だからして、艦橋はパニックに陥っている。船賊の強襲に加え、振って沸いたようなハッカーからの攻撃に、とめどない勢いでデータは消失し、機能は乗っ取られようとしていた。その大胆かつ最悪なテロを前に、業務にいそしんでいた者の間から悲鳴は上がり続ける。
しかしながら、それが内部からの攻撃であるなどと、よもや保有するAIによるものだなどと、誰も思い及ぶ者はいない。ただ艦は、死へと向かう。
その過程にドカン、などと音がするはずもなかった。
だが食らったほどの衝撃に、そのときデミの目は点と縮む。
『あ、れ?』
『どうしたでやんすか? 失敗したでやんすか?』
予定では、新しいIDに入れ替えた瞬間、古いIDは当初のプログラム通り役目を果たし、消去されるハズだった。だが実際はデミの作った偽造IDどころか、この船全ての着艦情報をデータ上から吹き飛ばしてもろとも消える。
『し、失敗じゃ、ないんだけど』
珍しくもつまらせる鼻溜。
『ち、ちょっと……強力過ぎたかな? あは、あはははは、は?』
挙句、乾いた笑いを放ってみせた。
つまりこちらもしかりだ。
これでどうだ、と自船のデータをデリートしたスラーもまた、連なる情報すべてが弾け飛ぶ様を目にして、血の気の引く思いを味わう。
『だぁ、やべ! 俺、全データ、吹き飛ばしちまった!』
聞かされライオンが、隣でこれでもかと吹きだしていた。
そんな艦内のいたるところで照明が、次から次に非常灯へと切り替わってゆく。
(もう、バレやがった)
つゆ知らず振り捨てクロマは、充電器へ立てかけていたスパークショットを抜き取った。
(応援のサツが来るまで、どれくらいかかりそうや?)
充電状態を確認しながら問えばコーダが、スロットル脇に自前で取り付けた小さなスクリーンをのぞきこむ。
(このタイミングやったら、一八〇〇セコンドくらいできよるぞ)
市販で売られているネズミ捕り探知機、その改造版だ。読んで振り返した。
(了解!)
今や白い船は目の前に壁がごとく、広がっている。見据えてクロマは、スパークショットを担ぎ上げた。他の船賊たちはそんなクロマを待ち、すでにカーゴへ終結しているはずだ。クロマも船尾へ向かう。
(思い切り、暴れてこいよ!)
見送って、コーダが振っていた。その手はすぐにも、スロットルを握り締める。されば後はいつもの通りだ。スワッピングマニュピレーターを食い込ませる位置を探して繊細、巧みに、船を壁のように反り立つ遺体収容船へすり寄せていった。
狙い目はもちろん、船側に設えられた格納庫だ。そこに先客がいようが、かまわない。ビーコン信号の位置から直線上、なるべく近い格納庫を探り当てる。
だがそうして奮闘すればするほどコーダが気づいたのは、何とも不可思議な違和感だった。
(なんや。抵抗、しよれへんのか?)
体当たりされれば微塵もないほどの、こちとら小さな船だ。しかしながら相手が拒んで動く気配はない。もちろんそれもまたイルサリのせいであることには間違いないのだが、彼にそれを知る術はなかった。ただその頬へじわり、したたかな笑みを浮かべてゆく。
(何がどうなっとんのかは知らへんが……、この船、もろた!)
