『おお、アルトではないか! 探しておったぞ!』
とたん、千切れんばかりに鼻溜を振ってサスは駆け出していた。
『おいッ、じいさん。鍵はどうした、鍵はッ』
これでは明らかに不審者が侵入しましたよ、と言わんばかりだ。再会をどうのと言っている場合ではない。アルトは唸り、勢いを削がれてあからさまと不満げにその顔をしぼませていったサスが、背後のトラを指さした。
『こやつが毟り取っておったがの』
『だーッ、早く戻せ。もうすぐラボの奴らが矯正の準備に来るってのにッ。バレちまうだろうがッ』
ならそこがお決まりの場所らしい。トラはシワの間へ押し込んでいた磁気錠をいそいそ引っ張り出す。
『はい』
などと、なぜかしら挙手するネオン。
『いちいち、ひつようねぇッ』
ドアのススを手のひらで拭い取り、磁気錠を押し付けなおしてアルトは唸った。
『もう来たわよ。白衣のお兄さんたち。血圧と脈拍と血糖値と、えすおーえす? はかって、DNA採って、ピカッて光って、ムカつくほどあたしを無視して帰ってった』
指を折りつつそらんじるネオンの口元は、思い出す不躾な数々の行いに、への字と曲がってゆく。
ドアを閉めなおしたアルトの足は、そんなネオンへ一直線と繰り出されて行った。
『話がある』
『なに、痛いって』
掴んだ腕を抜けそうなほどに引けば、ネオンの上げた声に、やおらトラが巨体をひるがえす。
『何だ、貴様は!』
掴むアルトの腕を振り払った。ネオンとの間へ、その身を割り込ませる。そうして見下ろせば胸はこれでもかと反り返り、醸し出される威圧感にアルトが眉間を詰めていった。ままに睨み合えば、否応なく互いの間に緊張感は満ちる。
『違うぞトラ! これがわしの探しておったアルトじゃ』
『そう、あたしをサスの店まで乗っけてくれた、ジャンク屋なの』
察したネオンにサスが、まくしたてていた。
が結局、一言多かったらしい。
『何、コイツがか!』
トラのシワがぶるん、と波打つ。なにしろジャンク屋と言えば、『アズウェル』でネオンの頭を撃ち抜こうとした輩、としかトラの頭には記憶されていない。
『このヤロウが!』
問答無用でアルトへ踊りかかっていった。だからこそアルトは反射的に、背中のスタンエアを探して手をまわす。だがあるはずもないなら、その手は空をつかみ、しまった、と目を泳がせたそのスキに襟首をわしづかみにされていた。あった身長差を埋めて、いとも軽々と体は吊り上げられてゆく。壁へ、音がするほどど、押し付けられていた。
『違う、違うってば!』
見かねてネオンは絶叫し、サスもトラの腰へ食らいつく。
『全く、このトンチキが、やめんか!』
だがトラにはまるで聞こえていない。
『貴様、わしのネオンへ銃口を向けるとは、いい度胸だ! だがそうはさせんぞ。わしはそのために、ここまで来た! 金輪際、その汚い手でネオンには、触れるな!』
部屋が揺れそうなほどにアルトを壁へと、叩きつける。
目にしたネオンの大声は、そのとき放たれていた。
『やめなさぁいっ、このっ、バカトラぁっ!』
やおら針金を通したようにトラの背が、伸びあがる。
『アルトを離しなさいって言ってるでしょっ! 今すぐ離しなさいってば、離しなさぁいっ!』
おかげで掴み上げていた手もまた、スイッチが入ったように開いてアルトを離していた。ドサリ、アルトの体が床へ落ちる。トラのまたぐらを潜り抜け、サスが急ぎ駆け寄っていた。
『大丈夫かの?』
ほうって肩ごし、ネオンへそうっと振り返ったトラは、怯え加減がまるきり飼い主に叱られた犬か猫だ。
『銃口を向けたのは本当だけど、それは仕方なかったのっ! ここへ戻らないためにそう脅しただけよ。引き金なんて引くつもりはなかった。それなのに、あなたってひとはっ!』
『わしはてっきり……』
『言い訳は、後っ!』
『まったく、こんな事をしている場合じゃねぇんだ』
打ちつけられた背中をかばいながら、サスの手を借りようやくアルトも立ち上がってみせる。
『何? 話って』
真正面から、そんなアルトへネオンは鋭い視線を投げた。
