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ACTion 84 『EXPRESS! 3』



 クロマは一瞬、我が目を疑う。こすってフレキシブルシートから、緩みきっていた体を引き抜いた。fり上げた腕は、そこに動話を炸裂させる。
(きたぁーっ!)
(テンか?!)
 視界に捉えたコーダが、目の色を変えていた。残る糸が絡まるのもお構いなしだ。身の丈ほどに完成していた(フライオン)、を放り投げる。余る腕でアイドリング状態だった船のスタータを、再始動させた。
(ちゃう。一緒について行ったガータや! あいつのビーコンやで!)
 漆黒の宇宙に漂うがごとく浮かんでいた船は推力を取り戻すべく唸り声を上げ、プラットボードへ飛びついたクロマは、ボード上部にホロデバイスを広げる。四本の腕、それぞれに一枚づつの仮想キーボードが配置されたホロデバイスは、同時並列入力型の極Y専用だ。余すところなく使って即座に、二次元信号だったビーコンの発信源特定に取り掛かった。
(そら、言わんこっちゃない! ハナから造語の奴らは腹にイチモツ据えとったんやないか!)
 任せてコーダも、操舵システムの立ち上げ手順を猛烈な勢いで消化してゆく。
(近いで)
 クロマが振っていた。
(そら、ええこっちゃ!)
 切り返し、コーダは船内のエマージェンシーもまた、発動させる。
 船内の照明が青白く切り替わり、船内随所に設けられたプラットボードが白く光を放った。コーダはそれらプラットボードへ表示させるべく、こう動話を読み込ませてゆく。
(ボスから入電アリ! 応援の要請や! 寝とぼけとるヒマはないぞ! てめえら、めぇ、覚ましやがれ)
(ビンゴ!)
 間髪入れず、クロマの指が鳴る。
(連邦の船や)
 振りに、コーダが反応していた。
(アニキは白い船や、遺体収容船の中におる!)
(当たり前やろが)
 だが驚くどころか、コーダは鼻をすすり上げている。そんなコーダのまわりで計器は早くも、オールクリアを示していた。見回しコーダは四本の腕で、スロットルを握り締める。
(そのために、ここでスタンバっとったんやろうが! おう?)
 同時に、メインブースター稼動。
 伴い艦橋前方、クロマたちの視界の中で風景は水平に流れ、てやがて漆黒に塗りつぶされていたそこへ張り付く星々とは異なる小さな光をポツリ、灯した。瞬かぬそれは連邦の白い船だ。
 クロマたちの船はその遥か遠方、粘菌ネットに囲われた『フェイオン』崩壊現場の影より、ゆっくり姿を現してゆく。


 思いのほかタックルは重かった。トパルの体がアルトのみぞおちをえぐる。受け止めれば渾身の一撃は破壊力以上、切実な何かを痛いほどにアルトへ伝えよこした。その体を投げ捨てるに、いくらも方法はあるだろう。だが、汲み取ればアルトの動きを鈍らせる。
 ネオンという存在がアルトへ自身の言葉を走らせるきっかけとなったのなら、トパルにとってその言葉を走らせるべくあてがわれた靴はシャッフルという存在だ。行かせてやりたい思いが過去、ラボ脱出を前にして脳髄を吹き飛ばされた姿と重なった。だが重なれば重なるほど相容れぬ要求に、近づけば近づくほど互いは離れる。
 思うようになりはしない。
 脳裏を、今しがた放ったばかりの言葉は過ぎる。
 それはお互い様だ。
 そして共有された、唯一の望みでもあった。
 トパルがその矛盾を体現するなら、どこへ行くのか、そんなことは問題ではない。行こうとするなら相容れぬ意思のまま対峙するのみ。手加減ほど不誠実なものはなく、思いやればこそアルトはその意を固める。
 食らいつくトパルの襟首を掴み上げた。引き寄せ、甘いボディーへヒザ蹴りを食らわせる。トパルの体が小さく浮いて、動きはそこであっけなく止まった。やがて痙攣する横隔膜に自由を失った呼吸を持て余しつつ、えづきながらトパルは後じさってゆく。