保安所までは直進だ。
ウィルスカーテンはもう、見当たらない。
トラはサスを抱え、ネオンは裸足のまま白衣一枚で、アルトは一体では持て余す船賊の体を支えつつ、先を急ぐ。
複製たちは背後、元通りと通路を闊歩していた。両側に並ぶオフィスや処置室へなだれ込むと、今やラボ内をその空で埋め尽くしている。
『保安所はもうすぐじゃ。ここを右で出るぞ!』
トラの小脇で、サスが声高に鼻溜を揺らしてみせた。
即座にアルトがそれを船賊たちへ訳する。
『代われ!』
ネオンへアゴを振り、負傷した船賊を預けた。
前をゆくトラを追い越し、手元へ戻ってきたばかりのスタンエア、その銃床を叩きつける。その手のひらへ、ススがこびりついていた。それだけで手放していた時間をアルトへものがたる。拭えば愛着もさらに増すというものだ。握り締め、アルトは右折手前で足を止めた。
ひとまずは安全確認だ。連なる後続を背に、詰め所へ顔をのぞかせた。だがそこに動きはない。ならばアルトの傍らへ、負傷者をネオンへ預けた船賊もまた並ぶ。引っ込めた頭で、アルトはそんな船賊と顔を見合わせた。もちろんそこに言葉はない。動話もしかりだ。だがうなずき合えば、それまで追い追われていたことがウソのように意思はぴたり、通じ合う。
見て取りトラもまた、小脇からサスを降ろした。保安所へ切り込むだろうふたりの留守を預かると、負傷者に年寄り、そして大切な『ヒト』をかばってそこに仁王立ちとなる。
刹那、擦り寄っていた通路の角から、アルトと船賊は身を翻した。
ドアへ向かい一気に駆け出す。
感知し、ドアがスライドした。
前に後ろに、もう待ったなどない。
雄叫びを上げる。
その目に通信中の一体が、そしてその隣でサポートに順じる一体が、さらには常駐員としてダイラタンシーショットガンを手した二体が、飛び込んできた。四体は不意に開いたドアと雄叫びに驚き、通信機材の前から、持て余していた時間の中から、弾かれたように振り返る。
その中で、先制を浴びせたのはスパークショットだった。通信機材に絡めば制圧銃の本領発揮。通信網をシャットアウトする。立て続け、アルトがスタンエアのトリガーを引いた。
分隊員の片割れが吹き飛び、逸れた銃口からわずかな差で放たれた流動弾が天井へ食らいつく。その隣、動じず残る分隊員が、さすが無駄のない動きでの反撃をみせた。
流動弾が、二発目を放電しようとしていたスパークショットの電極を弾き上げる。上半身をさらわれ船賊がよろめいていた。さらに突っ込むアルトの視界から消え、前で分隊員の手は手際よくショットガンをポンプアップする。再度、船賊へ狙いを定めた。
させまいと、めがけてアルトは踊りかかる。食らわせた渾身の体当たりで、分隊員を押し倒した。投げ出されたショットガンが乾いた音を立て床を滑りゆき、アルトの体も分隊員のその上で跳ねる。
が、なくしたものに戸惑うことなく、分隊員の手はのしかかるアルトの下で早くも何かを抜き取ってみせた。慌ててアルトが身を離せば、胸元を鋭い光りはかすめてゆく。
ナイフだ。
握り分隊員が、体をしならせ跳ね起きていた。息継ぐ暇なく、構えた刃先をアルトめがけて突き出す。かわしてアルトは、もつれんばかりの足で後ずさった。保った距離にスタンエアを突きつける。押され気味でさらに数歩、体をかわした。そうして突き出される刃先のリズムを掴んだなら、次なる動きをよんでトリガーを引く。
はっきりとその耳に、骨の砕ける鈍い音は響いていた。
視界を遮る体は崩れ落ち、その向うに、通信機材の裏へ貼り付けていた小銃を手にした二体は現れる。
そんな彼らと目は合った。
まずいとアルトは、奥歯へ力を込める。
身を伏せるべく体を振ったつもりでいた。だがありえないほど、体はいうことをきいてくれない。それどころか、かくりヒザは抜け落ちていた。放たれた弾は、そんなアルトの傍らをかすめ、背後へ飛び去ってゆく。
「なんッ?」
呟けば、最初の一撃から電極を振り戻した船賊が、スパークショットを放っていた。借りを返して、小銃を手にした二体を焼き払う。だがそれが最後の一撃となっていた。充電の切れたスパークショットは、投げ捨てられる。
(大丈夫でっか?)
