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15. 楽しいを越えて




「楽しい」にも深度はあると思ってる。

面白おかしい楽しいに、
興味深くて目が離せない楽しいに、
感慨深くて悦に入る楽しいに、
悲しくとも読み終えた後の充足感がたまらない、の楽しい。

上から順に、単純に「ファニー」なだけじゃどうしようもなくなってくるあんばい。
そして単純に「ファニー」なものは自分も含めて飽きてくる。
冷めて忘れるのも、案外早い。

人には意見、主義主張があって、
少なからず書くという行為は、何かを伝えたいわけだからその端くれを含んでる。
そしてそれは自己顕示欲ってものの現れで、ただ目の前で相手が手を叩いて喜んでくれるよりも、注意深くコチラの意見に耳を傾けてくれる時の方が満たされるものだと感じてる。
そのために目の前の相手が笑い、目を輝かせてコチラを向くのを望むのだとしても、いつかそれは一過性、インスタントだと知る日が来る。
(もちろんそんなキャッチーなのもアリだけど。キャッチーばかりじゃ息切れする)

思い出すなら、気持ちを揺さぶられたその時、長らく強く残るのは面白おかしいより、切なかったり悲しかったりじゃなかろうか。何しろそれはある意味、傷ついた証拠で、そんな体験こそすぐには消えないし忘れ難い。

だからただ楽しいだけには終わらせたくない。
むしろ楽しくないのに読み終わらせたい。
傷つけてなお楽しませたい。

いつかどこかでふと思い出してもらえるそれを残せる残酷さに、臆病ではいたくない。