この作品は、フィクションであり、登場する個人名、団体名は全て架空のものです。
また、解説されている医療行為等に関しましては、事実と異なる場合があることをご了承ください




見えるところ

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 朝の日差しは夕の日のそれに似て、異なる。同じオレンジ色で差し込むも、そこには一日の始まりを感じさせる初々しさが溢れているように思えて、ならない。
 ホームのひさしに切り取られた空から降るそんな活気を、わたしは遠く別世界と眺めて過ごす。
 ひとつ身震いした。
 病院に勤める者の朝は、一般的な勤め人より早いのではないのか、と考える。それは診療開始の三十分、ないし一時間前より受付が始まるためであり、従事する者は準備のため、さらにさかのぼって出勤せねばならないせいだ。
 だからして周囲に学生の姿は、まるでない。憂鬱とも軽快とも言い難い日々のルーティンワーク。その始まりに黙する集団に紛れ、わたしは電光掲示板へ視線を上げた。列車到着の遅れ、その原因が踏み切りに立ち入った何某かのせいであることを、またアナウンスが低い声で告げている。聞きながら読んだ文字で、どうやら列車は四分遅れで到着するらしいことを知った。
 これもまた、よくある光景のひとつなら、憤りもせず焦る無駄も省いてわたしはぼんやり、線路へ立ち入った何某の情景を想像する。果たして止むに止まれぬ事情があったのか。突然のハプニングに立ち往生しただけなのか。誰かに指示されたせいなのか。確かに学生の頃、いじめっ子に命令されて踏み切りの安全ボタンを押した生徒がいたのだ。いずれにせよ人身事故にならずにすんで良かった、とひとりごちた。何しろ列車に轢かれた人体の顛末は、一瞬にしてそこに宿っていた人格を吹き飛ばすほど、人間を物と化す。何しろ目にしたのだから、嘘ではない、それはスーパーに並ぶ牛肉と変わらない色艶で寒い日だったからこそ、ふんわり湯気さえ上げるとのっぺり線路に横たわっていた。
 そうして四分後、有り難くも適切に接合しているわたしは、予定通り予定を狂わされて到着した列車に乗り込む。つり革をつかめば、盛んに詫びる社内アナウンスの定型文を、読み上げる車掌より先回りして頭の中で唱えながら、その目を閉じた。

 病院に勤めている、と言えば一瞬、特殊な目で見られるような気がするのは思い過ごしだろうか。普段から病院と縁遠い人なら必ず看護師さん? と、聞き返される。だが実際、一家の長ともいえる医師と、身の回りを世話する妻のような看護師に準看護師以外、病院には医事課があり、入院も可能な総合病院ともなれば放射線技師、検査技師、栄養士、薬剤師がご近所さんと詰めている。現在ではそれら専門家と患者をつなぐ役割が存在し、診療補助、またはクラークと呼ばれるそれがわたしの業務だった。そして近年、この役割が生まれた理由として、専門家らを専門業務に集中させるためだったなら、医療行為以外をこなすことになるクラークは、ご近所さんへ顔を出す医師一家の家政婦といえた。おかげで使い走りなどと卑下できぬほど、日々は多忙を極める。

 病院、最寄駅。
 吐き出される人の足取りに、迷いはない。だれも寡黙に通りを渡ってゆく。
 わたしも混じり、いわゆる下町風景の中を歩く。
 やがて塀のないガレージを隔てた向こうだ。グレーの病院外壁が、空を切り取り現れた。通りに面した職員用の駐輪所はすでに、自転車で溢れている。その奥に、救急外来の赤いランプを灯した勝手口はあったが、今は塞いで、サイレンを切った救急車が止められていた。
 後部ドアは跳ね上げられている。
 車内に救急隊らしきブルーグレーの影が、ちらついていた。
 職員の更衣室はそんな病院の裏手に、別棟として建てられている。わたしがいつも通りのルートを辿れば、やがて救急外来、通称、急外の観音開きのドアは押し開けられ、中から夜勤明けの看護師が姿を現した。カルテを作るためだ。バインダーを手に、医事課の男性もまた駆けつけ並ぶ。前へ、救急隊の手によってストレッチャーは、車内よりおろされた。
 眺めているくらいなら、さっさと着替えて手伝うべきだろう。わたしはそこで視線を切る。
 そんなわたしがチラリ見たところでは、患者は七十歳代の女性。上体を起こしている。おかげでかけられた毛布から覗いた襟元は、寝巻きだった。こうして救急搬送された人は、しかしながらキョトンとしている人も多いのだが、よほどどこかが痛むらしい。表情がかたい。痛みのためか、下肢の強張りもまた毛布越しに見て取ることが出来た。
 最悪を想定するなら、大腿部骨折。
 顔つきから想像するなら、腹痛。
 想像しながら、わたしは更衣室のドアを引き開ける。

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