積もり静止していたホコリが、踏み込んだ自らの動きに攪拌されたせいだろう。臭いに、背でワソランが咳き込んでいた。聞きながら、この空間に据え置かれた二つのシートのうち、メインスロットルの配置された右側へアルトは滑り寄ってゆく。その背もたれを掴み足元のレバーを踏み込んだなら、シートは同時に弾きあがり座面もろとも手前へ倒れた。そこに船のメインブレーカーは顔を覗かせる。
二度目といえども手順の確認は、トラブルの回避の基本的措置である。見下ろし、アルトは手早くパネルを指で辿った。一巡した指先で、スイッチを弾いてゆく。
船がいっとき深く呼吸したように感じたのは、気のせいか。予備電力は船首へも回されると、気抜けた音と共に沈黙していたスロットル左脇のメインコンピュータ画面へ我ここにアリといわんばかり、カーソルがささやかな明滅を繰り返した。
やおらどぎつさに高ぶり始めた神経をいさめて、赤かった非常灯は通常照明に切り替わり、辺りへ現実感は舞い戻る。追いかけて数値ひとつ表示のなかった計器類へも、薄らボンヤリ青白い光は灯った。
メインブレーカーの前で頭を捻り、それら動作状況へアルトはざっと目を通してゆく。問題がなければシートを元へと押し戻した。
『確か……』
そうしてシートをまたぎ体を浮かせると、引き寄せた座面へ尻を押し付けた。伸ばした指先で、メインコンピュータ画面に触れる。反応してカーソルは右へと流れ、そこに造語文字のキーボードを浮かび上がらせた。
睨みつける事しばらく。互い違いに眉を歪めてアルトは使って、何の規則性もない造語数字の羅列を入力してゆく。つまるところそれこそが、最初もぐりこんだ時、この船の履歴を調べるため、イルサリが見つけ出したメインコンピュータのパスワードだった。
進む手元を見守って、ワソランもまた腰を降ろしたアルトに並ぶ。
動力系統の計器類は依然、沈黙したままだったが、そんなワソランの前でパスワードを吸い込んだメインコンピュータは、ナビ周辺の機能へ次々、光を灯していった。
『よかった。動く』
呟いたワソランが、おもむろにその手を髪へ持ち上げる。
『ひとまず、コレ、使ってみて』
毛束の中から一本のヘアピンを抜き出すと、端に飾りと取り付けられた突起をスライドさせた。ならそこから光学バーコードは立ち上がる。
『検索プログラムよ。彼に関連するものなら、この船に痕跡がある限りかき集めてくれる。終わればアラームが鳴るから放っておいても大丈夫』
宙へ押し出し、アルトの前へ滑らせた。
視界を浮遊するそれを受け取りアルトは、コクピットに並ぶ後付ハードの中から、光学バーコードリーダーを探し出す。
『さぁて、チェイサーがパトロンに中をいじらせていたかどうか、ってとこだな』
かざせばすぐにもリーダーは走査線を投影させ、バーコードを読み取っていった。終わればメインコンピュータの画面からキーボードは消えて、検索開始を告げて情報が砂と流れ落ち始める。
見届け、アルトは走査線から剥がした光学バーコードをワソランへ弾き戻した。続けさまシートへ押し付けていた体もまた浮かび上がらせる。
『時間がない。こっちは任せておいて、俺たちは居住空間を探ろうぜ』
飛び来るピンを空中でキャッチしたワソランに異存はない様子だ。
『ええ』
ピンを髪へ刺し戻しつつ、シートを飛び越えるアルトに続いて無重力の中、身を捻った。
が、そんな二人の動きを押し止める声がアルトの鼓膜を震わせる。
「他船、接近中」
片耳を占拠中のイルサリだ。
「なに？」
思わず吐いてアルトは慣性任せだった体へ、精一杯のブレーキをかけた。流れる体はそれでもあらぬ方向へ跳ね上がり、放って巻き上げていたマイクを引き下ろす。
「冗談だろ。こんな所へ？」
『ヒト』語でイルサリへまくし立てた。その聞きなれぬ言語と、視界から消えたアルトにワソランも振り返る。
『どうしたの？』
潜りかけた扉を手で塞ぎ、その場にとどまった。
「どこのどいつだ？」
目配せだけで返してアルトは、ともかくイルサリとの会話を急ぐ。
「通信チャンネル、チューニング中」
通信チャンネルから船舶の個体識別を図るつもりらしい。だがすぐにも撤回していた。
「いえ、こちらの呼びかけを無視している様子です」
と言ったところで、たとえ応答があったとしても積乱雲中に姿を現した輩だ。状況が輪をかけて、ロクな輩でないことを確かとしてゆく。
