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ACTion 79 『臨界へ』



『それはどういうことです?』
 イルサリ、リンクルーム内でクレッシェは問い返す。
『申し訳ありません。くわえて極Yが暴れているため、制圧要員を要請中とのことです』
 リンクルーム内での無線通話は、イルサリとのセッションを妨げるため許されていない。しこうして通信は壁際に取り付けられた有線端末で行われていた。取りあげた端末を握りしめ、トパルはクレッシェへ聞かされたとおりを繰り返す。
『……塩基付加が失敗』
 クレッシェが、くどくも吐き捨てた。
『マッチングミスによる拒否反応へは、マニュアル通りの処置を施しましたが、状況の改善にはつながらなかった模様です。アルトの矯正に人員をさいたことで、経過分析が追いつかなかったことが』
 トパルは話すが、もうクレッシェは聞いていなかった。
『失敗……!』
 呟きに遮られ、口を閉ざす。またも最後まで聞かれることのなかった報告に、奥歯を噛んだ。自然、その目はクレッシェを睨む。気づくことなくそこで痛々しげに頭を振るクレッシェは、ただこう言ってのけていた。
『結構。いずれにせよ、セフポドにスタンエアを返したような輩です。こちらの要求どおり事が運ぶとは期待していませんでした』
 やがて『エブランチル』独特の吊りあがった目は、トパルをとらえなおす。
『制圧後は特定流奪船乗船員として逮捕。即刻、当局へ引き渡しなさい。思惑通り運ばねば用済みです。ただし、動話解体と言う目的があります。極Yへの音声言語付加については、アルトの矯正結果待ちと、優先順位を変更するかたちで続行します』
 そしてふと思い出したように、笑みを浮かべてみせた。
『ならば、長らく放置していたアレがどこまで使えるのか。さしあたっての問題はそこになるでしょうね』
 その笑みに引き込まれかけてトパルは、我を取り戻す。まだ繋がっている有線を、急ぎ耳へ押し付けなおした。この場を借りて、シャッフルの行方に進展があったのか、確かめたく思う。
 だがそれはもう澄んだ事と、いさめるクレッシェの声を聞いたような錯覚を覚えていた。確かに発してしまえば、いさめられることは容易に想像できる。あえてさらにその機嫌をそこねるなど、トパルには出来なかった。
『何をしているのですか?』
 迷ううちにも、クレッシェに問いただされる。
『いえ』
 答えるトパルの中に、悔しい思いだけが澱と残った。
 クレッシェさえいなければ。
 胸の内で毒づく。
 その毒でトパルは、己の中に「ある」思いを初めて知らされていた。
 ならばもう、無視することなどできはしない。いや、押しつぶそうとすればするほど意識されるその毒に、侵されてゆく自身を止められないでいた。だからこそばれぬようにだ。いやそれこそ見ぬフリで、感じぬフリで、トパルはクレッシェへただ返してやる。
『おっしゃるとおりかと、思われます』
 それこそが割り振られた役割だった。これまで何一つ考えることなく繰り返してきた、例外の存在しない応答だった。
 遠い昔から用意されていたこのシナリオは、ここにこうしてある限り、これから先も続くだろうとトパルは強く確信する。だからこそふと、立ち止まってもいた。彼ならば、この場であろうとやはりシャッフルの行方を確認しただろうか、と思い巡らせる。そうして得た答えに、ひとりごちていた。ここからアルトを連れ去った瞬間からだ。彼は用意されていたシナリオを捨て、その外へ飛び出してしまったのだろうと考える。
 造られた流れの、その外側へと。
 自だけが持つ確信の元へと。
 奴らはボーダーだと思え。
 我々は外へ出る。
 シャッフルの言葉がトパルの中をまた巡る。
 それはこうも忘れられぬものとして、うすらぼんやりながらもすでに染みつきトパルの中に息づいていた。息づくことで、造られたのではなく生まれてきたと言ってよこした彼の曖昧さのなんたるかを、理解できなかった向かうべき外がどこにあるのかを、初めて像と結び始める。
 用意されたシナリオを捨てた彼が主張する曖昧さとは、自らが何者であるのか、与えられて当然と思い込んでいた役割を永遠に捨て去ることで得た浮遊感、そのものだ。その予測できぬ動きが絡んで広がる混沌とした世界こそ、向かうべき外ではないのか、と感じ取る。ならそこにあるのは、予測不能であればこその絶対的な隔絶と、その混沌が生み出す解消されることない齟齬で間違いなかった。だからして横たわる底なしの孤独もまた、垣間見る。
 だというのに、そこへ向かわねばならない。
 メリットは。
 トパルは考えていた。
 シャッフルは『カウンスラー』で見返りはある、と言っている。
 しかしそれが何なのかが分からない。
 トパルは眉をひそめた。
 違いなどない。
 証明すべく外へ向かうと勇んでいたはずだというのに、怯みさえする。
 瞬間、リンクルームのドアは開いていた。
 真正面、クレッシェが泳ぐかのように振り返る。
 メガーソケットをモニターしていた二人もまたドアへ体を向けていた。
 リンク中の二人は微動だにせず、トパルも目が覚めたように視線を投げる。
 押し出されたポッドはそこで、リンクルームへ乗り上げていた。後に続き、矯正の準備を担当していた白衣が二人、さらにアルトが、セフポドが、室内へ姿を表す。
 飽和状態となったリンクルームの温度が、錯覚でもなんでもなく上昇した。煽られて、それぞれの視線は不安と緊張を織り交ぜ狭い室内、交錯する。
 ポッドが手狭となった室内の端へ、据え置かれていた。
 押していた一人が、モニター中の二人へ現状の確認に向かう。
 セフポドはちらりトパルへ視線を投げてすぐ、クレッシェと対峙していた。見つめ返すクレッシェが浮かべた笑みは、全てを手中に収めたかのごとく満足そのものと見えてならない。
『思いのほか早く仕事にとりかかってもらえたようで感謝していますよ、セフ』
 耳につく猫なで声が、持ちうる力を誇示していた。
『やはりあなたはF7のセフポドに変りない様子で、何よりです。ただ、衛生面にはもう少し心を砕いていただきたいものですね』
 その猫なで声で、着用していない白衣を諭す。
 ここへ入る前にすれ違った時とは似ても似つかぬほど強張った表情のセフポドには、答える様子がなかった。だからこそ代わってトパルは胸の内で、こう答える。
 それはとんだ見当違いなんだ、と。


