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ACTion 73 『願わくば』



「何とか出なきゃ」
 ドアへ歩み寄る。
 反応して開くのを待った。だが案の定、外から施錠されているらしい。ノブすら見当たらないドアはピクリとも動かない。
 諦めネオンは身をひるがえした。そもそも、ここがどこかも分かっていない。他に出口はないのか。探して注意深く、視線を這わせてゆく。
 と、それは記憶の残滓だ。そうして眺めた部屋はやおら、よく知る在りし日の光景をダブらせる。あ、と開いた口が閉まらなくなっていた。使い勝手を心得た、ここはセフポドの研究室で間違いないと思う。示して真正面、正方形の壁面一部を切り取りそれは変わらずせり出してもいた。
「イルサリ……」
 駆け寄りネオンは、筐体へ手のひらをあてがう。ならセフポドの物理デスクに作業用として灯された仮想デスクは傍らに蘇り、イルサリより吐き出された足の踏み場もないほどのケーブルに、つながれた矯正ポッドが、離れたところで揺らめく四本の腕のホログラムが、昨日のことと辺りを取り囲んでいった。続けさま、生々しくも目覚めと同時に問診を繰り返すイルサリの合成音声までもが、頭の中で聞こえ始める。
 嫌って逃げ込んだあの防音室は、とネオンはアゴを弾き上げていた。とらえた部屋の一角にあるはずの、のぞき窓が着いたドアを探す。そこには今、取ってつけたようにロッカーが立てかけられていた。
 いてもたってもおれない。駆け寄りネオンはロッカーをまさぐった。未使用のロッカ―は、中に何も入っていないらしい。揺すればすぐにも動く軽さだった。抱えてにじるように、ネオンはロッカーを移動させる。ドアは、その奥から姿を現していた。
 これだ。思うからこそつま先立って窓から中をのぞきこむ。だが張り付けられたスモーク用のチップが邪魔でよく見えない。もどかしくなり、埃のうっすら貼りついたドアの隙間へ指を押し込んだ。力の限り、引いてみる。びくともしないなら指を掛けなおし、もう一度、踏ん張った。
 施錠されていなかったドアはついにその時、にじり、動き出す。
 息を切らせたネオンの目の前で、開き切った。
 背中越し、射抜くような光が中へ投げ入れられる。長らく閉じられていたせいだろう。カビた臭いがネオンの鼻をついた。思わず口元を覆ってネオンは目を細め、見えたものに細めたばかりのそれを見開く。
 まるで待ち構えていたかのようでならない。記憶の中にしか存在していなかった品の全てが、埃にまみれてそこにあった。ホログラムの台座に、束ねられたままのコード。セフポドの操作端末デスクに、付属ラック。磨り減った椅子もまた虚無を抱えて傾き、こちらを向いている。見当たらないのはギルドに発見された自身のポッドくらいで、その全てには懐かしさと忌まわしさが、嫌というほど絡みついていた。絡むその手でネオンもまたそのうちのひとつなのだ、と手招きさえする。
 呼ばれるままに歩み寄っていた。
 言葉はだからこその事実もまた、ネオンへ蘇らせる。
 あたしがいると、みんなに悪い。
 得たばかりのモノのそれが、正体でもあった。
 足を止めれば目の前で、不安定だった椅子がガタリ、音を立てて浮いていた足を床につける。その拍子にひじ掛けが、もたれ合うデスクのどこかを押し込んだ様子だ。埃にまみれたデスクが、なけなしの電力を吐き出し稼働を始める。今にも消え入りそうな具合でそこに、小さなホロスクリーンを立ち上がらせた。目こをらせば中に、荒い画像の動画は流れ始める。
「……なに?」
 当時の研究室だ。ネオンは目を見張っていた。揺れるトニックのホログラムが片側に映り込んでいる。かと思えば、かすかに発砲音はした。画面の前を白い物が何度も行き来し、やがてこちらを覗き込むようなアルトの顔が、セフポドの顔が、画面いっぱいに映り込む。
『願わくば当初の目的通りアルトが、イルサリ症候群にさらされた者の、手助けとなることを。全ての者を、個のままにつなぐ要となることを』
 矢継ぎ早とまくし立てるその息は、荒い。常に背後を気にする視線もまた、落ち着きがなく異様だった。
『動力が落とされた。次クルーのセフポドがこれを見つけたなら、それが目的であったことを忘れぬよう、ここにメモしておく』
 とたん怒号は飛び込んできた。
 容赦のなさに、ネオンは息をのむ。
 弾かれセフポドもまた、画面の中で振り返っていた。その白衣に画面は塞がれ、続く物音に何が起きたのかは分からない。ただそこでプツリ、動画は切れていた。
 光が落ちる。デスクの電力も、それを最後に尽きた様子だった。
 この動画こそ、この場所で最後に起きた出来事に違いないと、ネオンは唇をかみしめる。そして垣間見た様子から、きっと多くの怪我人が、悪くすれば死者が出たことを想像せずにはおれなくなっていた。
 たとえ電力が残っていたとしても、もう二度と見る気にはなれそうもない。
 ネオンは噛んでいた唇を解く。
 いつからから止まっていた息をゆるゆる、吐き出していった。
 果てにこうしてある自分の手足を今一度、眺めなおす。
 回り出した己がリズムへ恐る恐る、耳を澄ませた。
 命が、不条理で呼吸している。
 こみ上げてくる思いは、感謝や懺悔などではなかった。
 ただ頭上を仰ぐ。
 努力せずとも降り、聞こえてくるリズムに思いを馳せた。
 それこそ課せられ、果たさねばならぬ使命なのだと感じ取る。
 でなければ一体、誰に何が残るのか。
 とその目に、それまで気づけなかったものはぼうっ、と浮かび上がっていた。長らく放置されることでかぶっていた埃だと思い込んでいたが、違ったらしい。点々とこびりついていたそれは全て、鉛を含んだダイラタンシーベレットの弾痕だ。四方は取り囲まれていた。