『いいか、奴らは恐らく今のお前のアタマをマッピングするため、最初、覚醒状態から矯正に取りかかるハズだ』
告げたところでいまさらネオンが、その話に疑問符を飛ばす道理はない。
『イルサリ、ね』
うなずき返しさえする。
するりと飛び出したその名前にアルトもまた、小さく笑んで続けていた。
『その間に作業が中断しないようなら、後はお前がやれ』
『やれって、何を?』
唐突過ぎて、言うしかない。
『イルサリに約束の内容を聞くんだよ』
『何? 聞いてどうするの? だいたい約束って何?』
などと説明すれば、話は長い。
『何でもいいからとにかく聞け。そうすれば分かる』
だが分かっていないのは、ネオンだけとは限らない。さらに深い不可解の底から、タイムを訴えサスが両手を振り上げてみせていた。
『いやはや、待て待て。イルサリとは、あの症候群の権威のことか? もう、死んだハズじゃろうが。そもそもこのF7は何なんじゃ。もぐりこんだはいいが、分からんことだらけじゃ』
言うものだから、アルトの肩も縮んで呆れ返る。
『まったく、それでよくここまでこれたもんだぜ』
『それが、ここの制服を着たバナールがわしらの侵入を助けてくれおっての。ミラー効果を一式、あの兵隊から奪ってよこしてくれたんじゃ。いや、あのバナールが言うには、それもこれも自分の意志を通すための手段に過ぎんらしいが』
思い起こしてサスは鼻溜を振った。
『バナール?』
『そいつはお前さんのスタンエアを持っておったぞ。知り合いか?』
問いかけるサスに、アルトの脳裏へそれは浮かんでいた。
『シャッフル、か?』
『ともかく、お前さんはここで一体、何をしておった? 帰るつもりならわしは手を貸すぞ。そのつもりでここまで来た』
サスはたたみかけ、アルトはしばし泳がせていた目をサスへ向けなおす。
『連邦の戦略の一つとして、ある研究に従事していた。サスに拾われる前、俺はここで働いていたのさ』
一息つく。
『ドクターイルサリもイルサリ症候群の研究も、ハナから存在しなけりゃ、連邦は推し進めてもいない』
残りを吐き出す準備は出来ていた。
『その名は、プロジェクトに利用されていたAIの呼び名だ。そのAIを使用して、ここではまったく別のプロジェクトが推し進められていた。そう、あんまり世間に大きな声でいえない類の、な』
サスがほうと、感嘆の声を漏らし、トラが心配げとシワにシワを寄せてゆく。
前でアルトは目を伏せ、過ぎた時を手繰り寄せなおした。
『安直にいやぁ連邦は、じいさんがデフ6で、そっちがテラタンだ、ってことを忘れさせて、自前で用意した新しいカテゴリーにはめ込もう、って方法をここで模索していたのさ。その方法として既知宇宙内で初めて共通の話題となった事象、造語普及前、種族間を超えたコミュニケーションツールとして有効性が認められたアナログ楽器と、トニック動話を選んだ。その二つを操作することで、誰も彼もをラクに丸め込もうって大胆な計画を、打ち立てていたのさ。その鍵が、ネオンだった』
ひらいたまぶたで、チラリ、視線を投げた。
何の動揺もなく話を追いかけるネオンは、そうらしいと言わんばかりに聞いている。
『だってのに俺は、そのネオンをここから連れ出した』
話を、サスはしきりに鼻溜をさすりながら聞いていた。
『おかげで奴らは、船賊を巻き込んでまで連れ戻そうとした。なにしろネオンは最初一体、この計画の成果詰め込んだマスターピース、だったからな』
『なん、だと? だからネオンは楽器と、その演奏が……?』
シワを押しのけ、トラが目を見開いてゆく。
『それはなかなか刺激的な話じゃの』
真逆と鼻溜を揺らすサスは、落ち着き払ったものだった。
『じゃが丸め込むとはいいようで、その話、昔は洗脳と言っておった類ではないのか?』
質問こそ、なかなか鋭い。
『ただし過去、それは思想へかけられたものじゃった。じゃがお前さんの話から想像するならば、両方共言語外じゃしの。それはもっと抽象的で、感覚的な部分を浸食するもののように思えるがどうじゃ?』
正解だからこそ、アルトは唇の端を吊り上げ返す。
と隣で、頭を、いやシワか、トラが引っ掻き声を張った。