 その「く」の字に曲がった体から、引き剥がすかのようにし顔が持ち上げられていた。充血した両眼が、初めて感情もあらわとアルトをとらえる。慣れぬ苦痛を振り払うなど、容易ではなはずだ。だからして、トパルがひとたび飛びかかってくるような気配はなかった。
 とどめを刺す必要がある相手だとは、思えない。見限りアルトは背を向ける。
『何を!』
 クレッシェが呼び止めていた。
『逃げるな!』
 味方につけ、トパルもまた浴びせかける。
 割れるほどのその声に、驚きアルトは振り返っていた。
 目へ、あろうことか床を蹴り出すトパルの姿は映る。
 ままに白衣の袖から腕を抜くと、トパルは脱ぎ去り己の手へ白衣を絡ませた。アルトへ体当たると同時だ。白衣をアルトの頭へくぐらせる。それきり喉を締め上げた。させまいと慌ててアルトは白衣の中へ片手を差し込む。だがおぼつかず、目の当たりとして有線前から白衣もポッドへ駆け戻った。慣れたはずの手つきも危うげだ。破竹の勢いで予備麻酔を注射器内へ吸い上げ始める。
『早くしろ!』
 トパルの怒号が耳元で炸裂する。
 定めてアルトは、ヒジ打ちを放った。だが詰まる喉に、うまくゆかない。かすったところでヒザ蹴りを食らったばかりのトパルに、怯む様子もまたなかった。そうしてもみ合ううちにも、バイオゲージをセットした白衣が予備麻酔を手に駆け寄ってくる。
 まずいと遮り、アルトはトパルへ体重を傾けた。その体を闇雲に押し戻す。双方の足が複雑奇怪に入り乱れて床を踏み、紛れてアルトはトパルの足先を思いきりの力で踏みつける。戦闘要員でもないトパルの靴先に鉛が仕込まれているハズはなく、踏まれた痛みと、そうして封じられた動きにトパルの動作は一時、統一性を欠いた。
 刹那、おろそかになる手元。
 緩んだ白衣の内側へ、すかさずアルトはもう片方の手もまた、もぐりこませる。掴み、相当のスペースを取って両足を踏み変えた。肩を入れ、掴んだ白衣を引き寄せる。腰の引けたトパルの腕を手繰り、掴むや否や背で投げ飛ばした。
 絵に描いたような弧を描いたわけではない。だが裏返ったトパルの体は見事、床へ叩きつけられている。受身のひとつも知らないのだろう。後頭部をしこたま打ち付けたトパルは、のされた歪な形のままで動かなくなっていた。
「悪いな」
 見下ろし、解放された喉でアルトは息を吐く。
 瞬間、脇腹に衝撃は走った。
 何事かと目を見張れば、バイオゲージを突き立て白衣が食らいついている。その指は薬剤を注入すべくピストンへ、あてがわれていた。
 振り払い、アルトはヒジ打ちを放つ。
 食らった白衣が、アルトの傍らからすっ飛んでいった。接続部からもがれた注射器もまた、バイオゲージだけを体に残し消える。その根元を急ぎ弾き、剥離剤を流し込んでアルトは突き立つ針を抜き去った。
 舌打ち顔を上げれば、一部始終にたじろぐクレッシェが後じさっている。
 背後で忙しなく編み上げられていたネオンの模擬脳は、作業を止めていた。
 『約束』を探るため、リンクした白衣の脳波を、その隣に揺らめかせるのみとなっている。
 急ぎアルトは、ネオンの横たわるメガーソケットへ身をひるがえした。その体を、力任せに揺さぶる。
「始まるぞッ。起きろ、ネオンッ」


 覚えはない。
 それはアルトに揺さぶられる少し前だ。
 ネオンは感じていた。
 だが幾度となく通り抜けた、これは光景のはずだと考える。
 あてがわれた覆いに視界の全ては白く塗りつぶされ、今や三百六十度、膨張していた。
 ややもすれば左右へ文字は浮かんで、ネオンに注意を促す。どうやら円柱を展開したような、これは歪みのある風景らしい。浮かぶ文字は円柱に戻せばつながるように、視界の左右で途切れてもいる。
 と同時に、羽音のようだった機械音が重苦しさを増した。
 外の会話がまるきり聞き取れない。閉じ込められたような感覚に、ネオンの中を不安は過った。
