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12. 100年あまり




たったの。

それまで日本に小説はなかった。
知ってのとおり、江戸時代以前は和紙を糸で閉じたあのタイプがソレ。
読み本とか赤本とか、人情ものとか世話物とか。
呼ばれ方に様々種類はあるけれど、書物といえばそれで、
今に通ずる小説なんて存在しなかった。
そもそも言文一致ですらないし。

じゃ、小説はどこから来たかといえば、遥か海の向こうから。
「小説」に関する形式全ては、舶来モノだ。
ご存じかとは思うけれど。

だから初めて目にして心惹かれたかの文豪は、極めんと本場に留学した。経て小説ってこういうものでっせ、と提示されたものを今もなおオイラたちは、小説とはこういうもだ、と信じて繰り返してる。

でもほんとに小説って、そうなのか? もうちょい穿って悪く言えば、もう百年以上経っているのに、パクってきたそのままだったらどうよ? それは、これが「日本の小説です」と言えて通じるモノ足り得るのか? とかなんとか。

本場の歴史は数百年。
比べたらまだまだひよっこかもしれない日本の小説は、だから模索中なのだろうと思ってる。なのに「こうあるべき」なんて、がんじがらめになっていたらちょっともったいないかな、と。

その分、理解はされやすいけれど。
理解されるということは、既存でもあるという事実。
たまには、まっさらなものも。

なんてことを高橋源一郎さんの著書から感じたので、書いてみた。