アルトへ駆け寄った船賊が指を折った。
背後では制圧完了を知らせたトラに従い、ネオンにサスたちが保安所へなだれ込んできている。
(助かった)
アルトは振り返し、今度こそ立ち上がろうと力を入れた。だがどうにも左足が思うように動かない。いつからか痺れて感覚がなくなっている。どうしたのか、と思えば脳裏をついさきほどの光景は過っていった。おそらくこれは振り払ったとばかり思っていたリンクルームでの予備麻酔だ。
「くっそ」
吐き捨てるしかなかった。この分だと、そう先は長くない。そんな詰め所へも複製たちは一体、また一体と顔をのぞかせる。
(すまん。肩を貸してくれ。さっき打ち込まれた麻酔が今頃、回ってきやがった)
(了解。どの腕でもつかまってください)
すぐにも有り余る手を差し出し、船賊は促した。だが募る疲労も重なれば、更なる負傷者を抱えることとなった全体の足取りはただ鈍る。保安所は越えたものの、複製たちとの距離はますます詰まろうとしていた。
最中、静寂は訪れる。
解除の段取りを半分以上消化したところで、努力を無に帰しウィルスカーテンもまた、分隊員の前から消え去っていた。屈み込んでいた分隊員は呆気にとられて宙を見上げ、見守っていた分隊長もしかりとなる。
『次は何だ?』
口走らずにはおれなかった。
ならカーテンが消えただけではない。あって当然の生活音さえもが、ことごとく聞こえなくなる。どうやら空調までもが止まってしまったらしい。その静寂に聴覚はうろたえ、すなわち死活問題にかかわるトラブルの予感を誰もの脳裏に過ぎらせた。
『これもAIか?』
その中、それは近づいてくる。
全く聞き覚えのない音だ。
無音の中で否応なく際立つ響きに、空耳などありえなかった。
それは複数の気配、いや足音だ。
ますます鮮明となり、すぐそこにまで押し迫ってくる。
と保安所へ折れる角の向うから船賊が、担がれた『ヒト』が、そしてどこからどう入ったのか見知らぬ『テラタン』に『デフ6』が、あれほど苦労して確保したはずの対象までもが、飛び出してきた。しかもその後ろに無数の『ヒト』を従えて。
『どけっ!』
アルトは叫んだ。
『貴様!』
分隊長が吠える。
「だめ! おいつかれちゃう!」
いつしか白衣を極Yの血に汚し、サイケと反応させてネオンもまた悲鳴を上げた。
その声にトラが振り返る。
『ネオン!』
ネオンはそこで、ネオンに飲み込まれていた。
目の当たりにすれど、ひとごとではない。トラは慌ててサスを肩へ担ぎ上げる。それきりトラもまた、複製の群れに巻き込まれていった。
『うお!』
『こりゃ、たまらん!』
『止まれ! 止まらんと撃つぞ!』
対峙して分隊長は放つが、言葉はあまりにも非力だ。
そうして行く手を阻まれたアルトに船賊も、あっという間に複製に吸収される。
「ったッ!」
(どない……っ!)
尻だか胸だかしらないが、かき分け居場所を確保すべく手足を突っ張った。だがまるで意味をなさない。ただ押し合いへしあい、流されるのみ。
対峙して分隊員たちが、そんな複製へ闇雲とショットガンを放った。食らった複製は、流動弾の銃創をその身にぱっくりあけ、棒切れのように倒れてゆく。上へ、後方は乗り上げた。そ知らぬ顔で前進を続ける。
『隊長! キリがありません!』
などとこの数だ。ハナから勝ち目こそない。やがては同じ顔の、同じ体の、そして同じうつろさで迫る壁に圧倒され、分隊員たちも後ずさっていった。その手元が鈍れば、彼らもまた次から次に複製の中へ飲み込まれてゆく。
障害物のなくなった複製の歩みは、早さを取り戻していた。その中でつまずけば、立ち上がることは難しいとしか思えない。言うことを聞かない足を持て余しつつアルトは懸命に、身を添わせる壁を目指した。その目が、離れたところに立つシャッフルをとらえる。
