目次 


ACTion 74 『ブレイクスルー』



『今後のためにも、明日からダイエットだな』
 空調スペースでいやと言うほどもんどりうったトラが、吐く。その隣には、深くうなずくサスがいた。
『よく言った』
 そんなふたりがどうにかこうにか降り立った場所こそ、目指す保安所を目と鼻の先に控えた通路、その脇道だった。身を隠すふたりの緊張はもう高まるほかなく、角からトラはシワを、もといその奥に窪んだ瞳をのぞかせる。
『この先か?』
 なら足元から同様に、サスもまた半身を乗り出し鼻溜を振った。
『そうじゃ。あの突き当りのT字路を、右へ折れた先にあるとなっとる』
 確かめ終えたトラが顔をひっこめる。
『だが保安所などと警備のかなめであろう。どうやれば突破できる?』
 まさか遺体を引き取りに来て迷った、などとはもう通じそうもない。
『そんなもの……』
 おかげで珍しくサスも言葉を詰まらせた。
『気合じゃ、気合!』
 これでも『デフ6』齢、百五十四歳。ちなみに平均寿命は百七十歳だが、それでいて言い切る意気込みだけは、あっぱれだ。しかし称えたところで現状、何の役にも立ちはしなかった。
『サス、ここは政府船だぞ。それこそ相手は軍隊だろうが。気合でこそ負けるわ』
 トラはそれきり口をすぼませる。
 反してすわっていったのは、サスの目だった。
『ならちょっとおまえさん、のぞいて来い』
『な、わしが、か?』
 言われように、トラは大いにトラはのけぞる。
『そうじゃ、中はもぬけのカラかもしれんぞ。それこそ通り抜け時じゃ』
『なにを、わんさと詰めておったら、わしが見つかる』
『その時は、逃げればよいじゃろ』
『簡単に言うな』
『うーむ。まさか、こうなっとるとはの』
 などとサスが話を逸らしたのは、わざとで間違いない。
『ええい、どうもこうも埒があかん』
 だからしてトラは歯ぎしりしてみせる。
『お、お前さん、のぞく気になったか?』
 ここぞとばかりサスが振り返っていた。
『違う!』
 などと思わず声を荒立てた瞬間だ。警報は破裂したかのごとく鳴り響く。ふたりの周り、通路の壁面を造語文字と記号は走り抜け、続けさま、そんな通路をこま切れにして照射熱の上がったウィルスカーテンは、幾枚も下ろされていった。
 光景に飛び跳ね驚き、トラは自らの口を塞ぐ。
『おまえさん、声がでかい!』
身を縮めて屈みこめば、その口元へサスもまた手を重ねた。
『す、すまん』
 だが謝ったところでもう遅い。兎にも角にも探すのは、逃げ場だろう。だがあれほど苦労を重ねて移動してきた空調スペースの入り口はもう、降りたウィスルカーテンの向こうとなってしまっている。慌ててサスは尻ポケットから電子地図を引っ張り出した。あいだも警報は鳴り続け、聞かされながら地図をスクロールさせる。トラがそんなサスをかばうように立ち塞がり、腰に下げていた警棒を抜き取った。身を沈めて構えたなら、間髪入れずその耳へ、保安所からのくぐもった物音は近づいてくる。
『サス、どちらだ? どちらへ行けばいい?』
 痺れを切らしトラは口走った。
『ええい、どちらへ行っても良いことなどないと言ったらどうする?』
 地図と格闘しつつ鼻溜を振り返すサスのそれが本音だ。その間にも物音は複数の足音へ響きを変え、しかも重装備で押し寄せる団体の物々しさをまとっていった。
『言っている場合ではないぞ! ダメだ。こっちへ来ている』
 再び角からそうっと通路をのぞき見たトラは、口走る。
 防弾服とミラー効果装備一式に身を包んだ見るからに保安部隊は、まさにT字路の角から姿を現していた。
 トラは後じさる。
 もう待ったはない、と半ば手探りでサスの体を引き寄せにかかった。
 ままに小脇に抱え上げる。
 きびすをかえすべく、その息を詰めた。
『焦るな、テラタン』
 声はそのとき、かけられる。
 浴びたトラの背筋は凍りついていた。
 抱えられたサスもまただ。
 ままに、トラは声の方へぎこちなく振り返っていった。
 そこには軍服を着込んだ『バナール』が立っている。特徴でもある青白い顔がさらに青白く見えるのは気のせいか。やけに削げた頬が、鬼気迫る凄みを醸し出している『バナール』だった。おかげで対峙したトラは、一瞬にして射すくめられてしまう。
『確か、トラ・イアドだったな』
 前で『バナール』は言っていた。
『だ、誰だ』
 トラの動揺へ拍車はかかる。だが答えず『バナール』は、そんなトラの腕を引き寄せ声を低くした。
『静かに』
 やおらダイラタンシーショットガンを携えた保安部隊が、脇道になど目もくれず駆け抜けてゆく。見送り、『バナール』は口を開いた。
『アーツェのアズゥエル前ですれ違った。貴様は気づいていないだろうがな』
 教え、懐から銃を抜き取る。そうしてぽかんと聞き入るトラの前に出た。先ほどトラが顔のぞかせた角へ擦り寄ってゆく。
『それはアルトの……、アルトのスタンエアではないのか!』
 気づき声を上げたのはサスだ。 
『お前さん、アルトを知っておるのか?』
『アルト? セフポドのことか』 
 通路の様子をうかがう『バナール』の返事は、片手間だ。
 わずらわしくなり、サスは抱えるトラへ降ろせと体を揺すってみせた。
 そんなふたりへ『バナール』は振り返る。
『わたしがそこへ通してやる。奴が立ち寄るだろう部屋は抜けて左、道なりに奥へ進んだ二つ目の四辻、その向こうにある。そのドアにだけ、後づけで磁気錠がつけられている。すぐわかるはずだ』
 言い分は、少なからずサスとトラの目を点に変えていた。
『ど、どういうことじゃ? お前さん、その格好からして連邦の者じゃろう。わしらが何者であるのかを知っておるなら、手を貸す道理などあるはずないのでは……』
 むしろ有難いを越えたその申し出は、不気味でしかない。ついぞ問うサスに、トラも隣で激しくうなずき返してみせた。
『何も、貴様らを助けようとしているわけではない』
 『バナール』は勘違いするなといわんばかりに返して、スタンエアの銃床を叩く。補填されてゆくガスに、スタンエアの立てるか細い音がサスの耳にも届いた。
『わたしは、わたしの意志を通しているだけだ。貴様らを奥へ通すのは、その手段に過ぎん』
 手早く動作を確認し、『バナール』は安全装置を弾き上げる。
『そこで待っていろ』
 聞かされサスとトラは顔を見合わせた。そうして正面へと向きなおる。『バナール』の姿はすでにそこから、消えていた。 


