ライブチャットの天才
この作品は、フィクションであり、登場する個人名、団体名は全て架空のものです。
また、解説されている医療行為等に関しましては、事実と異なる場合があることをご了承ください




見えるところ

              





-5-

「今、書いておくから」
 言われてすぐ、わたしは白紙の紹介状を手渡す。
「カメラ、用意できてます。エコーの方もこられているので、終わり次第、お願いします」
 宇田ドクターは読めるかどうかギリギリの乱筆で、所見を記入してゆく。
「カルテ、持って行っていいよ。今日の病理と、前回の採血、薬の処方箋、同封で」
「はい」
 押し出されたカルテを受け取り、わたしは受付へ向かった。コピー機を借り、指定の検査結果等をコピーする。雑然とする待合を横切り、消化器内科の診察室へ駆け足で戻る頃、紹介状は、書き終えられていた。
「ほい。たのんだ」
 受け取り、わたしは書類をまとめる。
「検査、お願いします」
「ちょっと先に、そこのベッドの人、見るよ」
 立ち上がった。
 追いかけ、わたしは重ねられていたカルテの中から、該当の1冊を抜き出す。まるでブラリ、立ち寄ったといわんばかり、カーテンの向こうへ顔を突き出した宇田ドクターの声は抑え気味だった。
「どうですか?」
 傍らのイスに腰掛けていた家族が、跳ねるように立ち上がって頭を下げている。宇田ドクターはそんな家族と一言二言、言葉を交わし、ぐったりしている本人へ口を開いた。
「とりあえず食べられないようだし、このままだと体力が落ちるだけだから、点滴しますね。多分ね、ウィルス性の胃腸炎だと思うんですよ。二、三十分で終わりますから、その頃に診察しましょう」
 カルテを持つわたしへ振り返った。点滴の内容を告げる。
 復唱して、すぐさまカルテへ書き込むわたし。患者へと顔を上げた。
「今から用意しますね。後で看護師さんが来ますので、もうすこしお待ち下さい」
 任せたといわんばかり、宇田ドクターはカメラ室へもぐりこむ。
「長いこと、お待たせしましたね。今から検査、始めますよ」
 そんな検査のフォローをする余裕などない。わたしは処置室へ飛び込み、点滴をオーダー。本人は消化器内科に寝ていることを告げ、処理も途中となっていた紹介状を整える。精算のため医事課へとカルテをまわし、カメラ室へ耳を傾けた。早くも十二指腸あたりを見ているらしい。宇田ドクターの解説で進行状況を察する。置いてわたしは、予約時間を少しまわったエコー検査の準備に取り掛かった。
 患者を呼び出すべく待合へ出たなら、出来上がった点滴を持って入る上野さんとすれ違う。エコー検査の患者を引き連れ、診察室の隣、たたみ四畳ほどのエコー室へ入った。  患者に着衣の仕度を促す。洗濯機ほどの大きさのエコー本体へ、電源を入れた。ベッドに寝かせた患者の、むき出しになった腹へタオルケットをかぶせ、そのままでしばらくお待ち下さいと部屋を出る。そこでハチあわせたのが、内科が担当の同じ診療補助、横山さんだ。横山さんは猛烈な早口で、わたしに用件を伝える。
「今日の腹部エコー、十一時の人、キャンセル。電話あった。で、枠がひとつ空いたじゃない」
「あ、はい」
「うちで、心エコー(心臓エコー)、飛び入りでやるから、空いたら教えて」
「そっちの患者さん、もう待機中?」
「そこで待ってる」
「じゃ、終わったらすぐ声かけます。胃カメラのあと先生くるから」
「分った」
 その返事も半分のところで、横山さんは小走りで診察室へ戻ってゆく。泣き別れるように消化器内科へ戻ったわたしは、点滴を受けているベッドの患者の様子を伺い、胃カメラ検査の進行状態を確認しに向かった。
 我ながらタイミングはばっちりだったらしい。宇田ドクターは検査を終え、机に向かっているところだ。患者もすっかり身を起こし、宇田ドクターの話しに耳を傾けていた。
「お薬、だしておきますので、きっちりのんで、切れたら取りに来てください」
 傍らでは、あれほどおののいていた橋本さんが、淀みない動きで使用したカメラの洗浄に取り掛かっている。次が本日、最後の胃カメラ検査だ。病棟患者が予定されていた。
「あ、はい。わかりました。先生、どうもありがとうございました」
 中年男性が軍隊式のような直線状のお辞儀で、宇田ドクターへ頭を下げている。
「ピロリ菌の検査結果は、また、来週、聞きにきてください」
「はい、失礼します」
 見送り、わたしも会釈した。その足で、宇田ドクターの傍らについた。
「先生、エコー準備できてます」