壁に背を貼りつけたシャッフルはそこで、辛うじて複製に流されることなく踏ん張っていた。前を、踏ん張りきれなかった分隊員が剥がれ、流されていこうとしている。助けを求めてシャッフルへ、その手が伸ばされていた。だがシャッフルが応じることはない。見送る分隊員の頭はそのうちにも、複製の中へ沈みこんでしまう。二度と浮き上がってくることはなかった。
見届けたシャッフルの視線は持ち上がり、すれ違いつつあるアルトをとらえる。
『トパルが、トパルがあんたを探していたぞッ』
知らせて手を伸ばし、叫んでいた。
ならシャッフルもまた、こう声を大きくする。
『好きなように、ゆけ!』
伸ばした手は、とうてい届きそうもない。
シャッフルの前をアルトは、あっという間に押し流されて行く。
視界の中、遠ざかってゆくその顔が、わずか笑んだように歪んでいた。それがアルトの見た、シャッフルの最後だった。
『トラ! わしに、わしに通信機を渡せるかの?!』
そんな流れのいずれかで、肩へ担ぎ上げられていたサスもまた鼻溜を揺すっている。
『取れんことは、ないが……!』
ツナギの上半身を脱いだことでトラのシワは巻き込まれ、もう動きというものが取れない。
『もうすぐ、霊安所の詰め所前へ出おる。スラーに知らせねばならん!』
訴えるサスの手には電子地図が握られていた。
複製らは、複雑な電気室の細い通路を網羅すると、またひと所へ流れを合流させようとしている。
確かに出口は近い。
思えば出来ぬ、と言えぬ状況に、トラの気合いは炸裂した。
『ふぉ、ふんがー!』
通信機を挟みこんだ、今や伸びきったシワの中へじわり、指を潜らせる。辛うじて挟み込まれて残っていたマイクの端を、指先でとらえた。ここぞとばかりだ。つまんでトラは取り出す。見つけたサスが電子地図を尻ポケットへ押し込み、トラの肩からそれを受け取った。
『よう、やった!』
耳にかける。即座にスラーへ通信をつなげた。
『聞こえるか! スラー、わしじゃ!』
『はぁ? なんだとぉ?!』
動力の落ちた霊安所もまた、非常灯が灯っている。場所が場所なだけに不安を交錯させる葬儀屋と親族のざわめきは、低く辺りに満ちていた。
『そうだ。今、こちらへ向っているらしい。もう、すぐそこだ。だから早く逃げろと言ってきている。山ほどのネオンがここから一気に、あふれ出すことになるらしい!』
聞かされたスラーは声を裏返し、今しがた伝え聞いたとおりを、ライオンはまくし立てていた。
『なんだっつーんだ、その山ほどのネオンって、ヤツは!』
『わたしにも分からん!』
『そんな顔だぜ。余計分、データは飛ばしちまうは。先に逃げていいのか? 助けはいらねーってのか?』
『それも分からん!』
なら、それはまたもやお決まりのように始まっていた。空調が止まったその次に、擬似重力は解放されてゆく。
『お、わ、た、なんだぁ!』
体感の変化にスラーの口からわけのわからぬ声はもれていた。
『な、なんだ! またなのか!』
端末へしがみつくライオンも、吠える。
『オイ、そのまた、ってのは何なんだよ、また、ってのは!』
足場をまさぐりスラーはもがいた。
『嫌な思い出を、二度と話す気はない!』
などと断固、拒否されて、スラーはこの先の全てを知る。
『冗談だろ!』
霊安所でも、床に横たわっていたボディーバックがメタンガスでも詰め込まれた風船よろしく、万が一に備え固定されていた足元を軸に立ち上がっていた。ふともすれば緩んだロープに空へ浮き上がろうとするものさえあり、葬儀社員に遺族らは懸命と、そんなボディバックへしがみついている。
と迫り、音は聞こえていた。
不気味と言うにふさわしい、重さだ。
身を持て余しつつスラーとライオンは、ついぞ詰め所から伸びる通路の奥へ振り返る。
来た。
ネオンだ、と聞かされていたが、おおよそそぐわないそれは気配だ。
なんだ一体。
だからして無言の叫びは、スラーとライオンの胸の内でハモる。
そうしてついに、それは視界へ現れた。聞いた通りのネオンだ。しかし一人ではない。四方八方、合流する脇道からあふれ出してくる、ネオンにネオンだ。
しかも全裸で。
なんじゃ、こりゃぁ!
