで引き寄せたシーツのシワさえ遠近感伴い、やがて世界はネオンの瞳へ映り込む。しかしながらあの時のように、それを白衣と混同しなかったのは、混乱そのものが「していた」という過去にまとめあげられたせいだろう。仮死や矯正で寸断されていたかつてと違い、眠ってもなお積み重ねられる記憶がネオンへ整合性を与えていた。
 その整合性が、帰る場所を探して混迷していたネオンの足元へ、道を一本、伸ばす。
 連なるそれをなぞれば、ネオンの目は彼方をとらえていた。
 とたん、寸断されたせいで滞っていたナニカは溢れんばかり流れだす。巡ってそれは血を血に変え、肉を肉たらしめると、その全てを鼓舞して巡るスピードさえ早めようとしていた。
 いてもたってもいられない。
 そう、紛れもないリズムは生命として、ネオンの中より響きだす。
 そのリズムは鼓動と絡み、今、ここに、誰のものでもないネオンの意志と意識を紡ぎ出していった。
 ままに伸びる道の向こうへネオンを、そっと導き押し出しさえする。
 気づけばベッドから足を引き抜いていた。
 床へ下ろす。
 そこに靴はなかった。
 だが裸足もなかなか気持ちがいいものだ。
 むしろ踏みしめた足裏からつながるこの躯体、全てこそが、自分なのだと実感できる。それは『アズウェル』で生きている今を奏でる、と意識したよりはるかに明確で、いかに思えるだけを失っていたのかをネオンへ知らしめた。
 ならふと眠る前、アルトが話していた故郷という概念、無条件に埋め込まれた最初のナショナリズムを思い出す。案外、このことなのではないのだろうか。ネオンは想像して、確かめるように大きく息を吸い込んだ。
 満たされて、あると主張を始める、譲れない領域。
 譲れば己を明け渡すに等しいモノの気配。
 間違いない。
 思えたからこそ失ったその先を想像して、得たばかりの身をネオンは震わせる。
 ならもう、好きになんてさせられはしなかった。
 肩にかけられていただけの白衣が、脱げ落ちかけている。引き寄せネオンは袖を通した。大きすぎるせいで袖口が指先までを覆ったなら、手早く左右、まくり上げる。中で体が泳ぐほどの前を合わせて部屋の中を、ぐるりその目で見回していった。


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