「船種と距離は？」
切り返すアルトの瞳から、たちまち表情は削げ落ちていった。見て取ったかのようにイルサリは、即答してみせる。
「スクータ。所有者照会中。所要時間、百セコンド。接近船は二十０セコンド後、本船に並びます」
つまり照会は間に合わないということらしい。
ならばと目視できるその距離に、アルトは再びシートへ身をすり寄せた。めいっぱいにアゴを持ち上げ、コクピットに開いた四角いアクリルの窓を覗き込む。
「どっちだ？」
「船尾、上方、十五セコンド」
死角で見えない。舌打った。とはいえそれは船尾、上方に、取り付けられているそれを思い出したからだ。
「直接、カーゴにつけるつもりか？ 慣れた野郎だな」
換金現場に第三者が介入することを極端に嫌うワケありのジャンク屋は、しばしば宇宙空間という密室を選ぶことがある。その際、品の受け渡しを効率よく澄ませるため、カーゴ同士を接続するという荒業をやってのける輩はいた。いわずもがなカーゴを連結させるなどと本来の機能にそぐうものではない。だけに居住空間としての保証は疑問符をいくら打ってもたりず、こなせるのだとすれば相当にヤバい橋がお好みの手馴れか、この船を熟知している者にほかならなかった。
加えてこちらが先に接続しているのを知ったうえで、呼びかけを無視したまま接近してきた輩だ。鉢合わせて、互いに笑みを浮かべるような関係でこそなさそうだった。
チラリ、メインコンピュータ画面へ目をやりアルトは、すぐさま本格的にナビを立ち上げ、カーゴ側面の映像を確認しようかと考る。だが最優先事項が完遂されるその前に電力が尽きてしまっては話にならない、と諦めた。
『どうしたの？』
答えないアルトに、扉を蹴りだしワソランは後戻って来る。
『俺たち以外にも、客だ』
向けてアルトは口を開いた。
『客？』
それだけで十分に察したのだろう。ワソランの瞳へ不穏な影はさす。
『誰が？ こんな所へ一体、何をしに？』
ほうってアルトは、コクピットの扉へ振り返った。
残りは十五セコンド。いや、もう十を切ったやもしれない。無重力下での移動速度を考えれば、船尾方向に上層カーゴとの階段を据えたこの船の構造上、退避したとして鉢合わせしないとも限らないタイミングだ。
『まさかジャンク屋？ それとも船賊？』
思いつくままをワソランが並べ立てる。
『……さてね』
こたえるにとめおいて、アルトはならばと、ひと息ついた。どうやらここは発想の転換が必要らしい。声のトーンを上げて言ってやることにする。
『ならいっそ、直接そいつに聞いてみようぜ』
やおら表情の失せていた瞳へ、じわり笑みを浮かべていった。同時に作業着の背裏から、実弾使用がはばかられる密閉空間の代表的護身銃、エア弾使用のスタンエアを剥ぎ取る。銃床を叩けばリミッターを外したスタンエアのシリンダーへ、圧力の限界まで装填されてゆくか細い音を聞いた。
『案外、俺たちの必要としている話を聞かせてくれるかも知れないぜ』
ワソランが様子を、険しい顔つきで見つめている。
「お約束の時間まで、六百セコンドです」
そんなアルトの片耳でイルサリが残り時間を告げてよこす。おかげでコトの迅速さに、さらなる拍車はかけられる。乱暴な手つきでアルトは自分の胸をさすってみせた。
「酔いのせいでアドレナリンも満足にでねぇな、こりゃ」
「不審船、着艦まで……二、一」
かまわず進められるイルサリのカウントダウンがゼロを知らせる。同時に歯切れの悪い金属の軋み音はコクピットに響き、それこそ残る酔いのせいか、緩慢な揺れが船を襲った。
出どこを辿って見上げるワソランの目が、初めて不安に頼りなく泳ぐ。
そんなワソランの腕をアルトは引いた。
「着艦。カーゴ連結確認」
「気密カーテン圧力、姿勢制御への干渉、至急チェック。通信に答えたら、今度はこっちがすかしてやれ」
イルサリへ指示を飛ばす。
「了解」
何しろ独立した動力を持つ船がそれぞれ、つながったのだ。その不協和音に妙な回転でも始まれば、気密カーテンが引き剥がされないとも限らない。
「スクータなら、おひとり様ってとこか？」
呟き、アルトは驚いたように顔を向けるワソランもろとも床を蹴った。コクピット扉の脇へ身を寄せる。
「圧力、変動なし。こちらのスラスタ絞ります」
「間違っても動力、切るなよ」