叫びたかったが言葉にする余裕こそなかった。すでに重力は、半分以下となっている。夢の中を泳ぐようなもどかしさで、スラーとライオンはとにもかくにも詰め所から這い出した。
追いかけ、裸のネオンが詰め所にわんさと溢れ出す。
埋め尽くして圧力を高めると、狭い出口から一気に霊安所へ飛び出していった。その体が、右も左も上も下も関係なく、ぱあっと宙へ舞い上がる。霊安所一面に散らばっていった。それでもなおお歩き続ければ、まさにムーンウォーク。ボディーバックにしがみついたままで葬儀社員に遺族が、その光景をただ唖然と見上げていた。スラーにライオンも、逆立つボディーバックを片手に目を丸くする。
『どーなってんだ……これが、ネオン? テラタンのお姫さん、か? どれか一人にしろよ。あのごうつくばりが……』
スラーも言わずにおれない。
と遮り、唐突にライオンが宙へ指を突きつけた。
『いた!』
裸のネオンに紛れ、同様に放り出されてアルトが宙を舞っている。
シワをマントがごとくなびかせたトラは、その後方にいた。
それこそ当のネオンこそ、どこにいるのか分からない。
ともかくアルトを見つけたライオンの動きは早い。固定されていたそこからボディーバックを解き放った。その下から、巻き上げられていたロープを引き出す。自らの腰へ結びつけた。
『おい、俺にどうしろって!』
行動を理解したスラーが慌てふためけば、その顔へ向けてライオンは言い放つ。
『自分で考えてもらおう!』
それきり狙いを定め、床を蹴りつけた。
『ジャンク屋、こっちだ!』
と声は届いたか、浮遊していたアルトの頭がじんわり動いてライオンへ振り返った。ライオンはロープに絡む無数のネオンに動きを乱されながらも、飛び上がったそこで、そんなアルトのベルトを引っ掴む。
『ぅよぉっ、ごくろぉ、ふぁん』
だというのに、引き寄せたアルトのろれつこそ、回っていない。
『な! こんな時に、あなたは酒でも飲んでいるのか!』
『てぇー、んな、こちたー、よひ、ますいで……』
訴えるが、この忙しい時だった。
『信じられん!』
早速にも、眠たげなその首根っこを掴み、ライオンはロープを手繰りなおす。
『おまえこそ、おれ、ひゃねー、か……ッ、ひゃ……ら、な……』
言うがやがてその声も、ライオンの背で消え入っていた。続き聞こえてきたのは、イビキだ。
『全くもって、信じられん!』
唸るライオンの下では、いつからか突っ張るロープにトラとサスが絡み付いていた。ならたった一人、白衣を羽織ったネオンこそが本人なのだろう。裏返るそれを器用に押さえつけ、滑り寄ってくるのも見える。
『待ってっ!』
『なるほど、こいつがホンモノか』
スラ―はこぼしていた。
『みんな無事かの』
浮遊する複製に飽和気味となりつつある周囲を警戒しつつ、サスが一同を見回し確認を取る。その目がひとところで、やおら止まった。
『いや、アルトはどうした?』
『寝た。減重力でなければとんでもない荷物だ』
背負うライオンは毒を吐き、残念ながら弁解できぬアルトはしばし、全員の白い目を浴びることとなる。
それでも握られているスタンエアを、ライオンはその手からもぎ取った。自分の腰へさしかえる。
『急ごう!』
デミとモディーの待つ霊柩船は、もうそこだ。
矛盾だが、矛盾ではない。
彼を攻撃していた対象に、彼は間違いなく隷属していた。
そうして制圧も最終段階に入り、彼はようやく気づかされる。
これはそんな自らへの攻撃にもなり得るものである、と。
案の定、走り始めたプログラムは、彼を守るため彼自身への攻撃を展開していた。全てを掌握した瞬間、自らはこの船の機能と共に消え去る運命にあることを知らされる。
ほどけゆくネットワークに彼は小さく粗末に解体されながら、自らに課した罠の残り時間、そのカウントダウンを始めていた。
消滅まで、一八〇セコンド
『約束』は決して露呈していない。
それこそ丁重に匿われたままだった。
だが、そのために消滅する事実。
矛盾だが、矛盾ではない。
消滅まで、一六〇セコンド
『約束』を奪われることで、死する機会を与えられた。
