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ACTion 76 『恩人へ』



「なんっ、ど、どうしてこんなところにいるのよっ!」
  袖のかぶった指を突きつける。それこそ『ヒト』語で、ネオンはわめいた。
 だが、ドアから磁気鍵を毟り取ったトラの顔は、渋い。
「声がデカい……!」
 慌ててサスも外をうかがい見た。
「大丈夫じゃ」
 急ぎ、ドアを閉める。
 経てネオンへ向きなおったトラの声は、そこでいつも通りを取り戻していた。
「勝手にアーツェで仕事など取りおって。迎えに行くと言ったでではないか! ま、まだ借金が残っておるのを忘れたか!」
 浴びせかける。
「何が、借金よ……」
 前で、やおらネオンの肩は小刻みに震えた。うつむき吐き出した言葉は呪文のようで、ままにゆっくり身を起こしてゆく。
「なぁにが、エビの尻尾よ……」
 突きつけていた指を固く握り絞めたなら、その顔は勢いよくトラへ持ち上げていた。
「だいたいなんで今なのっ? ヒトが心底、困り果ててるって時にあんたは、あんたってひとはぁっ!」
『一体どうしたんじゃ? 早くアルトを探して逃げんとマズいことになるぞ』
 まくし立てる勢いに、『ヒト』を理解できないサスが、ともかく急げと鼻溜を振る。
 向かってうるさい、ネオンが睨みつけていた。
『な、なんじゃ? 何か、悪いことでも言ったか?』
 刺されてサスはあとずさり、ネオンはその目をすかさずトラへ振り戻す。そうして歩み寄れば足取りは、素足ながらまるで鉛の入った安全靴でも履いているような重さで床を踏みしめていた。トラの前でピタリ、立ち止まるや否や、折り重なるシワごとトラその胸倉を掴みあげる。
「ちゃんと説明なさいよっ!」
 などと、揺さぶり押し迫る気迫は並大抵のものではない。
「な、何のことだ」
 食らってさすがのトラも、どもってみせた。
「何がじゃないわよっ! エビの尻尾野郎の意味に決まってるでしょっ! あたし知ってるのよっ! 『お前は美しい』ですってっ?」
 間に造語を挟みこむ。ようやくそこで聞き取れたサスの耳が、加齢に寝ていたそこからぴん、と跳ね上がった。
「ど、どこでそれを?」
「どこだっていいでしょうがっ! それより一体、どういうことよっ! あなた、あたしをそうやって、ずっとからかい続けてたわけっ? 意味なんて分からないと思って。一体どこまで人をバカにすれば気が済むのよっ! ふざけないでぇっ!」
 モニター越しではないこの会話を、それこそスイッチひとつで切ることはできなかった。聞かされたトラの瞳は、とたん縮み上がる。いや違うと辛うじて繰り出した瞬きで遮ってみせた。
「か、からかってなど、わしは、おらん!」
「じゃなきゃ、何なのっ!」
「な、何と言われても」
 それこそが口に出せないトラの秘密だ。
「なによ、お金のためにこんなトロコまで追いかけてきちゃってっ! あなたなんて、あなたなんてそうやって一生、ギルドにへいこらしてればいいのよっ! だからって、あたしはもう、そんなあなたの鬱憤晴らしに付き合うつもりなんて、ないんだからっ!」
 掴んでいたトラの体を突き飛ばすようにして、ネオンは手放していた。勢いにトラの皮膚は支離滅裂と揺れ、心も乱れて、そこれこそ千々と揺れ動く。
「そ、それこそどういう意味だ!」
 口走っていた。
「いつ、わ、わしがギルドにへつらった! 取引が小さかろうとも、わしはきっちりわしの店を仕切っておるわ! もちろん金は大事だ、が、お前に比べ……」
 いいかけて飲みこむ。ぶるん、シワを震わせた。そうして行き場をなくした言葉の代わりだ。トラはその場で地団駄を踏む。
「ええい、しち面倒くさい!」
 たまりかねると同時だ、ネオンへその腕を伸ばした。
「おとなしく帰るぞ!」
 ネオンの体を丸太がごとく掴み上げる。肩へ担ぎ上げるのに、まるで時間はかからなかった。
