ACT 1
「……これは?」
背中、右肩付近だ。
ネオンが問う。
冗談のような出来事を思い出すのに、それほど時間はかからない。
アルトは答える。
「感電した時に、そこから抜けた」
指先は一度ためらうように触れてから、ぐいと押しつけられた。
「わお。じゃあ、こっちは?」
「そこは……」
肩甲骨の間、似たような場所は痕跡だらけのハズである。
「アズウェルで食らった分か?」
恐らく。
返される声がいくぶん沈んだ。
「黒ずんでる」
「制圧レベルギリギリだった。流動弾の色素沈着だな。そのうち消えるさ」
納得したようでもあり、思い出した衝撃にうんざりしたようなため息が漏れて、指先は追加される。ほどなく離れた別の場所を押さえたあと、確かめた。
「けど、二発だったかな?」
力はそこへも均等に込められる。
なら傷跡は、まるで記憶という引き出しを的確に引き開けるためのツマミのようだとアルトは思った。伏せていた頭を少しずらして、片目で背後を伺い見る。
「F7だろ。防弾の準備をしてそれだ。殺傷レベルだったからな。そいつは完璧な鉛の残滓。それでも代謝でだいぶ薄くなったハズだと思うぜ。アズウェルのやつより目立ってないだろ?」
残念ながら自分の背中を逐一チェックする趣味は持ち合わせていない。想像上の見解を投げかけた。余るネオンの指は同じ色目をたて続けに二つ押さえると、そのうちの一つを支点にコンパスよろしく回転させて、離れた位置にある別の跡を押さえる。
覚えているのは、最初、三発食らったところまでで、後はもう何発だろうが同じようなものだった。当の本人でさえ、被弾した数は曖昧だ。
「ま、逃げ傷ってヤツだぁな。密集しているのは……」
ワケを言いかけたところで遮られる。辿ることをやめたネオンの指は、そこから離れた。
「いい。逃げたんじゃないって、知ってる」
揺れる気配。
湿り気を帯びた柔らかい感触は、そうして指先に代わりあてがわれる。
「数々の勲章に、敬礼」
背後から、言う声が聞こえた。
茶化せるような話ではなかったものの、もうその時期は過ぎてしまったのかもしれず、アルトもまた額へさした指先を跳ね上げ、とぼけて返す。
「身に余る光栄に感謝」
敬礼を放てば、声を立てずに笑うネオンの様子が温度となって伝わった。その合間から漏らされた言葉は、こうだ。
「大丈夫そう」
それが模擬コロニーでの完体操演でダメージを受けた左腕へ向けられたものであることは、
言うまでもない。気づけば持ち上がっていた腕へ、アルトも思い出したように意識を傾けていた。
確かに感覚の齟齬はない様子だ。握りしめた拳の感覚を確かめる。
「ああ、たぶん。これが現実だ」
眺めるネオンの笑いは、そこで途切れていた。経て投げかけるのは、禅問答のような問いだ。
「あなたは、どこに?」
それが初めてでないなら、アルトは同じに答えて返す。
「俺はこコッチだ。コレだけが俺だ」
スイッチを入れ替えるように刺激の経路を切り替えたとしても、
現実問題、意識はそう簡単に従ってくれはしなかった。
模擬コロニーのワイヤースリーブマッチを抜け出した後、不調は腕にとどまることなく、
完体の幻肢がフラッシュバックとアルトの五感を、より合わさって紡ぎ出される意識を侵食している。
そしてそれはここ、地球の我が家で浸った興奮剤の幻覚にもよく似ていたなら、乗じて引きずり出される古い記憶が、
付き添うネオンの手を焼かせることにもなっていた。
それもこれも仕方ない、などとは言ってしまいたくない。
しかしながらどうにか片付けたこの家は、サスの船が押しつぶした穴を埋め、
腰掛けられる家具と眠る事のできる空間を工面しただけの、まだ当時の面影が色濃く残されたままの場所だった。
