この作品は、フィクションであり、登場する個人名、団体名は全て架空のものです。
また、解説されている医療行為等に関しましては、事実と異なる場合があることをご了承ください




見えるところ 2

                         





-4.入院 1/2-

 採血の量の多さから担当窓口の看護師さんに、手術ですかと問いかけられた。
 おそらく採取スピッツの種類から、だいたいの病状は把握できたりするのだろうと、わたしは隠すことなくそうですと答える。むしろ、予約していた検査の日は躁状態で、いつものテンションでいる方が難しかった。
 その後、止血時間テスト。
 心電図。
 肺機能検査。
 問診など。
 半日が消費され、帰宅。
 後は自宅で入院当日を待つばかりとなった。

 たとえばこの待つと言う作業について。
 これは作業であるものの、動作を伴わない類のものだ。
 ただ時間が経つのを静観するのみというのが、実情となる。
 それができなければ、別の動作で穴埋めするしか手立てはない、至極矛盾した作業だ。
 ならばそこに日常と言う普遍的な繰り返しが当てはまるのなら、その作業もどれほど安定したものになるかは知れない。しかし果てに手術という超現実が待ち受けている今、そうも同じに消費されるはずはなかった。
 万が一にも、手術中の死亡という可能性があるのならば、それはかけがえのない1日になるかもしれない。
 ふと、思い立ち、机の周りを整理してみる。
 己を振り返れば、不思議と、いつもより時間がゆったりと流れているような気にさえなった。
 しかし悲壮感がないのは、いかに自分がこの局面において無力であるかを知っているからだろう。
 自分の力ではどうにもできない現実。
 だから医者という、他人の手ににかかっている。
 こういう時、ドラマや映画なら動揺したり涙するのだろうなぁと思えども、どうもそういう気にはないれない。
 どうにもできないと分っているのに泣いたりわめいたり抵抗するなど、そもそも滑稽だと白ける。 
 じたばたしたところで、何も変わりはしない。
 いやそもそも、変えることなどできはしない。
 患者である自分にできることと言えば、素材を管理、提供する者として、その日まで最善を保持するのみだと、気の向くままにゆとりある毎日を過ごす。
 ただ無性に美しいものに触れたくてたまらず、どうにも持て余した時は、有名なオペラ歌手のビデオを繰り返し、繰り返し見続けた。そこに悪い予感を払拭したいという、何か祈りに近い宗教的なものをダブらせていたのかもしれないが、実際は誰にも分らない不思議な欲求だった。

 ニュートラルな集中力を保ち続けて半月。
 その日は来た。
 手術ともなれば、術前、術後の、見たこともないような着衣の用意が必要で、女性の足のむくみ予防などに用いられる加圧ストッキングの医療用、血栓防止ストッキング、これは長時間同じ体勢を撮り続けることで血の巡りが悪くなり、血栓が生じて脳などの細い血管に詰まるエコノミー症候群と同じことが手術中にも起こりかねないため、予防手段として必要なものである、さらには腹帯。大きめのショーツや、生理用品。そして腹部の創傷処置が安易な浴衣式の寝巻きなど、一般的な宿泊道具に加えてまとめたカバンを背負い、すでに数度訪れたことで要領も得た病院の受付を訪れた。
 担当の看護師が迎えに来るまでそう待たされることはなく、そのまま病室へ通される。
 部屋は6人の大部屋だ。
 全員が卵巣のう腫か、子宮筋腫の摘出手術を受ける、もしくは受けた患者ばかりだった。
 一番すみ、カーテンで仕切られたスペースが、私の部屋らしい。
 窓がなく薄暗かったが、何か穴蔵のようなイメージで、妙に落ち着く塩梅だった。
 すぐにも荷物を広げ、パジャマに着替える。
 ベッドやテレビなど、慣れない装置の操作へ一通り目を通した。
 そもそも腹腔鏡手術は傷口が小さく、入院期間が4日ほどですむことも患者にとって有利な点だ。わたしもその範疇に違いないのだが、気をつかってくれた家族が、退屈だろうとテレビカードを購入して渡してくれた。
 一通りがすめば、ちょうどいい頃合に、担当看護師が現れ、入院中の日程表を渡し、手首に血液型や名前の記入されたIDバンドを巻いていった。これはなかなか囚人気分に浸れるアイテムで、退院するまで外せませんとクギを刺される。
 その後、メンタル面でのチェックに別の看護師が現れ、不安はないかと、わたしにとってはこそばゆいほど優しい態度で面接をしてくれた。さすがにまな板の上の鯉なのでとは言えず、ただあっけらかんと対応していれば、それこそ素っ頓狂な面持ちで看護師は帰っゆく。
 そしてその日の締めくくりに設けられていたのは、当日の麻酔科医との面談だった。

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