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ACTion 81 『真に共有できるもの』



 リンク状態をモニターしていた白衣が一人、ネオンへ向かい歩き出した。
 興奮に潤んだ瞳でその姿をクレッシェは、追っている。
『現状の解析は、より緻密なものを求めます。覚醒状態のままで解析を』
 耳にしてトパルもまた、ネオンへ歩み寄っていった。腕を取れば、辿ってネオンがトパルを見上げる。もう片方の腕もまた白衣が掴んでみせたなら、そちらへも振り返った。そうしてアルトへ首をひねる。
「じゃ、ね……」
 聞こえるのは吐き出された言葉よりも、堪えたその前と飲み込んだその後の方だ。十分なほど受け取ったなら、アルトが返事を返すまでに、くらかの間はあいていた。
「……おう」
 受けてネオンがわずか、口元を持ち上げる。それは頼りにしている、と言っているのか、任せなさい、と言っているのか、アルトには読み取ることができない。ただネオンへ目を細めて返す。
 急かしてトパルと白衣が、ネオンの腕を引いた。メガーソケットを前に背を向けさせると、押し込むように座らせる。
 ネオンの顔にもう、あの笑みはない。その顔色はこころもち青白くさえ、アルトの目には映っていた。
 ままに白衣が、ヒジ掛に乗せた腕を拘束具で固定してゆく。宙を睨んだきり真一文字と唇を結んだ顔を覆い隠し、磁気検出コイルの張り巡らされたプレートをかぶせていった。
 後戻るなら今しかない。ちゃぶ台でもひっくり返すようにしてこの流れを断ち切れば、一か八かの賭けを免れることはできた。だがしかしその後が続かない。だからしてアルトはネオンから逸らした視線で、クレッシェへと向きなおる。そこでクレッシェは心待ちにしていた芝居の幕が、今まさに開かんとしているのを待ちわびていた。
『こだわる理由がどこに?』
 だからこそ不躾と、アルトは言葉を投げつける。
 だがクレッシェが、その表情を変えることはない。メガーソケットの装着状態を確かめるトパルと白衣の動きを食い入るように見つめながら、声だけを毅然と通してアルトへ返す。
『連邦の調査では、毎秒七二〇〇〇船が航路から消失。同時に毎秒四九〇〇〇の放置、遭難船が既知宇宙から発見されていることが明らかとなっています。その七十二パーセントが長距離航行船であり、積荷の被害総額は毎秒、八十五兆GKを下りません。積まれていた荷を待つ末端の被害額となれば、把握できないというのが現状です』
 そうして向けられていた顔は、アルトへと振り返っていた。とたんそれまであった笑みへ、わずかながら影はさす。
『その原因の六十七パーセントは言うまでもなく、航行中に発症するイルサリ症候群です。ついで十四パーセントが船賊による強襲でした。こうしている間にも被害が出ていることは、言うまでもありません。知りながらあなたはわたしに手綱を緩めろ、と言うのですか? その怠慢が、経済や我々自身へ与える多大なダメージを黙認することだと分かっていても、見逃せと言うのですか? まさか。守ることが政府の当然の役割。わたしの成すべき勤めです。それこそ一セコンドでも早く事態を収拾こそすれ、怠ることは許されません。なおさらそこにこだわり、などという個人的嗜好の介入は、考えられない』
 言いたかったのはそのことらしい。
『質問の仕方が、悪かったようで』
 アルトは軽く目を伏せる。聞き流して仕切りなおすべく、口調を引き締めた。
『だがそうせしめたのはこの造語であり、市場の拡大を目的に、既知宇宙の画一化を推し進めてきた政策のせいだ』
 と、そこでクレッシェは即答を避ける。目が、ひときわアルトを強く見据えた。胸の内をのぞき込むがごとく、瞳孔を大きく開く。だとしてこの会話に、悟られて困るような偽りなどありはしなかった。アルトはその詮索を真っ向から受けて立つ。
 沈黙が過ぎればどこか期待はずれだったのだろう。クレッシェは目を伏せる。なに先回りすることもなく、力の抜けた様子で問われた通りを答えて返した。
『地域格差を互換性の問題と捉えなおすなら、これほどの機能不全はないのです。それとも手を伸ばし、もぐことの出来る果実をみすみす腐らせろと言うのであれば、その原始的な美的感覚こそ矯正すべき点でしょう』
