-3.初診-
手術日が1ヶ月後と決定したのは、紹介先の病院でだ。
事前の問診と触診後、携えた造影CTにチラリ目を通しただけで、すでに何十人かの患者を診察し、疲れ切っているドクターは、手元の書類とカルテに絶えず記載を続けながら話を進める。
ここが腹腔鏡という、腹の中にカメラとカンシを挿入し、テレビモニターを見ながら手術をすることでは症例一の病院であることから、恐らくそれもまた幾度となく繰り返されてきた説明なのだろう。造影CTの影の具合から、10センチ大に膨れ上がった卵巣に溜まっているものが汚血であろうことを、放置してこれ以上大きくなると破裂、腹膜内に汚血が流れ出し、緊急手術ということになりかねない危険性を、業務上の義務として、ドクターはわたしに語る。
上で、今回の手術を施行する必要性があるわけだが、異存はないかと念を押した。
さすがにシロウトが目にしても、映し出されている影の異様な大きさは明白で、それ以上に手術が怖いだの、大事な部分にメスを入れることに抵抗感があるなどと思える余地などない。むしろ、変形したそれはすでに異物であり、すぐにも取り出して欲しいと感じたわたしは、ぜひお願いしますと、どこか他人事のように答えていた。
だからだろう、受付開始から待ち続けたわたしが診察室に入った午後3時。
それまで診察を続け、疲れ切ったドクターとナースの無愛想な対応にも不満を覚えることなく、最初の診察は終りを告げる。
それほどまでに、この類の病気にかかっている人の数は多いらしい。
そしてここが有名病院であることも然りだった。
待合に出れば、わたしが最後の患者だったらしい。
あれほどまでに騒然としていたそこには、もう誰もいなかった。
見回せば、どっと疲れが出る。
手術はもちろん、全身麻酔だ。
手術に耐え得るかどうかを判断するための様々な検査が詰まった予約票を手に、電車に揺られて、やはりどこか重い体を引きずり帰路をたどった。
しかしながらやはり、不安も覚悟もない。
暑さに揺れる風景が、少しばかり非現実的だったからだろうか。
いや、それ以上にこれは日常にあるまじき超現実で、すでにその押し切れない流れの強さを理解していたのだろう。
結局のところ、何を能動的に選択し、考え、提案したところで、患者はいつもまな板の上の鯉に過ぎないのだ。
慌てたところで己の体ながら己でいじる部位はひとつもない。
恐らく覚悟を決めるのは、その責を一任されたドクターであり病院だろう。
その時、不思議と心身は一体でありながら、分離した感覚を覚えてわたしは頷いていた。
この体を治すために、わたしはドクターらと共に医療を施す1人となろうと、ひとり静かにほくそ笑む。