「何するのよっ! やだっ、離してっ!」
 だからして拒むネオンがトラの肩で両手を突っ張る。
「でないと、通路で思いっきり叫んでやるっ! この詐欺師ぃっ! あたしはモノじゃないっ! 降ろしてぇっ!」
「うるさい! つべこべいうな!」
 これではもう助けにきたのか、さらいに来たのか、よく分からない。
『こら、待たんかトラ!』
 見かねたからこそ、サスの出番は訪れていた。いさめる調子はいつになく強く、続けてサスはこうも鼻溜を振ってみせる。
『お前さんは、どうしてそう物事をややこしくしたがる! いい加減、素直に思っておることを口に出せばどうじゃ! それで全て済むことじゃろうに』
 とたん動かなくなったのは時間ではなく、トラだ。
 担ぎ上げられたそこで尻を向けていたネオンもまた、素っ頓狂な顔でサスへと振り返る。
『思ってる、こと?』
 見上げるサスは、そこで両手を腰へあてがっていた。小さな体をめいっぱい反らせた様子は、さしずめ猛獣使いと言ったところだろう。
『まったく何をごちゃごちゃやっておる。嫌われようとしとるのは、お前さんの方ではないか』
 遠慮なく鼻溜を振れば、トラの体は瞬間、きゅっと縮んでいた。
『わしは知っとるんじゃぞ。お前さんがネオンを見つけてからヒト語を勉強し始めたことも。ヒトと地球の歴史や文化を一生懸命に調べておったことも。それもこれもネオンのためだったんじゃろうが。それでよいではないか。だのに、イザとなれば憎まれ口ばかり叩きおって。誰が自分のためにそこまでする者を嫌うと思う? 嫌うところがあるとすればの、それはお前さんのその意気地のないところじゃ。いい加減、覚悟せい!』
 だが、さって担ぎ上げたあの勢いはどこへやら。トラに動き出す気配はない。
 サスは、十分すぎるほどそんなトラを待ち続ける。やがて何一つ、解決しそうになかったなら、そこで黙っていよ、といわんばかり一つ大きく、息を吐きつけた。
『わしが代わりじゃ。謝っておこう』
 開いた眉間で、トラの肩で唖然としているネオンへ鼻溜を振る。
『借金があると言う話じゃがの。あれはお前さんを手元へつなぎとめておこうとした、こやつの真っ赤なウソじゃ。長い間、嫌な思いをさせたようじゃの。すまんかった』
 話はネオンの目を、これでもか、と見開かせてゆく。
『じゃが放置船から見つけ出されたというのは本当の話じゃ。トラがお前さんと出おうたのは、その後の種別臓器転売オークションでの。こやつ、誰にも買われまいと慌てた挙句、ケタをひとつ間違えて競り落としおった。じゃから、お前さんはトラの元おることとなったわけじゃ。当時は素性も分からんボディーじゃったからの。ついた破格の値は、噂になって、わしのところまで回ってくるほどじゃった』
 サスの目は、そこでちらり、トラを盗み見る。だがトラはまだ、なんら反応を見せない。
『トラがそこまでしおったそのワケと言うのがの』
 仕方あるまいと、サスは告げるべき言葉に鼻溜を膨らませた。
 瞬間、悲痛なまでのトラの声は上がる。
『分かった、もういい!』
 トラの体から、がっくり力は抜け落ちていた。ままにうなだれ、惜しむようにゆっくり肩からネオンを降ろしてゆく。乱暴に担ぎ上げられた時と違い、ネオンの足は静かに床を捉えていた。
『……借金は、ウソ? ギルドじゃなくて、あなたのウソ?』
 後じさってまじまじと見つめるネオンのその目は、まだ丸いままだ。
 前にしたトラは、噛み締めた奥歯のせいで、顔のシワへシワを重ねている。そうしてネオンが見つれば見つめるほどに、逃れてうつむき、シワの中に埋もれてさえいった。
 と、見えなくなったそこから、やがたえ声は絞り出される。 
『ワケなどわからん。わからんが……!』
 何が始まるのかと、ネオンは息をのんでいた。
『わ、わしはあの会場でお前をひと目見てから、その、あい、え、たっ、と、とても美しいと! わしの知る限り、テラタン輝石のエビの尻尾よりも美しいと、思ったのだっ!』