 再びネオンの収まるメガーソケットへ、視線を戻した。
『……野蛮、極まりない』
 吐き捨てる。
『そいつこそ、個人的な嗜好だぜ』
 アルトまた突き返していた。
 プレートに頭を覆われたネオンは、大きすぎる白衣ばかりが目に留まって、一見するとどこにいるのかがわからない。光景はまるでメガーソケットに白衣だけが掛けられているかのようで、やがてその傍らから装着状態の確認を終えたトパルと白衣は離れていった。
『嗜好? まさか』
 つまり開始まであとわずかだ。
 クレッシェも知っているからこそ、作業を見守りつつ、そう声を高くする。
『我々は国家を、政府を持ち、文化、文明の中に生活しているのです。その政府、文化、文明は個人の嗜好により定まるものではなく、全体の総意、理想として据え置かれたものにほかなりません。いえ、それが理想と練られてきました。ゆえに我々が推し進める市場の拡大もまた、その過程における総意、理想を形としたもです。成し得るため連邦は、ながらくの間、隅々にまで手入れを施し、緻密な構築を続けてきました。個々の嗜好が横暴する統制以前の無法地帯などとは、違うのです。ですがそのやり方も限界を迎えつつあることは、認めなければならない現実でしょう。だからして新たな世界の枠組みは、今こうして必要とされているのです』
『理想、か。確かにそうかもしれない』
 続くアルトの口調は早かった。
『だがそいつを追求するのは、俺たちの外だけに押し止めておくべきだと思うね。掲げて世界を一つにまとめ上げようとすることは、いっこうにかまいやしない。だが飛び越えて俺たちの内側にまで踏み込んでくるってのは、大きなお世話だ』
 ネオンを離れた白衣が再び、メガーソケットをモニターすべく監視員たちの元へ向かっている。
 トパルは、並ぶリンク中の白衣へ身を屈め、プレートに覆われえたその耳元へ何事かを囁きかけていた。
 かつての矯正ならば、アルトにとって作業へ入るまでの時間には覚えがある。だが今回もまた同じだけの時間が残されているのかどうか、確証はなかった。ゆえに仕掛けるタイミングは、勘となる。
『それはつまり格納庫での話の続きを望んでいる、ということですか?』
 クレッシェエが、監視していた白衣らから振り返った。流れた瞳はアルトをとらえ、黙れと言わんばかり睨みつける。
『セフ、無駄なあがきはおやめなさい。証拠に、あなたはイルサリの自閉を解いた。たとえそれが、憂うべき最も原始的な嗜好である同胞と同郷、その野蛮な幻想に当てられたせいだとしても、あなたはそうすることで自らその領域へ今、文明のメスを入れたのです。主張する立場にない』
 全機能でもってして解析を進めるのだろう。トパルに何事かを吹き込まれた白衣が二人、プレートを跳ね上げメガーソケットから抜け出す。その足を、矯正が終われば必要となるだろう仮死の準備に、ポッドへと向けていた。
 様子を目で追うわけにも行かない。アルトは背で気配だけを感じ取る。クレッシェの話へ耳を傾けた。
『あなたが何と主張したところで、これより我々はその原野へ踏み込み、より快適に住まうことのできる土地へ変えるため徹底的な手入れを施します。地域に根差す個体差、その染みつき離れぬ概念を、そこに始まる全ての壁を払拭し、既知宇宙全体を同一の故郷として個の中へ埋め込む試みを成功させるのです。成し得、障壁を取り除くことができたなら、ホームシックに始まる症候群もまた緩和し、あなた方が懸命だった個も助けることができるでしょう。ただ同時に』
 クレッシェの言葉はそこで切れる。自らもそれを見ることは出来ないだろうと、壮大な計画の結末を見据えて、遠くへ視線を投げやった。
『同時に、我々が作り出した造語以外の言語と文化を、消滅させることにはなるでしょうが』
『いや、違うね』
 アルトは遮る。
 クレッシェの目が丸くなっていた。
『残るのは造語とあんたら二十三種のみだ。俺たちは、そんなあんたらに食い物にされるだけだよ』
 と、食らったクレッシェの顔が、何の脈絡もなく訝しげに歪むのをアルトは見る。ままにクレッシェは、唐突とこう吐きつけた。