 書き上げたカルテから顔を上げる宇田ドクター。
「薬、出しといて。あー、忙しいな」
 言うなり、がばっと立ち上がた。大股歩きで、エコー室へ移動する。見送り追いかけながら、わたしは先ほど横山さんから聞いたスケジュールの変更を橋本さんへ早口に伝えた。
「あ、わかりました。ちょうど次のエコーの人も来てなくて、よかったですね」
 笑顔に笑顔で頷き返す。わたしもまたエコー室へ向かった。
 扉をあけるなり、患者の腹にゼリーを塗り終えた宇田ドクターの指示は飛ぶ。
「電気、消して」
「はい」
 エコー検査は早ければ五分少々、長くても十分ほどで終わる検査だ。問題なく始まったことを確認したわたしは、診察室へ戻る。さばいてもさばいても押し寄せるカルテと患者を、いかに効率よくまわすか。この一言に尽きる。そして時間は気づけばもう、十時半になろうとしていた。
 エコー検査が終了するだろう時間までをめいっぱいに使い、診察待ちのカルテをドクターの机に積み上げる。中には前回、撮影した腹部CTの結果を聞きに来ている患者もいた。当のCTは、もちろんレントゲン室にあり、その棚の中から引っ張り出してこなければならない手間だ。
 わたしはレントゲンの整理番号を手のひらへメモし、エコー室へ踵を返す。部屋へ入れば既に検査は終わっており、慌てて照明をつけ、患者と宇田ドクターのやり取りに耳を澄ませた。その傍ら頭の中で、内科へエコー室が空いたことを知らせねばと繰り返す。
 口と手を同時に動かす宇田ドクターが、素早くエコー検査のオーダー用紙に所見を書き込み、今日はこれで終りですの後を引き継いでわたしは、着替えが済んだなら待合でお待ち下さいと、患者へ段取りを告げた。
 宇田ドクターがエコー室を出てゆき、後始末を済ませたわたしは、着替え途中の患者を残し内科へ小走りで向かう。診察中であることを考慮して、半開きとなった扉の隅から横山さんへ目で合図を送った。
 気づいた横山さんが、それだけで頷き返してくれる。
 伝わったことを確かめ待合へ出ると、ちょうど着替えの終わった患者がいそいそとエコー室から出てくるところだった。ヒマがあるなら、心エコー患者を寝かせて準備するのだが、わたしはその足でレントゲンを回収に向かう。
 CT、造影撮影、一般撮影が出来るレントゲン室は、いわば機材のカタマリだ。足を踏み入れた瞬間、そんな機械の吐き出す熱がムワッ、とわたしを包み込んだ。
「お疲れ様です。レントゲンお借りします」
「はい、どうぞ」
 各撮影部屋をやり過ごし、一番奥の保管棚へ走る。棚に割り振られた番号と手のひらにメモしたソレを見比べた。棚には、基本、その年のレントゲンしか保管されていないが、年が明けてすぐのため、棚には去年撮影されたレントゲンがまだ保存されている。おかけですでにギュウギュウ詰めとなっているそこから、お目当てのレントゲンを力づくで引っ張り出した。
 抱え、消化器内科へ急ぐ。途中、心エコーへ向かい白衣を裏返す内科医の浜松ドクターに、横山さんとすれ違った。
 診察室では、どうやらカメラ室の橋本さんが気を利かせてくれていたらしい。呼び入れられた患者を前に、宇田ドクターの診察は始まっていた。
 レントゲンが必要な患者は、この二人後だ。
 いずれも定期薬が目的ならば、ほとんど手はかからない。わたしは最後の胃カメラ検査の段取りをつけるためにいったん外へ出ると、使用済カメラを洗浄している橋本さんへ声をかけた。
「こっち、後、四人いるわ」
「エコーもあと、二人来るはずですよね」
「早く来てほしいなぁ」
 と、その声を聞いていたかのようなタイミングで、診察待ちのカルテが配られてくる。
 見ればそれは、予定時刻より遅れたエコー検査患者と、予定時刻よりかなり早めにやってきたエコー検査患者のカルテだった。
「噂をすれば」
 橋本さんが笑う。
「そしたら、診察終わったら、このエコー、二件続けていくから、その後に胃カメラ、行こう。病棟患者、下ろすの、ヨロシク」
「わかりました」
 診察室へ戻ればちょうど、笑顔の患者が丸イスから立ち上がったところだ。
 わたしも満面の笑みを浮かべて答える。
「はい、今日は、他科の受診はありませんね。では、受付前でお待ち下さい。お大事に」
