『そんなところで何をしている』
背で声はしていた。
今まさに元の位置へとロッカー押さえこんだきり、アルトとネオンは振り返る。
『え、や、その……』
覚えた後ろめたさが、ネオンに言わせていた。
制して黙れ、とアルトが目で訴える。
だが出てしまえば言葉こそ、引き戻せないものの代表だった。
『や、やだー』
だからして苦し紛れと、詰まったその先をネオンは連ねてゆく。
『いつまでこんな格好させておく気よー。このヘンタイー。あたしの服はどこよー』
その白々しさも頂点の大根芝居は、凄まじい。おかげでアルトの頬も引きつる。押してネオンが、視線を投げていた。小刻みに振るアゴで、何か言いなさいよ、と見合うアドリブをアルトへ要求してみせる。だからして冗談、とアルトが目を剥こうがおかまいなしだ。あたしは服を探してるのよ、と七面相でネオンは訴え続けた。
ままに睨み合うことしばらく。
やがてアルトの鼻から、荒い息はひとつ、吐き出される。
『うるせー。今さら服がなんだってんだー。それで十分だろうが』
一瞥くれて、天を仰ぐ。
『こちとらもう見飽きてるんだ、っつーのッ』
言い切った。
『み、見飽きっ……！』
ゆえにネオンの頬が引きつろうと、耳の先まで赤くなろうと知ったことではない。続かずその口は、パクパク、空さえ食む。
『あっ、あなたねっ！ みあ、見飽きたって、それっ、デリカシーってものがないのっ！』
とはいえ否定できなかった。何しろ滅菌ゲルに閉じ込められた数多くの自分がすでに、それを証明している。おかげで大根芝居も、もののみごとに吹き飛んでいた。
『そいつは必要ない。歩かせる』
見せつけられた白衣の二人が、ドア前できょとんとしている。
振り返ったアルトはすかさず、そんな二人が持ち込んだポッドへアゴを振った。ならそうだったと我に返ったらしい。一人がネオンへ歩み寄ってくる。
『気をつけろ。丁重に扱わないと噛みつかれるぞ』
『そんなことするわけないでしょっ！』
などと早々に噛みつくも、かまわずアルトはそんなネオンの腕を取っていた。白衣へ引き渡す間際だ。のぞき込んだその顔へ、わずかに首を振って示す。それだけで伝わる何かは、湯水のごとく悪態を吐きかけていたネオンをピタリ、止めていた。
「約束」を問え。
言葉は脳裏を過る。
だからといってうなずき返すことははばかられた。それきりだ。ネオンはアルトの前をただ横切る。
『表の磁気錠が外れていましたが、あれはあなたが取ったのですか？』
問う白衣が、預かったネオンの背を押し出していた。
『俺が来た時からショートしてたぜ。アルトが逃げ出そうとドアを乱暴に叩いたんじゃないのか？』
アルトは答えて返し、ならばここに本人がいる以上、それは追求すべく話題ではないと白衣は判断する。
『今回、マスター立ち会いの元に、矯正を行います』
話題を変えた。無論、マスターとはクレッシェのことだ。
『確かに、前歴アリってわけだ。まかせっきりにはできやしないな。トパルもいるんだろ？』
アルトはすかさず確かめた。
『それが何か？』
白衣は問い返し、もう一人が早くも空のポッドが乗ったストレッチャーを、ドアの向こうへ押し出していった。
『いや、なら俺も付き合うぜ。自閉が解けたからといって、それまで矯正に携わっていたのは俺だ。いなけりゃ何かと不便なことがあるかもしれないだろ』
当然のように名乗りを上げる。その強引さに白衣が眉をしかめていた。
『問題ないとは思われますが』
もちろん問題があろうと居座る気でいるだけに、返事に何ら期待はしていない。そしてそれが、最初で最後のチャンスでもあった。
『いいさ。あんたに判断を求めちゃいないよ』
だからこそ握りつぶさぬよう、アルトはそっと受け流す。
ストレッチャーは耳障りな音を響かせると、通路をリンクルームへ向かっている様子だった。追いかけアルトも部屋を出る。誰もいなくなった室内のドアはやがて、閉じられていった。
『で、あやつらは助けに来たわしらを閉じ込めて、一体どうするつもりじゃ？』
だからしてロッカーで塞がれた防音室の中、呟いたのはサスだ。その隣ではトラが、シワの間から抜き出した通信機を握り締めている。
『スラーとは通信がつながったが……なんと言う？』
問われたサスが、うーん、と唸った。
『こら、呼び出しておいて返事くらいしろ！ こっちはバカでかいデータと格闘中で、猫の手も借りたいところなんだぞ。聞こえてるのか、テラタン！』
おかげで通信機の向こうから、どやさる。どうもあちらはあちらで、てこずっているらしい。
『ええい。二人に閉じ込められたとでも言っておけいっ！』
ヤケクソ混じりとサスが投げ返していた。その耳をドアへすりつける。
『うむ。防音室とか言っておったな。外の音がまるで聞こえんわい』
隣ではトラがけんか腰、サスに言われた通りを伝えていた。まどろっこしく聞きながら、サスはドアの隙間へ爪を立てる。
『トラ、済んだら手を貸せ』
『わしに言うな、わしに！ 行きがかりじょう、そうならざるを得んかったのだ！』
スラーへ怒鳴りつけたのを最後にトラが、通信を切り上げドアに手をかけた。
『待たせた！』
その力はサスにとって百人力か万人力か。やがてゆっくりと、ドアは引き開けられてゆく。
（ボス、あれ！）
ジェスチャーに近い動きが、処置室へ向かうテンとメジャーの視線をさらっていた。