 『この、クソ忙しい時に処置室へ隊員をよこせだと?』
 毟られた分隊長の通信機は、新しいものへ挿げ替えられている。しかしながら壊しかねない勢いで分隊長は、怒鳴りつけていた。
 さすがに船内を熟知しているだけはある。ラボ専用の電気室区画、その網の目のように張り巡らされた通路をシャッフルは、迷うことなく逃げ続けていた。現れたウィルスカーテンに、右へ左へ躊躇なく通路を折れるその足取りは怪我など負っていないかのようにさえ見える。
『中で極Yが暴れているとのことです。制圧の要請がありました』
『当然だろう! 塩基付加だか何だかは知らんが、中へ入れたりするからだ!』
 最低限、構造上バッテリーの上がりやすいスパークショットのプラグは抜かせたが、招待客であることをアピールすべく没収しなかったつまらぬ駆け引きに、罵る以外、返す言葉が出てこない。
『これ以上、こちらの数を割けば穴があくぞ』
 分隊長は跳ね返す。
 と、そこで迷路のようだった電気室区画を抜け出す。見通しの利く間っすぐな通路は伸び、気配ばかりだったシャッフルの背は通路奥、とたん照明のもとにさらされた。
『別動班、対象は電気室区画を出た。まもなくそちらと合流するぞ!』
 分隊長はプロダクトルームへの返答を保留し、先回りさせていた三体へ急ぎ伝える。そう、警戒線として照射率を上げたウィルスカーテンで仕切られたこの区画の出口は今、ひとつに制限されていた。IDの入力でしか開閉しないそれは、民間へ解放中の霊安所エリアへ続く鉄扉だ。
『了解。現在、第一霊安所内を移動中。詰め所を抜け、急行する』
 聞き終えると同時だ。指示を待っているだろう保安所へ、分隊長は声を張った。
『いいか、待機所の三名をアズウェル装備で急行させろ。指揮は班長に任せる』
 了解の声も中ほどで、通信を切る。ダイラタンシーショットガンを握りなおした。これ以上の失態は今後にかかわりかねない。同情と言う名の感情の完全封鎖に、しばしつとめる。何しろつけ入る相手こそ、同胞などと欠片も感じていない冷徹な輩だ。容赦手加減そこ命取りだと分隊長は、目の前の事にのみ神経を集中させてゆく。頂点と高まったところで、追いかけ続けたシャッフルの背は予想通りの軌道を描き、鉄扉を目指して右へと折れた。
『対象、通路を右折。ドア正面へ出た』
 別動班へ短く告げる。周囲四体へも追い立てるピッチを上げるよう手を振り上げる。
 と、その時だ。
 分隊長の中に解せぬ思いはわき起こっていた。それは至極単純なものだ。なぜシャッフルは奪ったハズのミラー効果を使用していないのか、というものである。これではまるで追いかけてくれと言わんばかりだった。だがそれだけでもう十分だろう。次の瞬間にも声はもれだす。
『しまった!』
 思い当たる理由など、ひとつだけだ。効果一式を何者かに譲った。そしてその第三者の存在を仮定すれば、あえて警報を鳴らしたことも、この派手で無駄な逃走劇も、全てが妙にしっくり飲み込めてくるのだから、疑いようがない。
 陽動作戦。
 こうして撹乱されている間にも、見知らぬ何者かはミラー効果を稼動させ、隠密のうちに行動しているのか。
『くそっ、極Yか?』
 現に、処置室で騒ぎは起きていた。
 隊長は保安所を呼び出す。
『全隊員へ警告! 何者かがミラー効果を使用してラボ内に入った可能性がある。相互チェックを開始。不審な効果の残像があれば即刻拘束しろ! また不審船着艦の恐れあり。艦橋に入艦記録のチェックを要請しろ!』
 当のシャッフルは、霊安所へ続く鉄扉へ階級章をかざしている頃だろう。まだドア向こうの別班からは、何の連絡も入ってこない。