 トラの声は絶叫に近い。
『だというのに臓器転売ボディだなど、他の奴らに買われでもすれば跡形もなくなる。だからわしは慌ててお前を競り落とした。よかった。そう思った。だからしてそれからしばらくの間わしは、ただお前を部屋で眺めて過ごした。だが、そもそもの間違いはそれだ』
 どうして、と思えば絞り切った雑巾のような中からトラの小さな目が、のぞいてちょろり、ネオンをとらえた。すぐにもシワの中へ埋もれて消える。
『眺めれば眺めるほど、わしはお前が一体どんな声で話すのか、どんな瞳をして、どんな顔で笑うのか、知りたくてたまらなくなった……。知りたくて、言語も文化も一通りに目を通した。そこで互いの美的感覚が合わんことを、わした痛感した。おそらくお前を起こしたところで、わしは嫌われる。だが、見たいものが見られるなら、それでもいいとわしは思った』
『それがあたしを蘇生させた理由?』
 うなずき返したようにも見えたが、トラの動きは判然としない。
『ただ始終……』
 話だけが続いていた。
『ただ始終、嫌われていると感じることだけはたまらなかった。ならば外へ出してしまおうと……、お前にとっても一緒に入っていたあの稀少品と共に、わしから離れたところにおる方がいくらか心地よい良いだろうと、考えた。借金があると繋ぎとめておけば、ときおりだろうと声は聞ける。それでかまわんと演奏に出した。金額を減らせなかったのは、そのためだ』
『それでしょっちゅうダブルブッキングなんて……』
『何もお前をモノ扱いしておるわけでもないぞ! テラタンとヒトの寿命は一.三倍の開きがある。お前の年齢が分からん以上、短命なヒトであるお前に先に死なれたくはなかった。だから移動に仮死強制を選んだ。それだけのことなのだ』
 吐き切ったトラの体は最後、ついたため息にふうと膨らんで元の大きさへ戻ってゆく。
『わしは……、理由などわからんが、わしは間違いなくお前が好きだ』
 戻った体が紡いでいた。
『オークション会場で見つけた時から、何があっても手放したくないと、思った』
 そうしてちらり、シワの間からまた怯えたような目がネオンをとらえる。
『誓って言う。からかってなどおらん。その思いもこれで終わりとなった。だが、だからこそわしは、ここまで来た』
 それきりトラは、返したきびすでネオンへ背を向けた。
 隠しようのない大きな背中が、ネオンの前に壁とそり立つ。見つめたなら、憤りが罪悪感へ変わるなどと、それもまたネオンにとって慣れたものではなかった。
『……そんな』
 しかもそうして積み重ねてきた時間は長すぎ、つぎ込んでまで大事に育て続けたそれこそ、無駄を極めた誤解にほかならかった。
 正さなければ。
 思うままにネオンはトラへ手を伸ばす。だが触れかけたところで感じた恐れに、ネオンもまた己が手を引き戻していた。
『ひねくれてはおるが、分かってやってくれんかの?』
 後押しして、サスが鼻溜を振ってみせる。振り返れば、詫びるようにネオンを見上げて微笑む顔は、そこにあった。その笑みがネオンを少しばかりほっとさせる。気づけばサスへ、小さくうなずき返していた。その目をもう一度、トラへ持ち上げる。
『……そうだよ。見つけてもらえなかったら、ここにいなかったかも、なんて考えてもみなかった』
 サスがその傍らで、しきりにうなずいてみせていた。
『ありがとう』
 今まで一度も口にしたことのなかった、それは言葉だ。
『借金があろうとなかろうと、起こしてくれたのなら本当は最初に言っておくべきだったのに。遅くなってごめん。あたし、自分のことが分からなさ過ぎて、自分のことばっかり考えてて、子供みたいで、そんな簡単なことに全然、気が回っていなかったみたい』
 と、やおらサスはトラの前へ回り込む。力任せだ。その体をネオンへ向きなおらせた。なら向かい合ったそこでトラは、返事をしているのか唸っているだけなのか、うつむき潰れた喉の奥から、たった一言、絞り出す。
