通りを八エリア。
ハイドロエチルブロックパックの小売店を、左へ。
この店はいかにも混ぜ物が多そうなので、利用したことはない。
横切り伸びる緩い坂は、雨に濡れるとやけに滑りやすい独特の青みを帯びた石畳だ。
『デフ６』開拓地域独特の低い軒は、その辺りで途切れる。
向うに、ハイブリッドバイオプラントのみずみずしい緑が覗いていた。
「けやき」と呼ぶことは、最近知った事実である。
通りの両側を賑やかに彩っていた。
並ぶ建物の寸法は、そこでアルトの背丈と合致する。
加工惑星『Ｏｐ１』、その『デフ６』開拓地域を抜け出しアルトは『ヒト』開拓地域に足を踏み入れていた。
デミが落ち着きを取り戻すまで予定外の時間を費やし、のち積乱雲鉱石と積乱雲チェイサーの簡単な講義を済ませて店を出たのは『Ｏｐ?１』の濃紺の空に水墨画のような黒い夕闇が押し迫る頃だ。
ちなみに積乱雲鉱石とは、超新星爆発によって飛び散った超新星残骸が別の超新星残骸と干渉することによって、何かにつけてゴミの多くなった宇宙空間の浮遊物などへ物理、もしくは化学気相成長することで出来上がった結晶体のことである。
ほとんどが極少、微小の結晶体だが、時に巨大なダイヤモンドを形成し、核となる素材によってはそれ自体が新種の宝石のような美しさを持つ鉱石に成長する稀少特異体で、その中でも自己結晶過程において稀に新素材が発見されるシロモのでもあった。
積乱雲チェイサーとは、そうした鉱物のみを狙って回収する一攫千金を狙ったハンターたちの呼び名である。そしてその呼び名が超新星残骸チェイサーでないのは、プラズマ現象も激しく、放射線を吐き出しながら光速以上のスピードで広がる爆発余波の残骸の中へ突っ込んでゆく彼らの様が、傍目から見るとちょうど稲妻光る成長後期の雨雲、積乱雲へ突っ込む様にそっくりだと言うところからきているためだ。
おそらく名づけたのは、参照された気象現象から察して『ヒト』だろう。
無論、危険が伴わぬハズはなく、彼らの末路は航行不能のうちに残骸のガスに巻かれて消息を絶つというのがおおむねだった。
知ってもなお追い求める彼らのたいがいは、地道な作業に嫌気のさしたジャンク屋あがりのならず者と相場は決まっている。回収したモノによっては一生ハデに遊んで暮らしても使い切ることの出来ない金を手にすることができるのだから、ハイリスクハイリターンをいとわなければ大博打に打って出る気持ちもわからなくはない食いブチだった。
そしてそれほどの大金が動く換金には、ギルドとの事前契約が必須となり、ギルド側にとっては大金が絡めば絡むほど、それらならず者との間でトラブルは起こることとなっていたのである。まっとうなギルド換金店舗ほど取り扱いを渋る、それが原因だった。
納得したデミに、いつもの笑みが戻れば長居は無用となる。
そうして店を出たのは、十五分分ほど前のことだ。
ジャンクを回収し、売ればそれで全てが終わりと言うワケにはゆかない。アルトがこなさなければならない生活と言う名のルーティンワークは、そうして始まる。
なにしろ働けば腹が空いた。食えばがぜんモノが出て、モノが出ればまた腹は空く。そして食い物には金がいり、そのために労働は必須だった。
現場を離れてしまえば、どんなジャンク屋も同じだ。待っているのは、それらルーティンに忙殺された地味な毎日だ。迫られ、さしあたってアルトが向かったのは、「ニューヨーク・ホンダ」と言う名のスーパーマーケットだった。アルトの行動パターンを先回りしたイルサリが、ご丁寧にも残して行った地図に記された店である。
迷うほどもない町並み。
頭の中の地図を回転させながら辿りついた目的地に、単純な赤と青にオレンジの縁取りがほどこされた軽薄極まる看板は、「ニューヨーク・ホンダ」の文字を並べてけやきの間からアルトを手招いていた。
チェーン店ならではの軽薄さがいただけないが、きらうことなく中年女性に続き、見上げてアルトも自動ドアとウィルスカーテンをくぐり抜ける。
店内に流れるＢＧＭは、ありえないことに水滴を転がしたような音色のビューテフルサンデーだ。
強制的に聞かされながら、脇に重ねられた華奢なカートを引っ張り出す。