 すると白く塗りつぶされていた視界へ、バーコードにも似た幾本もの黒い線は横たわる。ネオンの視界をうめくくしていった。
 眩しい。
 そのコントラストに目を閉じたいと思う。だがすでに閉じていたなら、どうすることもできはしない。ネオンはたまらず眉間にシワを寄せる。なら追い打ちをかけてそれは始まった。
 光のラッシュだ。
 圧縮された線のひとつひとつがコンピュターのウインドウを開くがごとく飛び出したかと思うと、まるで脈絡のない映像を次から次へネオンの視界へ投影し始める。いや厳密に言えば、脈絡がないのかどうかさえ、定かではなかった。何しろネオンにとってそれら映像は、何が映っているのか判別不能なほどに高速と、繰り返されている。どれほど機械的に網膜が光を受け取り視床下部へその映像を焼き付けようと、反応する脳がその何たるかを理解する猶予がないほどに素早いものだった。おかげで目にしている実感こそあれ、意識に上った地点でそれらは全て織り混ざった極彩色の残像へすり替わってゆく。
 ネオンの中を、得体のしれぬモノが吹き荒れた。
 だが目にしたものに反応するのが脳の生理なら、その得体のしれぬモノを無視することはかなわず、ネオンはひたすらフル稼働する己に従う。いや、圧倒されて、頭の中をかき回されるトリップ感に溺れていった。
 やがてそれも限界に達したなら、それでも襲いくる映像の洪水を処理すべく、意識の継続そのものが単なる負荷と変わり果て、ネオンの中でおろそかとされてゆく。
 ぼんやりかすみ、欠けてゆくナニカ。
 己の変化に気づくことすらできずネオンは、ただ差し込む光に反応し続けるだけの有機物となって横たわり続ける。アルトから受けた指示などとうに消え、まさに醒めたままで自らを失ってゆこうとしていた。
 そこに時間は存在しない。
 送られ続ける映像同様、切り取られた瞬間、瞬間が脈打ち続ける。
 いつからか繰り返されていた己の荒い呼吸さえもが霞んで消えれば、ひどく穏やかな世界はそこに広がっていた。
 とたん途切れることなく繰り出されていた映像が、何かに躓いたかのように小さく跳ねる。最初、ネオンが目にした文字列が、再び両端へ浮き上がっていた。視界の露光は落ち、映像の上へあの幾本もの線は、滲むように浮き上がってくる。すっかり入れ替わったなら、目まぐるし過ぎた映像は消えていた。
 視界が沈黙する。
 その静けさで、感覚全てに水を打った。
 ただ目の奥が焦げたようにジリリ、音を立て、限界寸前の処理情報量に騒然としていた脳もまた、解かれた圧に芯から痺れて活動そのものをやめてしまったかのように弛緩してゆく。
 伴い、唸っていた耳元の機械音もまた息を潜めていた。ならプレート内に、繰り返される自身の荒い呼吸音だけが響く。
 置き去りにして視界は、再び広がる白へと塗りつぶされていった。続けさま二箇所へ、文字を浮かび上がらせる。その歪みをただすかのごとく視界は剥がれ、両端はつなぎ合わされていた。一本の筒はそこに出来上がり、ままに筒は回転を始める。上から覗き込んだかのようにネオンの視界の中で立ち上がると、いまやただの輪となったその三か所を、区切ってみせた。その切れ目へ、何者かの介入を示して造語文字は、添付される。だからこそ声もまたこう、聞こえていた。
『至急、内容の確認を願う』
『セフポド・キシム・プロキセチル。相互の約束』
『何を約束したのか、公開されたし』
『知らせよ』
『約束の提示が必須である』
 エコーするかのようなリズムだ。幻聴のようにネオンはそれを聞いていた。
 その時、失っていたような体は力任せと揺さぶられる。
「始まるぞッ。起きろ、ネオンッ」
 呼びかける響きはあまりにも生々しい。同時にあてがわれていたプレートが、ネオンの前から跳ね上げられていった。


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