 そしてライオンは目を瞬かせる。
 傍らでは、トラからの連絡を叩き切ったスラーが、だいぶさまになってきたレプリカの軍服も凛々しく入艦記録との格闘を続けていた。だからしてその光景にスラーはまだ、気づいていない。
『バレたか……!』
 ゆえにライオンはひとり、吐く。
 無理もない。詰め所から見渡せるガランとした霊安所へ、今まさにそぐわぬ物々しさで連邦軍は駆け込んできていた。
『まだ、バレちゃいねー』
 スラーは返し、
『違う! 向こうから軍だ!』
 ライオンは指を突きつけた。なら軍と聞いたスラーの動きはピタリ、止まる。『エブランチル』独特の吊りあがった目を持ち上げていった。
『な、なんだと。どうなってやがる!』
 やおら背を向けたライオンの顔はそこで、次から次へと様子を変えていった。


『……モディー! おい、モディーッ! 一体そっちはどうなってやがる』
 など等と呼びつける声が響くのは、スラーの霊柩船が停泊す格納庫内だ。メンテナンスも終了した船内、不安定な偽造IDの維持に精を出すデミの隣でモディーは、跳ね上がっていた。
『し、しゃちょー。モディーは驚かされたでやんすよー』
『うるせー。偽造IDがバレちまったのかって聞いてんだ! こっちに軍が駆け込んで……』
 とたんモデイーはぐるりと、デミへ片目を回転させる。
『大丈夫。なんとか持ちこたえてる』
 見向きすることなくデミが鼻溜を揺らして答えた。
『社長、デミさんの話によれば、まだバレてないそうでやんすが……』
 だがスラーの応答はない。
『し、社長? 社長、しゃちょー……?』
『違うよ、それ』
 ぴしゃり、デミは遮る。
『おじいちゃんたちかも知れない』
『サスさんと、トラさんが?』
 モディーは振り返る。ホロスクリーンを見つめるデミは、そこで似合わぬ険しい顔をしていた。
『ふたりが見つかったかも知れない、でやんすか?』
『違うかもしれないケド』
 と、やおらモディーは立ち上がる。
『モディーが行って、確かめてくるでやんす』
 その目は珍しくも一点を見つめていた。腰掛けていた操縦席をかわし、ひらり、身をひるがえす。刹那、動きを止めたのはデミの手だった。硬直した背中が息をのんでピン、と反りかえる。
『待って!』
 呼び止める声は外へ漏れるほどにも大きかった。あまりの剣幕に降りていた階段を踏み外しかけてモディーは、手すりへしがみつく。
『も、モディーは待ったでやんす。な、なんでやんすか? デミさん』
 しかしながら、ホロスクリーンを眺め続けるデミが振り返ることはなかった。ただ独り言のようにこう鼻溜を振る。
『ダメだよ……。入艦記録の再チェックが始まっちゃった。ぼくひとりじゃ、今度こそバレちゃうかも!』


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