と、カーゴのハッチが開けられたと思しき音が、続く通路の向うで鈍く鳴り響いた。合図に、アルトはスタンエアを握りなおす。
「手早いね」
宙を泳ぐマイクを押さえつけた。
「呼びかけには？」
これが最終と確認する。
「応答はありません」
答えるイルサリにも間はない。
「了解」
軽く引っ張り、それきりマイクを巻き上げた。振り返ってワソランの様子を確かめる。向けられた眼差しは、それでも変わらぬ強気を示してアルトをとらえていた。
『手は出さない。隠れてるわ』
忠告しようとしたアルトの先を越して言い放つ。
『ご協力、感謝』
『それはこっちのセリフでしょ』
うなずき返せば笑いさえ漏らしてみせた。
と、宣言していた百セコンドまでまだ幾分時間は残っているだろうに、イルサリが接近船の所有者に関する報告を上げてくる。
「父上、所有者ＩＤは特定不可能。ただし上部接続のスクータ船は、この船と同名の複数の船名を使用している可能性があります」
やはりと、アルトは唇をめくり上げた。どうやら船賊の手入れを逃れた船の持ち主が、ほとぼりもさめた頃と帰ってきたとみて間違いない。
「ビンゴ」
吐き出す。
しかしカーゴのハッチは開いたきり。近づく足音すら聞こえてこない。だが無重力を利用して通路を滑走しているのだとすれば、すでにいくらか近くにまで来ていてもおかしくなかった。
備えて床を蹴り、アルトは体を捻る。発砲に備え九十度、体位の転換を試みた。背にしていた壁面へ両足を着ければ自然、扉は頭上へ回り込み、エア弾を放ったところで自分がどこぞへ吹き飛ぶ心配こそなくなる。
ままに、殺す息。
この狭い空間に三体もが居合わせているとは思えぬほどの静寂が、辺りを覆う。ただ変わることなくメインコンピュータは、放り込まれたプログラムを走らせ、思い出したように通路側で抗Ｇロッカーがキィと、ドアを軋ませた。
アルトは扉を見上げる。
向けて銃口をそっと持ち上げた。
その片側で、メインコンピュータの画面を流れていた文字が途切れて検索を終了させる。
気づいたワソランが、咄嗟に視線を飛ばしていた。
次の瞬間にも張り詰めていた空気を振るわせ、それはアラームは鳴り響く。
頭では理解していても否応なく心拍は跳ね上がり、つけ入るように通路から、そのときコクピットへ何かは投げ込まれた。
ゆっくり回転しながら流れるそれへ目を凝らせば、すぐにも全方向に窓穴のついた閃光弾だと知れる。
焚かれたマグネシウムがその中で、すでに爆ぜる寸前の青い炎を吹き上げていた。
「くそッ」
吐き出すが早いが両手で頭をかばい、アルトは背を丸める。
追って、覆って、光が辺りを焼きつけた。
鳴り止まないアラームに重なり、ワソランの悲鳴もまた微かに聞こえる。
暴力的な光はその一瞬のみだ。
あっという間に収縮すると、痺れてしばし、空間そのものの動きをそこで失わせた。
見逃すまいと通路側で、金属音がヒステリックと床を叩く。靴底の磁石だ。一気呵成とコクピットへ肉迫していた。ピタリ止まったかと思えば、その間を埋めて、扉の向うから遠慮がちに銃口だけが顔を覗かせる。
慎重に、しかしながら素早くコクピット内を右から左へ舐め回していった。否や、うずくまるワソランの背中へ固定しなおす。
役目を終えた閃光弾は投げ込まれた慣性のまま、アクリルへぶつかりコツン、控えめな音を立てている。
見向きもせず銃口は、ワソランとの距離を縮めていった。伴い扉の奥よりスタンエアの銃身は姿を現してゆく。連なって握る腕がコックピットへ突き出され、やがてワソランと同じウロコ模様を額に揺らめかせたレンデムの横顔はのぞいた。
男だ。
駆け込み、強いられた緊張感のせいだろう。少しばかり上がった息に鼻息を荒くしている。だが手馴れた証拠と、突きつける銃口がブレる様子こそない。そんな男の足元では、踏み出すたびに靴底の磁石がまたカチリ、と音を立てていた。
とはいえ驚かせるつもりなど毛頭ない。
しかしアルトは労をねぎらい、男へそっと囁きかけてやる。
『勘違いすんな』
それはワソランに気を取られていた男の死角からだった。
かざしたスタンエアの銃口で、こめかみのウロコを押さえつける。
『あんたの探している相手は、こっちだぜ』
冷ややかな感触にピタリ動きを止めた男の視線だけが、アルトへと反転していった。
ランキング参加中です
|