ホログラムの巨大な樹が立つ部屋向こうだ。四つ角を横切って、やたら騒々しい音を立てて白衣が台を押し歩いている。テンの探す『ヒト』二人もまた、その後ろから姿を現していた。
（なんや、あの奥へいくんか）
腰の辺りでテンは控えめに指を折る。
（追いかけますか？）
メジャーがたたみ掛けた。
（いや、おることがわかればそれでいい。処置室におる奴が先や）
つづるうちにも白衣と『ヒト』たちは、テンたちに気づくことなく四辻を右手へ折れていった。
見送りテンは視線を手元へ引き戻す。ホログラムの樹が立つ部屋は、もう目の前にあった。一体が残る処置室はその隣だと記憶している。
とその時だ。ホログラムの樹が立つ部屋で、ドアはスライドする。中から白衣は飛び出してきていた。通路を走り去るのかと思えば彼らはすぐ隣、テンたちが目指す処置室へなだれ込んでゆく。二人、三人、さらには機材を押しながら現れた合計四人が、立て続けに中へと消えていった。
伝わる物々しさが、これからひと暴れするつもりでいたテンたちへ先を越されたような拍子抜けを食らわせる。互いに動話もなくテンたちは、ただガスマスク越しの顔を見合わせていた。
間にも、一人、二人、また白衣は潜り込んでゆく。入り口でぶつかりかけると、くるり、身をひるがえす慌ただしさだった。
何かがおかしい。
思えば残る距離を一気に詰めていた。 様子に、ホログラムの樹が立つ部屋から姿をあらわした白衣が気づき、短く声を上げる。かまうことなくテンは、スパークショットでそんな白衣を突き飛ばした。
処置室のドアは忙しい往来に、開け放たれたままだ。
たどり着いて中をのぞき込む。
だがベットは、囲う白衣と機材に遮られ見ることができない。ただ上部から照射されている滅菌ライトと、その真下、ベッドへ頭を寄せた白衣たちの背中だけが、テンの目にとまっていた。
小刻みと揺れてかわされる会話のスピードが圧倒的だ。割り込めず、テンはしばし気圧される。やがて拉致があかぬと恐る恐る、部屋へ足を踏み入れていった。
前で、作業にいそしんでいた白衣がふい、と顔を上げる。目が、そこにいるはずのないテンたちを見つけて驚いたように見開かれていった。おかげで見えるようになったのは、それまで覆い隠されていたベッドの一部だ。頭から被っていたはずの処置着を裂かれた部下の体は、そこにあった。
『何をしている。遅延剤だ！』
すかさず飛ぶ怒号が、テンを見つけ押し固まっている一人へ浴びせられる。
『ぼうっとしている場合か！』
動かないなら、さらなる怒鳴り声は上がっていた。が、怒鳴りつけて顔を上げた白衣もまた、テンたちを視界にとらえる。忙しなく動いていた手はそのとき止まり、唖然と口は開かれていった。否や、我を取り戻す。
『な、貴様らは別室に案内されたハズではなかったのか！ ここは、関係者以外立ち入り禁止だ！』
言ったところで、テンたちに造語は聞き取れない。
放ってテンはただ、アゴ先からファスナーを引き下ろしていた。光景をしかとその目で確かめんと、かぶっていたガスマスクを払いのける。
とたん触れた空気が目に染みていた。それまで感じることのなかった腐敗臭もまた、強く鼻を突く。思わず眉間は詰まっていた。その背後でガタリ、音はする。
（こ、これは……）
メジャーだ。テン以上に動揺すると、その手から握っていたスパークショットを落としかけていた。慌てて掴みなおせば傍らで、もう一体も、ぎゃふんと跳ね飛んでみせる。
それはベッドの上だった。だが横たわっているはずの部下はもう、そこにはおらず、裂かれた処置着の中にスライムがごとく溶けて輪郭を失った肉塊は転がっている。その塊は不規則な呼吸を繰り返すと、手足の名残と思しき四方出張った「何か」を振り回し、声もなくもがき続けていた。
これが大役をかって出た仲間の成れの果てか。テンの中で声は回る。だがあまりの変貌ぶりに信じきれず、瞬きさえもがぎこちなくなっていた。
『今すぐ出てゆけ！』
向けて白衣が怒鳴りつける。外を指さし振り上げられた袖口には、いつしか透き通るような緑のシミが広がっていた。
『だめです。代謝、止まりませんッ！』
別の声が飛び、翻弄するように開け放たれたままのドアの向こうからさらにもう一人、白衣は飛び込んできた。動かぬテンとメジャーを障害物とかき分けて、ベッドへ駆け寄る。その手が握りしめているのは、半透明の袋だ。たどり着くなり白衣はその袋を裂いた。
『こいつらは、ほうっておけ。シールが先だ！ このままでは汚染が広がる』
慣れた手つきで袋の中から、二メートル四方はありそうなシートを引き出した。
『くそッ。矯正に手を取られたからだ！』
邪魔だ、といわんばかり機材に吊られていた滅菌ライトが払いのけられる。白衣はベッドを回り込み、肉塊全体を覆うように、取り出したシートをかぶせた。それを合図に他の白衣たちもまた、シートの縁をそれぞれ掴むと、力任せに引っ張る。
とたんシートは白く曇った。その内側から冷気のようなものを吐き出す。ままに、ベッドを覆って、暴れる肉塊を押さえつけていった。
無論、密着してゆくシートに呼吸を確保するような隙間など、ありそうもない。つまるところ白衣たちはこのケースを見限ったのだ。とテンは察する。とたん怒りは爆発していた。
（なに、さらしとんじゃぁっ！ キサマらぁっ！）
振り上げた腕もろとも、白衣たちへ踊りかかってゆく。
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