その目に最初、三個パックが破格だった愛用のシェービングクリームが止まったなら、早速、カートの中へ放り込んでいた。立て続け、おとつい切らしたバキューマーの紙パック十枚組を一つと、食らった超新星爆発の揺れでどこへいったのか分からなくなったシリコンマグカップの代わりを一つ。手触りが気に入った綿タオルを一枚に、使い捨て用のＣＯ２エコペーパーを五つ落とし込む。
その後、あまりにも使わずに放っておいたせいで中身が蒸発していた万能洗剤の詰め替え用パックを一袋と、ドライシャンプー三十倍濃縮を一つ手に取り、さらには一口コンロの取り替え用電熱線と、火傷から虫刺さされにまで効く万能軟膏「ピエロール」、バスブースに注入する自動洗浄剤三本に、軍手十枚組みをチョイスした。
地域での買い物なら、裏書を必ずチェックしなければならないところだが、全てメイドイン・アースと分かっているなら大歓迎である。かつて似たラベルに惑わされ、類似品を購入。髪を焦がしたことも、バスブースを詰まらせたことも、漏電したことも、一度や二度ではない。
心配がなければ、それだけでご満悦。
冷気漂う食品売り場へカートを押した。
最もかさばる食料品の大半は、ユニバーサルデリカの配送サービスを利用するため、ここで必要なのはユニバーサルデリカで入手できない類のものだろう。そこはそれ、さすがヒト開拓地域のスーパーマーケットだった。ドライフルーツに、オーシャンパシフィックピース印のレトルト鮮魚。チンゲンサイ増量が強調された真空パック入り半生野菜に、これがあれば同じ味に飽きたとき助かる、アラウンドザワールドのコンビニエッセンス（いわゆる調味料の詰め合わせ）。滅多にお見かけしないタオタオのどデカ餃子と、マルチサプリメントのイチゴ味等、思わず唸り声が出るような商品のオンパレードである。
迷いつつ、どれも数個づつカートへと投入した。
最後、フジヤマ加工の、テイスト異なるミートローフ缶を四つチョイスして、山盛りのカートをレジへ切り返す。
途中、忘れかけていた気圧変化対応標準ゴミ袋を思い出し、カートの山へ追加した。
さらに精算中、レジでＪＰＳ?ｗの無煙タバコをワンカートン、注文する。
愛想はないが手際のよいレジの女性は、このご時勢ゆえアンドロイドかもしれないとぼんやり考えていれば、支払いはカード内の残額ギリギリとなっていた。どうにか支払いをすませ、聞き飽きたビューティフルサンデーに別れを告げる。その手には、そこまで現地式を貫く必要はなかろうに、はちきれんばかりのレジ袋が５つ。
まこと壮観。
そしてどこか虚しい。
『デフ』６開拓地域を経由していなければ三輪ジープの一つも持ち込むのだが、手狭に作られたこの町並みには車幅が合わない。徒歩で移動する。かつてトラが自らの船『バンプ』を置いていたスペースを借りて停泊させている自船へ、足を向けた。 そう、エレベータなどついていない、あのデミ店舗ビルの屋上だ。
七階までのぼる、外付けの階段。
荷物が重かろうと、ひたすら上がる。
当然、行きは切れ、地味に疲れて到着していた。
鼻息荒く船内へレジ袋を放り込めば、代わって掴み出すのは航海中に溜まりに溜まったゴミ袋だ。これは完全に日が落ちるまでに済ませてしまいたい作業のひとつといっていいだろう。いい加減に安全対策を考えてもいいハズなのだが、薄暗い圧縮集積所は、度々転落事故が起こる危険な場所として有名でもある。
黒ずむ空と競争だ。独楽鼠のように地上と屋上の往復を繰り返すと、アルトは全力でデミから聞いた指定の圧縮集積所へ、メタボリックさながらに腫れたゴミ袋を次から次と落とし込んでいった。
汗まみれでつかんだのは、僅差の勝利。
だが称えて出迎えたのは、ランドリーのない船に溜まった洗濯物の山だった。開くなり隠すように詰め込んでいたロッカーから雪崩れて出てくる衣類が、その勝利に歓声を上げてアルトへ降り注ぐ。認めたくはないが、自分のものだと思いたくないほどにクサイから手に負えない。
ともあれ、足元に散乱するそれを袋へ詰め直し、これまたイルサリの残した地図にあったコインランドリーを目指した。
道中、街頭に立つ自動販売機を見つけて、適当な雑誌を数冊購入する。
