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ACTion 75 『マコトの言葉』



 そうしてトラとサスの前に、両肩の防具とセットになったミラー効果装備一式は投げ出される。
『使え! もうすぐここを保安所へ戻る分隊員たちが通る』
『紛れろと?』
 息を乱して『バナール』は言い、驚きトラはシワを波打たせた。
『確かめるようなことではないだろう』
 つき返した『バナール』が、やおら背後へ振り返る。
 飛びつかんばかりだ。その足元に投げ出された装備一式を、サスは拾い上げていた。
『何がどうなっとるのかは知らんが、恩にきるぞ』
 T字路には『バナール』に奇襲をかけられた隊員たちの足音が、交錯している。それは『バナール』の後を追う音と、保安所へ駆け戻る音に分散していた。
 追い立てられ、おっつけトラもサスからミラー効果装備を奪い取った。急ぎ、両肩へ乗せる。だが防具は襟巻きのように首の辺りにちょこん、とぶら下がるばかりだ。トラには小さい。いや、小さ過ぎた。見て取りさすがの『バナール』も、間の抜けたその格好についぞ吹きだす。どうにか隠してうつむいたなら、トラの胸板を叩いて返すと同時だ。保安所とは逆の方向へと駆け出していった。
『笑うな!』
 すれ違いざまトラが吐きつけたとして、それ以上、関わっておれる時間がない。手探りさながらどうにかミラー効果を作動させる。ヴンと唸り声を上げた装備にトラの姿は、すぐにも背後の壁に塗りつぶされていった。
『出とる!』
 見つけたサスが指さしたのは、ミラー効果の有効範囲から飛び出し宙に浮いていたヒジだ。トラが引っ込めたならサスもまたそんなミラー効果の中へ、いや、トラのまたぐらへと言った方が正しいか、転がり込んだ。
 間髪入れず分隊員は、そんなふたりのいる脇道へ飛び込んでくる。おそらくはこの装備を調達した張本人、『バナール』を追ってだろう。ふたりの前を駆け抜けていった。かと思えばその後からも、さらに数体が姿を現す。加えて警報の音に飛び出していった分隊員たちもまた戻ってきたなら、一団は『バナール』を追うグループと、そのまま保安所へ戻るグループに別れた。
 おかげでもうトラとサスの周囲は、分隊員たちで飽和状態だ。実体までもが消え去ったワケでないなら、ぶつからぬよう息を吐き出し身を細め、トラとサスはミラー効果の内側で上下、目を合わせる。
 つまるところここから先は、昔なじみが物をいう二人三脚だった。懐かしの初等教育過程大運動会さながら、心の中で上げた、えっさほいさの掛け声がハモる。
 ままにタイミングを見計らい、ふたりは脇道の角から抜け出した。保安所へ戻るグループの最後尾につく。なだれ込む分隊員たちの後につき、見えぬ足で保安所内へと潜り込んでいった。


(どないです? ボス)
 薄く開いたドアを挟んで、一体が指を折っていた。
 ドアの隙間からのぞきこんだテンの目は、右から左へ辺りを舐めてしばし動く。
(誰も見えへん)
 送る合図。
(いくぞ)
 振ってスルリ、テンはドアの隙間をすり抜けた。
 そこにメジャーが、残る一体が、平然と続く。
 身を潜めるでもなく走り出すでもなく、三体はラボ見学にでも詣でるかのようにゆったり通路を進みながら、着込んだラバースーツと一体化した、一見するとフードのような形のガスマスクを被りなおす。腹ごしらえをするため脱いでいたそのジッパーを、歩きながらアゴ先まで引き上げていった。
(連れて、帰れるでしょうか……)
 メジャーが控えめに振っている。
(あいつだけやない。取引を中止するんや、場合によったら、あのヒトも連れ帰る)
 答えるテンの動話は、頑なだ。
 来るときは左に折れたその通路を、テンたちは右へ向かう。始められた作業のせいか、通路へも慌ただしさは漂っていた。
 だからなんだ。
 テンは目指す処置室だけを睨み付ける。
 ここを出る。
 眉間へ力を込めていった。 