『……セフ。あなたは何を考えています?』
『理解できないさ』
 アルトは返し、ほくそ笑む。
 珍しくもクレッシェが身構えていた。
『それこそが、これまでのセオリーでした』
 だとしても口ぶりだけは変わらない。追い討ちをかけてアルトはそこへ、たたみかける。
『いや、それこそが、あんたらだけのセオリーってやつだ。俺がそいつを飲み込むことはできない。だがいい加減、お互いにそれでいいってことにしないか?』
 とたんクレッシェは眉を跳ね上げった。
『何を……、何か、企んでいますね?』
 もちろんその問いにアルトが答えるつもりはない。ただひと息に、思いを吐き連ねてゆく。
『俺たちがこの体に意志ひとつを宿す、与えられた 故郷フルサトを、なんだっていい、生まれたと言える何かを求心力として閉じたたったひとつの個であるなら、どうあがいたところで互いが互いを思うように運べる道理なんてないのさ。いつまでもその手がかりを手繰るだけであんたが俺になり、俺があんたになるようなマジックは起きはしない。それんな個が束なって地域となれば、民族や国家と広がれば、なおさらだ』
 ネオン自身がパスワードを持たないため解析開始には、イルサリ起動に第三者の介入が必要だった。いうまでもなくかつてそれを引き受けていたのはアルト本人だ。
 モニター中だった白衣が整えられた準備に、パスワードを求めてメガーソケットへつくよう、アルトへ顔を上げていた。気づいたクレッシェが素早くそれを制して指示を飛ばす。
『確実性を求めればセフポドに任せるが道理ですが、見送ります。あなたがなさい』
 アルトはそんなクレッシェの言葉さえ、待つことはなかった。
『だってのに、それをひとつに束ねる? 骨抜きにされて融解したそのどこに誰が残る? あんたらが掌握したいのは、ひとつにすることで全てを無に変えるだけの暴挙だ。分かり合えない。それで十分だろ。それはお互い様ってやつだ。だからこそ俺は思うね。俺たちは唯一、分かり合えないってことを分かり合うことができる、ってな。必要なのはアナログ楽器の音色に惹かれる思いでも、トニックの動話舞踊に魅了される感覚でもなんでもない。個が個として真に共有できるのは、それだけなんだ。解決しない問いの上にこそ、理解や協調は成り立つ。いつだって、そいつが世界を回してきた』
 クレッシェに指示された白衣は、しばし驚いたような表情を浮かべ、慌ててメガーソケットへ腰をおろしていた。背中のエアクッションを調節した手で、跳ね上がっていたプレートを頭部へと引き寄せてゆく。
『あなたは、イルサリの自閉を本当に解いたのですか?』
 クレッシェの問いかけは、あくまでもアルトの話を無視していた。目はいつしか瞬きをやめると、アルトを射抜くように見つめている。ままに放つ言葉は、さすが鋭い洞察力を持つ『エブランチル』だとしか言うほかないだろう。あながち当て外れと言うわけでもなければ、アルトが虎の子と残した仕掛けが確かにイルサリに残されていることを、少なからず言い当ててみせる。
 ネオンの隣に横たわった白衣が、かまうことなく矯正開始のアクセスを開始しようとしていた。ソケットはあの羽虫の飛ぶような音を発し、続いてネオンのソケットからもまた、唸るような低音がもれだし始める。
『イルサリは実に、実に俺に忠実だった』
 十分に暖まった今なら、文句ないタイミングだった。アルトはとぼけたように、肩をすくめて返す。 
『今でもそうさ』
 聞いたクレッシェの表情が、とたん反転した。
『イルサリに何か、仕込みましたね』
 目じりが裂けて、吊り上がってゆく。
『そいつはめでたい勘違いなんだよ。俺は、もう、F7のセフポドじゃない』
 あおってさらにアルトは言い、耳にしたトパルが仮死ポッドから振り返ってみせた。決定的な何かを目の当たりとしたその顔を唖然とさせ、前でアルトは言い放つ。
『その通りさ。イルサリは俺との約束を、必ず守るね……』
 瞬間、クレッシェはの体は、白衣たちへとひるがえされていた。


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