今さら紙媒体などと思われそうだが、ページをめくるという行為は期待と期待をつなぐ空白の時に、儀式にも似た神聖な何かを吹き込むらしい。どれほどリアルであろうとも、自動的に流れゆく映像よりも、アルトは遥かに充実するその間合いが好きだった。もちろん購入した冊子の内容については、写真がその大半を占めているというだけで、詳細な内容については触れないことにしておく。
と、到着したやたらに広いコインランドリーには、ネオンが持つ楽器と同じ音色のＢＧＭが、その空虚さを埋めるかのように流れていた。だがスピーカーを通したデジタルデータの複製プレイはどこか物足りず、追随して鼻歌も漏れることないまま、素材と色別、アルトは一度に三台のドラム式ランドリーを借り切り、豪勢に回転させる。
単調な動作で、洗浄コースが終了するまでたっぷり三十分。
その間にＡＴｅ?Ｍへ行き、決済カードにいくらか金を落としておくつもりだったが、泣きつかれたデミのせいで今着ている服の胸元にも妙なシミが広がっている。最後の一枚もまたドラムの中へ放り込んでしまったため、出歩きづらい。場所によっては上半身裸で銀行を訪れても怪しまれることのない地域もあるが、いかんせんここは『ヒト』開拓地域だ。仕方なく雑誌を広げて、洗濯に付き合った。
こだわりの柔軟剤で、さらに十分。
ちょうど買い込んだ雑誌全てのページに目が通ったところで、別料金、仕上げのリプロ加工へ衣類を移動させた。
このリプロ加工、施せば衣類に付着した蛋白汚れを多少ながらも分解、除去する優れものである。長期着回しには欠かせない加工として、長距離航行就労者の間では常識のひと手間だった。
終われば、全工程、およそ一時間。生き返ったような衣類を再び袋へ取り込む。
柔軟仕上げのせいでやたらかさばる洗濯物を片手にＡＴｅ?Ｍへ立ち寄った。
いつも適当に自分で始末していたが、たまにはプロに髪を整えてもらうのも悪くないと思いつつ、再び船を目指す。
正直、そのたび立ちはだかるこの階段が、いまいましい。
そうして船内に放り込まれたままとなっていたレジ袋の中身を整理、いや、袋から出して並べ、衣類をたたんだ。
つもりが面倒くさくなり、途中で袋ごとロッカーへ放り込み、ようやく予定の作業はそこで費えていた。
燃料系は、すでに最初入港した港で注入、もしくは充電済みとなっている。後は、明日の夕刻にも届けられるだろう塗膜セットで補修を終えれば、とりあえずの出航準備はこれにて完了だった。
ほっとすれば、立て続けその耳に唸り声は届く。飼った覚えのない腹のムシが、ずうずうしくもエサを催促していた。
確かに、気づけば辺りはすっかり夜だ。
その静けさが誘うのか、ジャンク回収に伴う気疲れとはまた異なる倦怠感が本日の成果のようにアルトの中で重く渦を巻き始める。当然、その渦をほぐす相手など、どこにもいない。間違ってもイルサリを呼び出すほど血迷ってもおらず、抱えてこのまま残りのミールパックを暖めてしまおうかとさえ考える。だがそれこそ独りやもめのウジも侘しさに耐えかねてすすり泣きそうな、本日の締めくくりに違いなかった。
それだけは全力で回避しようと決意する。
予定通り他種族キッチンへ向かうべく、アルトは買ったばかりの無煙タバコを包みの中から一箱、取り出し、明日の筋肉痛を予感しながらビルの階段を下った。
デミの店へ通うようになってからというもの、互いに独り暮らし同士、デミと食事を共にすることも多くなっている。だが今日に限ってデミは積乱雲鉱石について勉強をしたいと、夕食の誘いを断っていた。
通りへ出たアルトはエンジ色のドアに触れることなく、『デフ６』開拓地域と『バナン』開拓地域、そして『ヒト』開拓地域の狭間に陣取る他種族キッチン『ｉｐｓ』へその足を向けた。
この店、立地的にも都合がよく、実に二十種族のメニューをこなすオーナーが『ヒト』であることから、それこそが郷愁か、自然と足が向くデミとのお決まりの場所になっている。
気さくなオーナーは商売上手でもあるらしく、すぐにもそんなアルトとデミの顔を覚えると、三度目に店のドアを潜る頃には早くも遠慮のない言葉で２人を出迎えていた。その顔は三角を向かい合わせたような形の「蝶ネクタイ」という正装が妙に似合う白髪混じりの紳士だ。だが、こんな場所に雑多な種族相手のチープな店を出すのだから、素性もまた純正紳士であるかどうかは、まったくもって疑わしい。