シラフであっても思い出すあれやこれやを、酩酊の最中に区別しろなどと、それこそ無理なこととなる。
「よろしい」
ベテラン教師のような口調もまた、その過程でネオンが身につけたものだ。
もちろんその声が逃げることも、消えてなくなることも、もうありはしない。
しかしその口ぶりが頼もしく聞こえれば聞こえるほど、過る不安を押さえることはできずにいた。
発作的に伸ばした手で、アルトはこれでもかと掴む。そこに温もりがあることを確かめた。
「なに?」
込めた力に驚くことのないネオンは、まるでふいと呼びかけられた時のようだ。
尋ねられるまま答えて、アルトはネオンへ頭を向け直す。
ここに在り、自分がそれを手にしていることを、その両目でも確認した。
と、見下ろすネオンの顔の中で、青い瞳は瞬きを繰り返す。
「あ、ここにもあった」
指し示し、身を乗り出した。
それは左肩、鎖骨が浮いた皮膚の薄い場所だ。掴んでいた手を離し、そんなものがあったろうかと、
誘われるままにアゴを引いて覗きこむ。なるほど。見れば確かに、一直線に盛り上がった小さな傷跡はそこには残されていた。
なら本当に傷と言う名のツマミは、どんな些細な記憶でも的確に引きずり出してくれるものだと思う。
しばらくも眺めていれば不安は拭い去られ、笑いはこみ上げてきていた。
「ああ、こいつは」
一言で片付けられないと、ネオンへ寝返る。
「話すと長い」
「へぇ、それって私が全然、知らないから?」
たわむ瞳がすでに悪戯げだ。
「いや、全く知らないってわけじゃない」
「ははぁん。じゃ、知られちゃまずいかことが多いから、話が長くなるってわけね」
「変なこと言う奴だな」
妙な勘繰りを一蹴してやる。
「さっき笑ったでしょ」
もろともせずネオンはまるきり眠る前に絵本を読んでもらおうとする子供そのもの、
急ぎシーツの間へ体を滑り込ませるなり、ぐっとアゴまで引き上げてみせた。
「わたしも笑えそうなら聞かせてよ」
と言われたところで、人生は一級のエンターテイメント作品などではない。
「笑えるかどうか、保証なんてあるかよ」
「いいから。ほら、早く」
向かい合ったネオンのヒザが突っつき急かす。
確かに、引き開けたそこから記憶は、すでに回収不能とアルトの脳裏へ巻き散らされていた。
そしてこの場所にいるからこそ、それはまるで昨日のことのように生々しくも蘇っている。
もう観念するしかないと、軽く息を吐き出していた。
「なら、最後まで聞けよ。途中で寝るのは反則だからな」
下になった方の腕をたたんで耳の下へおさめる。言って長引くだろう話に、居心地のいい場所を探って体を揺らした。
「大丈夫よ」
返すネオンはこれでもかというほど得意げだ。
本当かとうがりながら、話し出すべく最初の時へ思いを馳せる。
それは幻肢がよく似たあの興奮剤の幻覚から始まっていた。
あの時も同じ、アルトは抜け切らないあやふやな感覚の只中にいて、
しかしながらその時もまた一人きりでなかったことを思い出す。
「気がついた時、俺はすでにサスの店にいた」
「気がついた時?」
それじゃぁ説明が足りないと言わんばかりに、ネオンが繰り返していた。
語られるだろう物語を見回し青い瞳を、くるり回転させる。
そう、ジャンク屋ならギルドの店先にいて当然だとしても、
何しろそのときアルトはまだアルトでなく、辛うじて予定時間内に地球のセーフハウスへたどり着いたセフポド・キシム・プロキセチルでしかなかったのだ。
それは『アーツェ』にかまえられたサスの店。
仕込んだ記憶マーカーの発動をどうしようもない虚脱感と空しさにまみれて浴びた興奮剤の幻覚から始まる、
今ここへ続く他愛もない話に過ぎない。
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