 閉めたドアの前へ、ネオンはロッカーを立てなおす。叩いたその手は、やけに景気のいい音を立てていた。
「こんなとこで、もたついてなんてられない……」
 個のままにつなぐ要となることを。
 言葉は、『アズウェル』を思い起こさせてやまなかった。そしてそれこそがこの手に足に体に、望まれ、守られてきた役割なら、台無しにしてはだめだと思う。
 抜け出さなければ。
 なおさら焦り、爪を噛んだ。
 気持ちを逸らせて、磁気錠のコイルはそのとき電圧を解く。
 ドアがふい、と浮き上がっていた。奥から白衣は二人、姿を現す。
『レディーの部屋なんだから、入るときくらいノックなさいよ』
 チャンスかもしれない。思えば先制攻撃だ。ネオンは噛み付いた。だが意に介さない彼らは、どうやらそれが攻撃であることすら認識していないらしい。
『こちらへ』
 眉ひとつ動かすことなくネオンへ歩み寄った。その背を押して、ネオンをベッドへ移動させる。力に加減はなく、振り払うように身を揺すれば、目指すベッドへもう一人に無理矢理座らされる。その足元で、携えてきた道具箱は開かれていた。
『何よ、ヘンなもの打つ気なら、アル……、セフじゃなきゃ、絶対にさせないから!』
 いきまけども、相手にされなければそれほど無意味なものはない。次の瞬間にも手際よく、ネオンの片腕へ筒状の機材は通される。
『何すんのよ!』
『再矯正にかかります。準備にお付き合いください』
 ぷう、と膨らんだ筒状の機材がネオンの腕を締め付けた。
『血圧、脈拍、spo2、正常値』
 とたん腕に巻かれた機材の中でチクリ、痛みは走る。
『血糖測定中。サンプルDNA採取』
『あたしに無断で……!』
 言いかけるが遮られる。耳元で、パチンと指は鳴らされていた。
 驚いて振り返ればフラッシュが目の前で焚かれる。
「ぎゃ」
『網膜パターン、採取』
 焼け飛んだ視界にネオンは目を回し、その腕から早々に測定器は抜き取られてゆく。かと思えば今度は強引にあごを掴まれ、開いた口の中へ棒のようなものを差しこまれていた。白衣が喉の奥を、近づけた顔で惜しげもなくのぞきこむ。
『一八〇セコンド経過。白衣にも感染反応なし』
 足元のダストボックスへ、用済みとなったそれを投げ捨てた。
『ぺっ、ぺっ』
 大げさなまでに吐き出して、ネオンは不快を表してやる。なら用は全て済んだらしい。早々に立ち去ろうとする白衣たちは、身をひるがえしていた。させてしまえば、あったかもしれないチャンスはもうない。
『矯正なんて、させないから!』
 ネオンは慌てて、口を開く。
 声に二人は、振り返っていた。浮かべているのは、何を言い出すのかといわんばかりの素っ頓狂な表情だ。見せ付けられてネオンは自らの非力さを思い知り、ならば、とあれほどまでに逃げ回った『フェイオン』を思い出すと、まさにアルトを真似て奥歯へ力をこめた。白衣へ踊りかかるべく、ベッドから飛び降りる。
 が、慣れないことはするものではない。その足はものの見事に羽織る白衣の裾を踏みつけていた。
「ふんぎゃ」
 飛び掛る以前、転んで己がのされてみる。
 目の当たりにしたとして、白衣たちに笑いも罵りも起きはしなかった。ただネオンをその場に残し、再びドアへ歩き出す。
「ちょ、と、待ちなさい、よぉ」
 それこそ無力の極地から、ネオンは声を搾り出した。どうにか彼らを押しとどめようと知恵をめぐらせるが、思い浮かぶものがもう、それしかない。だからして何であろうと意を決する。
「この、エビの尻尾野郎っ!」
 それはトラから幾度となく浴びせられ、『フェイオン』でトラへ食らわせたフレーズだった。ぶちまけたなら白衣もそこで、動きを止めている。トラのように激怒するかと期待していた。だが様子はまるで異なると、しばしの間を置き白衣たちは笑いだす。
『テラタンの言語だな』
 一人が言っていた。
『お前は美しい、だと』
 はっきり造語でそう訳してみせる。
「……へ?」
 聞かされネオンの目は、やおら点へと縮んでいった。
『どこで覚えたんだろうな。矯正をかけるのがもったいないほど個性的に仕上がっているんじゃないのか?』
『まったくだ』
 頷き合い、白衣たちはチラリ、ネオンを盗み見た。今にも噴出しそうに笑いを堪えながら、それきり部屋を出ていった。
 ポツリ、ネオンは部屋に取り残され一人、瞬きを繰り返す。
「なによそれ」
 こぼしていた。
 そして改め、繰り返す。
「……なによ、それ」
 ままに言葉を、頭の中で辿りなおした。
 だがその意味こそ変わりはしない。
「何なのよ、それ!」
 おかげで怒りは、頂点へ達する。まかせてネオンは腹から叫んだ。
「どういうことなのよぉっ、それっ!」
 空に説明を求める。
 とたん、応えてそれは訪れていた。唐突にジリリと磁気錠のショートする音は聞こえ、ドアは再び開け放たれる。だがそこに、開けた何某の姿はなかった。
「なに?」
 我に返ってネオンは呟く。
 前で、風景が剥がれて揺れ動いていた。やがて思いもしない姿をそこに、あらわとしてゆく。
「ネオン、迎えにきたぞ!」
 立っていたのはトラだ。
『アルトもおるのかの?』
 サスが、そんなトラの両足から顔をのぞかせていた。
 見上げてネオンは、ただ言うしかなくなる。
「……ウソ」と。


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