と、アルトの視界、三種族の開拓地域が隣接するだけにどうにも猥雑さの拭えないそこに、『ｉｐｓ』のホロ看板は白く浮かび上がった。
どこかほっとしたような気がしたのは、疲れからか。引き寄せられるように店への足を早めながら、アルトは懐へ手を伸ばした。無煙タバコのパックを抜き出す。封を切り、一本くわえた。パック底の点火パッチをあてがって火を点ける。吸い込めば、魂が乗り移ったかのような炎が、その鼻先で大きく膨らんでいた。
行灯のようにかざし、程なく目の前に立ち塞がった『ｉｐｓ』の錆びた扉へ手のひらを、押し付ける。力任せに開けば、本日も例外なく大盛況らしい。やおら膨張したかのような話声はアルトへ襲いかかっていた。
三段階、高さの分かれた飴色のカウンターは、訪れる種族別対応だ。そこに『フェイオン』のハウスモジュール『ミルト』を思わせる雑多な客が隙間なく腰を下ろしている。すでにそれぞれのバカ話に、グチに、興ずると、わき目も振らず飯を食らっていた。オーナーはそれら喧騒を一手に引き受けいつもの立ち位置、カウンターの向う側で景気よさげにナベを振っている。
「……ぃらっしゃい！」
『ヒト』語だ。
いつからかこちらも遠慮がなくなり、アルトはそんな掛け声に目配せだけで挨拶を済ませた。
「思ったより、早かったね。失敗か？」
アルトがジャンク屋であることを知っているオーナーは、 前回、商品を売りに来た時からさかのぼって、航行期間が短かったことを言う。
「ノーコメント」
心ここにあらずでアルトは返した。背伸びするように、空席を探す。
「あの小さなお友達は？」
立て続けオーナーは問いかけていた。
「補習だと」
亜麻色だった食材は、そんなオーナーの振るナベの中でたちどころに美味そうな照りをまとうと、ビチビチ音を立て始める。
「勉強熱心だねぇ。相変わらず」
立ち込める匂いに至っては様々な料理があいまって、なんとも表現しにくいが決してクサイわけではない。
しきりに頭を振って感心するオーナーが、そんなナベの中身を、持ち手が片方だけやたらと長い皿へ移し変えた。素早く皿の縁汚れをふき取り、真っ白なカフスを見せ付けつつ、ホクホク顔のカウンター客へ手渡す。
「奥、いつもの場所、空いてるよ」
エプロンの裾で手を拭きながら、そうして初めてアルトへ顔を上げた。
アルトは了解と片手を上げる。トイレへ立つ『バナン』とすれ違いながら、カウンター客の背後を奥へ向かった。
と、釘を刺したのはオーナーだ。
「せめてそれ、後にしなよ。いつもの日替わりでいいの？」
無煙タバコのことらしい。
「煙は出てないだろ」
指さす。
やおら馬鹿笑いする『バナン』種族と『デフ６』種族が、そんなアルトの前で仰け反った。
紳士のオーナーは、所かまわずが気に食わないらしい。
「ママのおっぱいを吸うためにあるんじゃないんだよ。口はおいしいものを食べて、楽しいおしゃべりをするためにあるんだからね」
あしらうアルト。
不満そうな目を向けながらもオーナーは、早々に『ヒト』の日替わり定食の準備に取り掛かっていた。
背に、カウンター奥からＬ字に折れて伸びる個室スペースへ、アルトは潜り込む。 そこには通路を挟み、向かい合うように四つの個室がおかれていた。空いていれば使わせてもらういつもの場所は、文字通りの一番奥。通路、右手側の個室だ。
すでに他の三つは先客が詰めているらしく、カウンターとは違った落ち着きのある話し声がかすかにもれ聞こえている。だが中はちょうどテーブルの高さまで遮幕が下ろされると、どんな客がいるのかは見て取ることはできなかった。
やり過ごし、目的の個室前に立つ。ゆっくり飯を食らい、しばしＪＰＳ?ｗの火を眺めるつもりで、同様に下ろされている遮幕をかきわけた。が、顔を上げてすぐ、そこに先客の姿を見つける。
『な？』
我が目を疑っていた。
あろうことかそこにいたのは、昼間デミの店で悪態をついていったレンデムの女だった。
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