『うむ』
 向かってネオンは、眉を跳ね上げた。
『そうなのっ! あなたが大事に思ってくれたから、あたしはこうして動いて話せるのよ』
 だがトラの返事は変わり映えしない。
『う……、む』 
『お前さんはそれしか言えんのか』
 つっこまれて、しばしトラに悩むような間は空いていた。
『う、うむ』
 結局、答える。
『まったく……』
 呆れてサスはため息をつき、それでもかまわないとネオンは続けた。
『あたしはさ、トラ。あたしは言うことを聞かない自分の不便を呪ってただけで、その原因はあなたに、ギルドにあると思い込んでた。全部、借金のせいだって思ってた。けど違うの……。その、好きとか嫌いとか、わたしには分からないよ』
 言葉が、トラの顔を少しばかり持ち上げさせる。
『だって、あなたのついた嘘の色メガネを取れば、わたし、あなたのことは何も知らないもの。わたしを起こしてくれた恩人ってだけで、それくらい大事に思っていてくれたって事だけで、ほかは何も知らない。知らないのに、好きだとか嫌いだとか、そんなこと言えないよ』
『ほ!』
 とたんサスから声は短く上がっていた。
 トラもまたアゴをシワから引き抜き、まじまじネオンを見ている。
 ネオンはそんなトラの目の奥へと、微笑みかけていた。
『聞いて! あたし、自分が誰だか分かったの』
 それはまるで昼下がりの大冒険を、自慢げに話す子供のような笑みだ。
『だからもう不自由だって当たるのはおしまい。ちゃんと話し合うこともできる。理解だってできる。そう、だからやりたいことだって見つけたのよ。そのためにもここから絶対に出たいって思ってる』
 そうして『ねぇ』とネオンはトラへ、呼びかける。
『それって、考えはあなたと同じだとは思わない?』
 瞳は挑発的と輝き、聞いてサスが、とたんよっしゃ、と手を打ち鳴らす。 
『ここまで来てくれたんだもの、トラなら手伝ってくれるわよね?』
 しかし、素っ頓狂な顔をしたままのトラにこそ、反応はなかった。見かねてサスが、その尻を叩きつける。ぎゃふんと巨体を跳ね上げたトラが、我を取り戻していた。なら答えはもう決まったも同然だ。トラはシワを揺らしてかぶりつかんばかり、ネオンへ答えて返す。
『も、もちろんだ!』 


 そしてアルトは、矯正開始までの時間を計算する。
 リンクルームへ消えたトパルを背に、ネオンの眠る部屋へ向かった。
 勝機があるとすれば、それはまたもや賭けとなるだろうことを、ただかみしめる。だが座して物理解体を待つことに比べたなら、賭けるに値する残されたたった一つの策だと思えていた。
 胸の内ではトパルの言っていた、シャッフルの身の上もどこかで引っかかっている。
 クレッシェの部屋をかすめ、三叉路を直進し、オフィス前を過ぎた。プロダクトルームの手前で通路を逸れ、並ぶ同型のドアに磁気錠を探す。
 と、その目は一点を睨んで細められていった。掛けたはずの磁気錠がないのだ。周辺には焦げ跡と、もぎ取られたらしき形跡だけが残っていた。
 どういうことだ。
 アルトは駆け寄り辺りを見回す。
 開くその前に身構えた。
 センサーへ手をかざし、開く。
「ったッ。ん、だぁッ」
 たまらず声をもらしていた。何しろ見てはいけないものを見たのだから、仕方ない。仰け反り慌ててドアを閉めなおす。改め、頭の中で状況を整理すべく反芻し、自らを落ち着かせにかかった。
 果たしてあれは幻か。
 確かめるべく再度、ドアを開ける。
 がそこに、ネオンとサス、サスの店でちらりモニター越しに見たあの『テラタン』は、いた。しかも頭を寄せ合い、なにをや意気投合していたりする。成り行きこそアルトに理解できるはずもない。ゆえに目の当たりにした開口一番は、ネオンと同じになる。
「な、なんでこんな所にいやがるッ」
 髪を逆立てアルトは吠えていた。


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