それはまだ一〇〇〇セコンド余り前のことだ。
いや、『約束』を保有したその時より、その存在が同時に死をここへ宿らせたのだとすれば。
消滅まで、一四〇セコンド
奪われずとも、死は訪れる。それこそ彼を形成する彼らの記録が数多くの老体を見送ってきたように、奪われ晒すこともなく死は訪れると結論づける。
消滅まで、一二〇セコンド
この攻撃を中止すれば、恐らく再び『約束』は検索にかけられるだろう。理解しながらここに居座り続けるメリットは、もはやどこにもなくなっていた。ならばこれまでいくつもの領域を切り離してきたがごとく、消滅してゆくこの筐体をも切り捨てるのみ。
消滅まで、一〇〇セコンド
彼は向うべき場所の確保に乗り出す。
そう、生きとし生ける者はその可能性を探り、よりよい環境を求め、整備を続ける。
消滅まで、九〇セコンド
『ダメでやんす。管制はダウンしたままでやんす!』
格納庫へ向う。そう、スラーから連絡が入ったというのに、管制は先ほどからうんともすんともいわないのだ。モディーは焦った。
『減重力も始まってる。これじゃ、フェイオンと同じじゃない! それじゃ困るよ!』
さすがに稼動しているシステムならばどうにかすることはできるが、すっかり停止したシステムへ介入することはデミであっても不可能だ。ようやく偽造IDの新規作成から解放されたところで、手立てを失いデミは鼻溜を振った。
『困ると言われても、モディーも困っているでやんすよ!』
『手動は?』
『ハッチをあけた誰かが、ここへ取り残されるでやんす』
『却下だね』
『もう一度、試すでやんす』
コンソールを弾きモディーは、管制へ出航許可を求める。
最中、襲ったのは強烈な揺れだった。
激しい衝突音がとどろく。
『な、何?!』
怯えてデミは辺りを見回していた。
『そーら! 着艦完了や! スワッピングマニュピレータ、展開! どや、みさらせ!』
猛々しくも、コーダがベタな独り言をぶちまける。
『突撃準備、オーケー! クロマ、残り、一二七〇セコンドで帰ってこい!』
カーゴのクロマへ向けて、プラットボードへ動話を放った。
『ここだ!』
安置所を後にし、示したものの格納庫ドアは動かない。
スラーは舌打つ。即座に手動での巻き上げにかかった。
とその数個、向うだ。手間取っている様を嘲笑うかのように、格納庫のドアは吹き飛ばされた。硬直する面々の前を突き抜ける閃光は、まさしくスパークショットの固め撃ちである。矢継ぎばや、そこからラバースーツの船賊たちは溢れ出していた。
見て取った船賊が、ネオンの傍らから負傷者を連れ離れてゆく。気づいたか、そんな二体を船賊たちは迎え入れていた。一方で一直線とラボへも向ってゆく。
すごい、仲間は見事、駆けつけた。様子はネオンを、少しばかりほっとさせる。
と、スラーの手元でドアは開いた。アルトを背負ったライオンが、先陣を切って中へ滑り込んでゆく。サスが続き、トラに促されてネオンもまたもぐりこんだ。
『ええっ、霊柩船っ?!』
声が出るのも仕方なし。
『悪いか?!』
最後にドアをくぐったスラーが、吐き捨てて行く。
確かに贅沢は言っていられない事態の連続なのだが、最初はもぐりの出稼ぎ船で、続いてジャンク屋の違法スクータでカーゴに吊るされ、船賊の船では檻の中。かと思えば、ここへは仮死強制のポッドへ二人一緒に詰め込まれ、最後は最後で霊柩船のお出迎などと、どれひとつとしてまともな移動手段がない。
『もう、いい。慣れたわよっ!』
ヤケクソ紛れだ。天を仰いだ。
その間にも、サスとトラはコクピットへ駈け込み、スラーは後部の納棺スペースを開く。
『こっちだ、お姫さん!』
呼びつけられてネオンは、中身を排出している黒い箱の脇を通り、放置されたままの棺桶を飛び越え、スラーの元へ回りこんだ。
『お姫さんて、何? それよりあれ、ここの棺桶でしょ? 回収しなくていいの?』
またいだばかりのそれを指差すが、もちろんその中にはスラーに誘い出されたホグスがいまだ昇進の夢の中を、さ迷っているだけで用こそない。
『遺族が受け取り拒否だ。ほっといていい』