 そして霊安所の片隅は、うってつけのスペースと辿り着いたシャッフルを迎え入れる。遺体引き取りの際、そこには支給されるボディバックの予備がうず高く積み上げられたストックテントだった。
 かき分け奥へ紛れ込み、シャッフルはごわつくそれをベッド代わりと、まずは糖輸液の点滴に取りかかる。次に、完全に解凍した代謝促進剤の投与を試みた。
 代謝スピードは早ければ早いほどコントロールは微妙を極めるが、慎重になるがあまりのん気に横たわっているヒマこそない。代謝速度は通常の三十倍。代謝期間を一八〇〇セコンドに設定し体内へ落とす。
 すぐにも上昇をはじめた体温が、熱に浮かされたような息苦しさをシャッフルへ与えていた。噴出す汗に額を拭えば、尋常ならざる代謝速度のせいで早くも浮き上がった古い角質がよれ、見つめる手のひらから剥がれてゆく。裏返せば、ひび割れた皮膚の下から新たな皮膚がシャッフルを覆って張りなおされ、従い麻酔を投与されたかのように被弾箇所は、痛みの範囲と深さを小さく浅く変えていった。その何とも言い難い感覚に、青白い顔をさらに青白く縮み上げてシャッフルは、肩で荒い呼吸を繰り返す。
 場所のせいか、フェルマータ葬儀社と名乗ってもぐりこんだ何者かのことが脳裏をよぎっていた。彼らが『F7』を目指しているのだとすれば唯一、双方を行き来することの出来る分隊員たちの保安所を突破するしか方法はないはずだと、その目を細める。
 かつてラボから脱出したセフポドらも、シャッフル自身が唯一の専用格納庫を掌握したことで、アルトのポッドを盾に相当数被弾しながらその芸当をやってのけている。それこそ興奮剤でも投与していなければ不可能な荒技で、醒めた後のことを考えたならぞっとするやり方でもあった。
 だが果たして今潜りこんでいるやからに、それほどの覚悟と度量が備わっているものなのか。シャッフルはうがる。いや、恐らく無理だろう、と考えた。
 そろそろ代謝促進剤投与から一六〇〇セコンド。
 糖輸液はもう落ち切っている。
 バイオゲージを弾いて剥離剤を湿布し、シャッフルはその腕から針を抜き去った。促進剤を傍らにゆっくりと立ち上がってみる。
 思った以上、代謝に伴う体力の消耗は激しい様子だった。体は病み上がりよろしく重く、だが動きを遮る痛みこそもうどこにも感じられない。
 両足で交互にボディバックを踏みつけてみた。
 軽く膝を曲げ伸ばし、股も上げてみる。
 問題はない。
 最後、いつものクセで顔を拭った。熱っぽさも引きつつあるらしい。汗の引いたその手に白い粉が吹いているのを目にする。叩けば全身から埃のように、剥がれ落ちた皮膚が辺りへ舞い上がった。
 クレッシェの思うとおりには、させない。
 過る思いを復讐か、と自ら吐き捨ててみる。だがあまりにも容易く奪われたのは地位でも名誉でもなくプライドであり、このラボへ尽くしてきた自らの尊厳であればこそ、理屈ではないモノが黙っておれぬとシャッフルを突き動かしていた。
 ままに残りわずかとなった促進剤を抜針する。
 ボディバックをかき分けた。
 思いだけを胸にゆっくりと、しかしながら確かな足取りで、シャッフルはストックテントから抜け出してゆく。


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