 残してシャッフルは、スタンエアを腰に通路へ出る。
 立場を剥奪されてなおこの階級章が生きているということは、使用痕跡から足取りを掴むため以外、考えられなかった。だからしてさしずめ駆け出していった先ほどの分隊員たちも、利用して使用した階級章のアクセスを探知、確保のために飛び出していったハズだとよむ。
 ゆえにここでもまた、あえて階級章を保安所ドアのリーダーへかざしていた。正体を晒したうえで入室してやる。
『ち、中尉!』
 鋭い音と共に開いたドアの向こうに、衝立で区切られたいくつかのスペースを携えた保安所は広がる。声はすぐ左手、壁面に埋め込まれた艦内警備通信網を監視していた分隊員から、上がっていた。コントロールスクリーンから、たちまち驚き振り返ってみせていた。
 顔へシャッフルは、たしなめうなずき返してやる。あえて大げさなまでに片足を引きずると、両手を挙げて中へ踏み込んでいった。
『分隊長は今の警報で出て行ったのか?』
 一部始終に、衝立の向こうからフル装備の分隊員たちも三体、飛び出してくる。その顔はまるきり状況が理解できていない、と言わんばかりだ。それでもどうにか引き締め、警戒心丸出しとダイラタンシーショットガンをシャッフルへ突きつけてみせた。
『す、速やかに投降していただき、恐縮です。中尉』
 狼狽ぶりは、すでに奇襲をかけられたようなあんばいだ。見据え、シャッフルは言い放った。
『所詮、狭い船の中だ。この足で逃げ回ったところで、たかが知れている』
『分隊長は、先ほどの警報の確認に向かわれました。わたしどもが代わって、迎えの船がくるまで待機いただくお部屋へご案内いたします』
 言うが、クレッシェの部屋での失態を知っているだけに、分隊員たちはそうやすやすと近づいてこない。遠巻きに見守りながら、じわりじわりとシャッフルとの間合いを詰める。
『ついでに傷の手当も頼めるか?』
 眺めながらシャッフルは申し出た。
『お部屋へ。手配させます。その前に……』
 分隊員が促す。
『隊長から奪ったスタンエアを、こちらへお渡しください』
 それも想定済みだ。
『落とした』
 うそぶく。
 と、それまで遠慮がちだった背後の一体が、突きつけていた銃口を下ろすや否や、シャッフルの胸元と腰周りをまさぐり始めた。あっけなくもスタンエアは取り上げられ、見て取った正面の一体がショットガンの銃口で、くぐってきたばかりのドアへシャッフルを押し出す。
『こちらへ』
 傍らで通信担当者が、飛び出していった分隊長らへ事態を知らせていた。
 無論シャッフルには、どれほどの時間で彼らが戻ってくるのか、予想はついている。ゆえに、カウントダウンはそこで始められていた。
 ままに保安所を出る。
 その周りを三体の分隊員たちが囲った。T字路を折れることなくシャッフルへ直進を促す。
 背後で閉りゆく保安所のドアが、腑抜けた音を立てていた。
 その音は同時にシャッフルへ今だ、と合図を送る。
 受けてシャッフルは、引きずる足によろめいてみせた。
『少し休ませてくれ』
 懇願する。
 仕方ないという空気が流れたのは、錯覚ではなかったろう。
 だからして引きずられていた足はそこで、彼らへ向かい空を切る。


ランキング参加中です
目次   NEXT