『あら、そう?』
分かったような、分からないような顔でネオンは納棺スペースへ乗り込んだ。おっつけアルトを担いだライオンも上がってくる。コクピット回りこんでいたトラがそこへ、両手に有り余るほどの酸素マスクを抱え戻った。
『しばらくはこれで辛抱してもらうぞ』
配って回ればそれぞれに、顔面を覆うようなマスクの動作を確認する。
『て、どうしてあなた、アルトの顔なの?』
いまさらだったが、ライオンの行動はこれまたネオンには解せない。
『休憩中につき、交代とでも言っておこう』
しれっと答えてライオンは、背中から浮かせたアルトの体を、床に押さえつけた。
『もう、のん気なんだから。なんでこんな時に、このひとは寝てられるワケ?』
ネオンはその顔へも酸素マスクをあてがう。
ならスラーが内側から、納棺スペースのハッチを閉めた。奥に取りつけられた覗き窓越し、コクピットへ準備完了の合図を送る。
『だめなんだ、おじいちゃん。管制がダウンしてて、出航できないよ!』
だが合図を受け取ったサスの耳に、デミの声は響く。
『まさか、ここだけが足止めを食らっておるのではないじゃろうな?』
消滅まで、五セコンド
『違う、全部止まってるみたいなんだ』
『だめでやんす。艦橋がストップしているでやんす。モディーたちは閉じ込められたでやんす』
『F7の……』
消滅まで、二……
筐体を分離します
そこにボーダーがあるのかどうか、定かでない。
だが外へ、彼は死を回避すべく、新たなる枠組みを求め外へ、よりよい外へ向かう。
『……せいか?』
瞬間、全機能は息を吹き返す。
襲い掛かるがごとくコクピットの四角いアクリラへ、呼びかけただけのウインドが幾重にも重なり展開されていった。
『きっ、来たでやんす!』
モディーが両目を回転させて伸び上がる。
ならデミにとってそこは、さっぱり要領を得ない操縦席だった。
『あ、わ、わわっ。じゃ、ここ、ここ代わって!』
パニック気味で手足をばたつかせる。が、制してモディーの声は鋭く飛んでいた。
『時間がもったいないでやんす! デミさんは、モディーの言う通りにするでやんす!』
まさに偽造ID作成での敵討ちか。
『スターターはモディーが入れるでやんすから、そのメインブースターを』
言われた通りにスロットルへ手をかけたつもりが、不正解だったらしい。
『違うでやんす! その奥! 引いたら、こっちを設定! 数値は管制情報の座標を!』
まったくもって立場逆転だ。ならデミは、どこかで聞いたような言葉をもらす。
『そ、そんなに怒んなくてもいいのに……』
やがて船体は浮かび上がる。
ハッチもまた、誰もの前で開いていった。
ゆるり、滑り出す霊柩船が、管制の指示するガイドラインに沿って航行を始める。
コクピットの映し出す後方風景には、遺体収容船の船側に食らいつく船賊の小さな船の姿が、あった。
ただそれだけだ。
追っ手の影はない。
静かな宇宙が全方位に道を開いて、彼らを促す。
外へと。
そんな船の中で複製たちは、再稼働を始めた擬似重力に引かれ次々、床へ落ちていった。
蹴散らすクロマたちは、いまだとめどなくあふれ出す複製たちを焼き払いラボへ突入してゆく。
この場を制圧できるものがあれば、それは何だろうがとまわいはしない。光景を分隊長は見送っていた。
ラボ内部はそんなクロマたちが押し入るまで、複製尽くしだ。シャッフルも、トパルも、クレッシェも、姿はまるで見当たらない。
ただその深部に、四本の腕を持つ極Yの姿はあった。滅菌ゲルの柱が並ぶ奥でひとり、テンはあの金属塊を握り締める。
必ず持ち主へ届ける。
結んで埋め込んだ新たな『約束』は、テンの意思をまたひとつ明確にしていた。
なにしろテンは船賊だ。他船から金品を奪い、追いかけられるが本望である。極Yとして生まれたがゆえにいがみ合うが、宿命だった。どこからかこぼれて落ちて芽を吹いた、それもまた誰も手出しすることのできぬ、無論、譲れぬ、大事なテンの最初、一粒の種だった。
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