『だー! わしに小難しい話はわからん。だが、ここにいるネオンがネオンだ。最初、一体とはどういう意味だ? わしのネオンは、ここにしかおらんぞ』
なら答えてかえす前だ。アルトは顔を拭う。
『悪いな、サス』
その事実が裏切りに値するのかどうかは、分からない。呼びかけられてサスは何のことか、とアルトへ訝しげな顔を向け、拭ってさっぱりしたような面持ちでアルトは至ってあっけらかんと言うことにする。
『俺もネオンも、ヒトだがヒトじゃない』
『何と?』
『俺は34クルー。ネオンはすでに数え切れないほど生成されている』
トラがつまづきそうなほどに、身を乗り出していた。
『俺たちは地に足ついた一回性のあんたらとはちょいとワケが違う、連邦所有の合成塩基から複製された、デザイン自由な生き物なのさ』
『もう、やになっちゃう』
人ごとのようにネオンが肩をすくめていた。
だがサスに動揺はない。
『おうおう、そら小細工じゃ。何人おろうと、わしが知っとるアルトは、お前だけじゃからの』
鼻溜を揺らしてくれる。
ただトラだけが、驚きに身を固めていた。
『奴らは世界を俺たちのように変えたがっている。冗談。こっちから願い下げだ』
『まったく、やることが強引なのは、その時からか』
切り返すサスは呆れ顔だ。
『それしか手がないと思えた。ラボ中の職員が仕組めば、抜け出すことはそれほど……』
熾烈を極めた逃走劇を思い出したアルトの表情が、冷えてゆく。
『挙句、地球のあの場所で、へべれけか』
はたいて目を覚まさせるようなサスの言葉は、手厳しかった。
『ここを抜ける時に、いくらか必要だった。それに、当初とは計画が狂っちまった。おかげでネオンの船を出すために囮が必要になったのさ。そのために乗り込んだ船は、たまたま興奮剤を積んだ配送船だった。向かった地球には遺伝的な興味があったが、期待外れで仕込んだ遅行性の記憶マーカーが働くまでの間、あれはあれで十分、役に立ってくれたと思ってるぜ』
『死にかけておったくせに、よく言うわい』
自虐的と笑い飛ばすアルトをサスは睨み、しかしそうも続かず途切れたなら、頬はいつもの愛嬌に緩んでゆく。
『ま、おかげでわしは命拾いしたがの』
十八番と放つウインク。
『なら、ここにとどまる理由はないようじゃな』
目が、周囲を見回していた。
受けてかすかに、アルトもうなずき返す。
待っていましたと言わんばかり、サスの鼻溜はそこで大きく膨れ上がった。
『その借りを、これから返す。入ってこれたなら、出られんわけがなかろう。お前さんが望む通り、もう一度ここから出るぞ』
振り上げられる指、一本。
『よし、トラ! スラーへ連絡じゃ! アルトとネオンを見つけたと伝えろ!』
その時だ。遮り、ドアの向こうから甲高い軋み音は近づいてくる。それが矯正に使用されるポッドを乗せたストレッチャーの音だと気づけたのは、一番よく知るアルトだった。
『きやがった』
つまりうろたえるのは、不審者でしかないトラとサスとなる。
『てっ、撤回じゃ。トラ、ミラー効果を用意しろっ!』
サスがそらそら、と巨体を突っつく。が即座に手繰ったトラの姿は消えるどころか、ポトリ、その手元から何かは落ちていた。見れば足元に、二つあった肩あての片方は転がっている。どうやら元々大きさが合わないところを無理やりに装着したところへ加えて、先ほどの乱闘がマズかったらしい。果たして頑強なはずの装備は、トラの首回りに押し潰されてしまっていた。
『の……!』
絶句するトラ。
ネオンもまた短い毛を逆立てる。
『何、壊したのっ?』
『何をしとるか、このすかぽんたんっ!』
ならネオンは声を上げていた。
『違う!』
その目がとらえたのは、塞いだばかりのロッカーだ。
『この奥に部屋があったのっ!』
走りだしていた。
蘇る記憶にアルトも駆け出す。
『防音室かッ』
取り残されて、トラとサスはしばし顔を見合わせていた。だが次の瞬間、ふたりも床を蹴りつけ走る。
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