 などと病院は他のマーケットと違い、狙い目の客層などない。貧富の差も、社会的地位の差も、老若男女、シロウト、玄人、あらゆる人々が体の変調を抱えやってくる。日頃の不摂生がたたり現状に至る患者もいれば、遺伝と言う宿命を負ったような患者もいる。気の長い患者もいれば、短気な患者、余計なことまで話す患者もいれば、はいといいえもロクすっぽ答えてくれない患者もいる。注意しても守らない患者もいれば、やたらに神経質、根掘り葉掘り問いただす患者もいる。その全てへ同じ医療行為を行うのが、病院だ。ゆえにドクターには判断力と、コミュニケーション能力。ひいては観察力、そして先にも述べた体力が、知識と同等に必要だと思えた。
 先週退院したばかりの患者のガーゼ交換を含め、残る四人の診察を手際よく終えた宇田ドクターは、そんな診察の合間を見計らい、前もって準備しておいたエコー患者の検査をすべく立ち上がる。次に呼び込む患者のカルテを手に、わたしもまた診察室を出ると、カメラ室の橋本さんへ隣のエコー室を指差し、合図を送った。
 時間はすでに十一時過ぎ。待合は朝に比べると、かなり閑散としている。
 と、いつの間にか救急が入っていたらしい。急外の扉前に青いジャンパーを着込んだ救急隊が、手持ち無沙汰で立っているのを見つけた。一瞥してわたしは、エコー室へ潜り込む。
 さほど時間のかからないエコー検査は、検査中も患者とのやり取りが可能なところから、特に異常も見つけられなかったため検査中に話もすみ、今回も思った以上、素早く終わっていた。宇田ドクターはその場で所見を書き込み、患者は着衣を整え出て行く。
「先生、次の方、お呼びします」
 わたしは時間を惜しむように、たたみかけた。
「おう、なんだ、二件連続か」
「この後、診察が来ていなければ、病棟のカメラ、お願いします。今、呼んでもらってます」
 聞いた宇田ドクターが、チラリ腕時計へ目を落とす。
「早いな。もう、こんな時間か。ハラ、へったなぁ」
 聞きながら、わたしはエコー室の扉を空け、患者の名前を呼んだ。反応したのは恰幅のいい中年男性だ。小走りで駆け寄ってくる。
「急がなくていいですよ。どうぞ、こちらで検査しますね」
 患者を招き入れ、扉を閉めた。
 間際、見たのは、検査室へ向かうだろう点滴を吊った病棟のストレッチャーだ。奥のエレベータから運び出されているのを、わたしは横目にとらえる。
 背で、エコー室に入った患者は、何をどうしていいのか迷っている様子だ。本来なら服をめくりあげ、ズボン等のベルトを腰骨ギリギリまで下げてもらうのだが、今回は検査対称がいつもと異なる。
「ちょっと寒いかもしれませんけれど、上、全部脱いでもらっていいですか?」
 わたしは言う。
 検査に付き合っていると数ヶ月に一人ほどの割合で、男性の乳房検査予約が入ることがあった。いわゆるしこりの発見に不安を覚えて訪れた患者だ。そのたいがいが高齢者で、ホルモンバランスの関係から乳房の女性化が原因で起こったものとドクターは説明している。特に取り急ぎどうこういうものではないらしく、たいがいは数ヵ月後、変化がないかどうかを確認しにきてもらう程度で検査は終わっていた。
 この患者もそのうちの一人であり、再検査が本日だったわけである。
「どうですか? 変化ありましたか?」
 宇田ドクターが問えば、いそいそと準備を済ませた患者は検査ベッドへ横になった。
「そうですね。ちょっと大きくなったような。でも、シロウト目なので、よくわかりませんわ」
「じゃ、早速、見ますからね」
 合図に、明かりを絞るわたし。
 検査範囲が狭いため、他の臓器よりもさらに検査は手早い。が、エコー影像にはわたしにも分る影が、丸く映し出されていた。
「そうですね。ちょっと、前よりおおきくなってるかな。これね」
 モニター画面より宇田ドクターは患者へ視線を移す。
「検査させてもらっていいですか? 細胞を取って、どんなものか調べておこうと思います」
「え?」
「すぐ終わります。針で刺すけれど採血と同じくらいで、そんなに痛くないですから、安心して下さい」
 突然の提案に自分はそんなに悪いのかという不安と、初めてとなる検査の実態に患者の頷きは曖昧だ。
「……あぁ、はい。お願いします」
 了解を得るやな否や、宇田ドクターがわたしへ振り返った。
「細胞診」
「はい」
 注射器を使うため、資格のないわたしには手伝えない類の検査だ。看護師を呼ばねばならないが、ふと、救急が飛び込んできていたことを思い出す。誰か手は空いてるだろうか? カメラ室ではすでに検査患者の前処置も始まっているだろう。麻酔をかけるだけに、あまり時間を遅らせるわけにもゆ行かない。考えながら、わたしは処置室へ飛び込んだ。

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