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1. 吉本隆明は言ってる




吉本隆明さんは言ってる。

物が行き渡って溢れたため、購入したり消費したりすることにかつてほどのインパクトや満足感を感じることができなくなったのが、現代だと。
だから消費の魅力は失せ、かつての消費をやめた消費者たちは今、「生産」の消費を始めたのだ、とも。

それって平たく言えば「〇〇屋さんごっこ」というやつで、
だから巷でハウツーは売れまくると、
ビーズアクセサリーが売れるよりビーズアクセサリー教室が流行ったり、
家具を買うよりDIYで、
パンは毎朝、各家庭でオリジナル風味の焼きたてが幸せの一幕を担ったり。

そう、みんなが個性豊かな「なんちゃって作り手」だ。
買ってきてハイ、なんてつまらない。
代わりに味わう職人気分。
楽しむ創造主のやりがい。
こんな知的で素敵なことは、ほかにない!

思いがちだけれど、ちょっと立ち止まって考えてみたら、
なんだかすこぶる怖くなる。
なにしろ生産することを消費し続けたのなら、
あふれる「ごっこ」に「本者の作り手」はどうなってしまうのかと。

今、沢山の人が小説たるものを書いていて、
公開できる場所が昔とは比べものにならないくらい用意されていて、
自費出版、なんてのも珍しくなく、
だから「書き方」というノウハウものの需要も大きく、
とどめと頻発する賞レースに「小説家」への敷居だってすこぶる低くなっているのは、まるでこぞって誰もが「小説家」になりたがっているようで、そんな事態こそ作家という「作り手」を消費ているみたいで凄まじい。

そして、それが消費することに魅力を感じなくなった人々が、
作る方へシフトした結果なら、
そんな世に出回った作品を一体、誰が消費したがるのだろうか……、なんて。

そりゃ、何を書けば歓迎されるのかなんて分かんないよなと思うし、「本物」になるための産業は活気づくだろうけれど、すでに「本物の生産」してる側にとっては死活問題だろうとも感じて止まない。

今や本は読むものではなく、書くものになったのか。

分かりやすくするためにちょっと誇張してみたけれど、
もし本当に書籍の世界が停滞しているというのなら、
この構図はあながち間違ったものでもないと思ってる。

そしてオイラもまた書きたい一人なら(趣味としてだけれど)、
だからこそ忘れたくないハナシだったり。
生産を消費している一員として鈍い後ろめたさを感じるからこそ、
オハナシには誠実でありたいと思う、こんな理由。