-5.入院 2/2-
交通事故に会ったなら、その足で宝くじを買いに行けと聞く。
それは交通事故という万に一つのアクシデントが起こった今なら、いわゆる引きの強い瞬間が訪れているに違いないと言うジンクスのようなものかららしい。
あやかるなら逆の意味で、入院するその前に、わたしはサマージャンボ宝くじをほんの数枚、買っていた。
結局最後まで抗えなかった不安は、手術に対するものではなく、その後、摘出した部位を病理検査にかけた結果、ガン化が認められた場合についてだ。その可能性はかなり低いが、それでも確率として数値にはあがってきていることが現実である。
宝くじなど当たるハズがない。
もちろんこの場合の当たりは高額当選を意味する。
だからして外れるわたしに引きはなく、つまるところ万に一つのガン化など起こっているハズはないという論理だった。
当選発表はちょうど退院の翌日だ。
わたしは必ず、はれて自宅で最低金額さえ当選していないことを確認する。
それは希望そのものの強いイメージとなった。
そして小さな会議室。
2人の若い白衣の男性医師と向き合った私は、恐らく蒼白い顔をしていたにちがいない。
それが初めて体験する全身麻酔なら、何を説明されるのかと緊張のし通しだったわたしに対して、麻酔科のドクターは臆することなく開口一番、こう切り出してきたのだった。
手術中のわたしの命は、自分が預かります、と。
それこそドラマかと思うフレーズに、わたしはアッケにとられて曖昧な返事をかえす。
聞けば麻酔科医は、ただ術前に麻酔をかけるだけではなく、その効き具合や手術時間に合わせて麻酔を長引かせたり、醒めるよう切り上げたりと、調節を施すために患者の呼吸に心拍、血圧などを管理する役割を担っていることからくるセリフのようだった。
なるほど、つまりわたしの自律神経は、術中それこそわたしを離れてかのドクターに維持操作されるのかと、まさに命を預けるというフレーズを時間差で飲み込む。
同時に、素直に格好いい人だと、見とれた。
他に質問はありますかと、そのドクターはわたしに問う。
さすがに術中の心配など、浮かんでこなかった。
ゆえに思いは、目が醒めてからのことに行き当たる。
わたしはすかさず、術後、傷はどれほど痛むのかと、それに自分は耐えられるのか心配だと聞いていた。
だが答えるドクターはあくまでも朗らかだ。そして痛みは主観であることを、すなわち人それぞれ感じ方が違うことを、そして痛みに強い弱いがあることを説明してくれた。なので一概にどれくらいだと言うことはできず、それはなんともいえないとクギを刺される。しかしながら、今の医療は緩和を重視しているため、痛いときは痛いと訴えてもらえたなら、痛み止めを処方するので心配は要らないとフォローを受けた。
どうやら、その時になってみないとわからないというのが、実情らしい。
ドクターの自信に満ちた態度と迷いのない言葉に、押し切られたと言えば被害妄想だが、何か暗示にさえかかったような気になり納得するしかなかった。
そうして面談は30分もしないうちに終了。
残すは、翌日の手術説明のみとなっていた。
これを終えれば、その夜から絶飲絶食。
次の日の午後1時には手術台がわたしを待っている。